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歴史の勉強法

以下『明治新刻 十八史略』にある島田重禮先生の序文です。吉田松陰の生まれた八年ほど後に生まれた人です。島田先生につきましては倉石武四郎氏の『支那語教育の理論と実際』(九項)という書にこうあります、

徳川時代の(訓読の)訓練を経験された明治の漢学者のあひだにも、かやうな訓読を道具として、漢文の真の意味をつかむことの出来た先生が居られた。もとの東京帝国大学教授島田重禮先生が、朱子の通鑑綱目の、

「王莽大夫楊雄死」

の一句を、「王莽の大夫楊雄死す」と訓読された後に、「王莽が家老の楊雄めがくたばった」と国語で訳されたさうである。楊雄は家老の身分であるから、「雄」と其の名を呼び捨てにせらるべきものでもなく、死んだといふ場合にも、漢文では「卒」と書かねばならない。しかるに、朱子は楊雄が節操を失ったことを責めて、呼び捨てにし、また「死」といふ文字を用ひて、筆誅の心持ちを示したのである。島田先生の訳こそ、一分の隙もない国語であり、其の訓読は、ただ支那語で音読する代わりの符牒に過ぎないのである。これと同時に島田先生が其の方法によって、そこまで到達されるのに、どれほど長い訓練を積まれたか、我々は今さらの様に考へさせられる。


原文


所謂句形上重要なものと言えば、一行目下部の「莫要於史学」と二行目最下部の「莫急於漢土」であります。「史学より要なるもの莫し」、「漢土より急なるもの莫し」と読みます。『標準漢文法』六百三十五項の「比較的依拠化」参照。以下項数は皆『標準漢文法』のことであります。

次に上図いづれの「與(与)」も皆「と」の意味です。「漢土」は「漢土と我と」、「道徳性命之説典章文物之制夫治乱興亡賢奸淑慝之跡」は「道徳性命の説、典章文物の制と夫(か)の治乱興亡、賢奸淑慝の跡と」と読みます。「単純形式名詞」(百二十五項参照)

それから最後の行の最後の二文字「莫不」は「~せざるもの莫し」の意。「粲然として備具せざるもの莫し」と読みます。支那の歴史には我々にとって大いに参考になることが何でも備わっておるということ。「莫」は帰着形式動詞第一種(名詞を客語とするもの)。二百一項参照。禁止を表す「莫(なかれ)」は第三種。二百二十五項参照。


文法的に特に説明を要するところはないのですが、細かいことを言えば三行目の「相與」の「與」は先のと異なり名詞ではなく、副詞(前置詞)です。三百四十二項参照。「涑水通鑑」は司馬光の「資治通鑑」。「紫陽綱目」は朱子の「資治通鑑綱目」。歴史を学ぶことは急務であるが、其の量が膨大で、専門家ですら嘆息してしまうほどでありますから、況してや他の学科のある学生に於いてをやというのです。

文法的に問題となるところはないようです。「為帖括作、削繁、摭要」は要所を切り貼りすること。「幾乎家有其書」の「家」は「家ごとに」とでも読めばよい。文の成分としては修用語。


二行目の「間有文義難遽解者」などは簡単に読み過すのではなく、字を入れ替えて「文義間有難遽解者」とした場合、何がどう変わるかを考えてみると非常にいい勉強になります。

「兔園冊」は通俗の書の意。「十八史略」は所詮子供用のお手軽な教科書に過ぎず、共に史を談ずるには足らぬと謗るものがおるというのです。其れに対して島田先生は、「そうではない。昔の優れた学者は堅い木を伐るのと同じで、簡単なものを先にし、難しい節目のところは後にしたものだ。よく人を導くものもまた同じである。近きより遠きに及び、粗より精に入る、序に従い徐々に進む。決して法度を超えないものだ」と。

(*)『禮記(學記)』に「善問者如攻堅木、先其易者、後其節目」と有り。
(*)『春秋左氏傳序』に「若江海之浸、膏澤之潤、渙然冰釋、怡然理順、然後為得也」と有り。
(*)『陸九淵集』に「心日充日明、則今日滯礙者、他日必有冰釋理順時矣」と有り。


「淩節躐等」は順序次第を飛び越えること。三行目の「其」は他の「其」が副体詞であるのに対し、代副詞。二百七十三項参照。

子供用のお手軽な教科書と雖も、河野、石村両氏が先ずこの「十八史略」を校正標柱したのは、節目を後に回し、世の学者の入門に益せんとする工夫にあるというのです。

「明治丙申(二十九年)」というのは、島田先生が亡くなられる二年前のことです。
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義理通じて興趣あり

嘗て漢学者の湯浅 廉孫氏は読書を分かちて「娯楽的、自得的、批評的」の三つに帰し得ると為しましたが、我々の読書の目的は概ね娯楽的、自得的というところでありましょう。批評的とは要するに学者としての読書であります。

或る程度の漢文読解の訓練を積めば、観劇の快の如く興趣を持って漢文を読めるものです。




陽明先生、京師で官吏登用試験である会試に落第したとき、宿舎の同室のものも亦落第しました。彼は落第したことを非常に恥じておりました。然して先生、彼を慰めて曰く、

不得第恥、吾不得第動心恥 (伝習録)

と。「第」は及第。「世は第を得ざるを以って恥と為す、吾は第を得ずして心を動かすを以って恥と為す」と訓みます。「以~為~」の句形を思い出さなくてはなりません。「以不得第動心為恥」を「第を得ざるを以って心を動かすを恥と為す」と訓んでも同じく意味は通じますし、文法的に申せば間違いとは言えませんが、構文としては「不得第動心」の五字が「以」の客語なのです。それは前句の「以不得第為恥」との対応でよりはっきりとするのです。世間の人は「不得第」を以って恥とするが、吾は「不得第動心」を以って恥とするというのです。

夫人生世、以己無能而望他人用、以己無善而望他人愛
聞人之善嫉之、聞人之惡揚之

柳氏家訓よりの引用であります。文法的な正しさを以って意義を通じさすことができれば、それで愉快に読書し得たということになりましょう。

「夫人生世」の四字は、まず「人生」の熟字に目を引きつけられるかもしれませんが、そうしますと「世」の字が浮いてしまう。「夫(か)の人生の世は」などと読んでもなんのことだかよくわからない。「人生」を「人が生まる」と読んで「夫の、人の生まれたる世は」、即ち文法的に連体関係の連客(七百五十六項参照)として読むこともできますが、そこまで来れば「生」と「世」との関係が客体関係であることも察せられましょう。ただこれは理屈を申したまでで、実際にはごく自然に「夫(そ)れ人の世に生まるるや」と訓むことになります。「人の世に生まる」と言っても「生人之世」との違いに注意。

「以己無能而望他人用、以己無善而望他人愛」は並べて書き写せば明らかなように対になっております。「己の無能を以ってして而も他人の(己を)用いるを望み、己の無善を以ってして而も他人の(己を)愛するを望む」と読んでよく意味が通じておるからこれで一人納得すればよい。

「聞人之善嫉之、聞人之惡揚之」もきれいに対になっております。「人の善」「人の悪」がまず目に留まり、これを「聞」に属してみれば「人の善を聞く」「人の悪を聞く」と訓める。そうして残りの文字を見てみれば自然と意味が了解されて訓読もできようかと思う。「聞人之善」と「嫉之」との関係を表す詞は何もありませんが、それで意味が通るのです。他人の善を聞いたときにはこれをねたみ、他人の悪を聞いたときには嬉々として言いふらす、などと自然に繋がるのです。


斎藤拙堂『本學提綱序』

江戸時代の儒学者、斎藤拙堂「本學提綱序」に云う、
むかし、「和魂」という語あり、鈴屋翁(本居宣長)がこの語を一たび用いて後進に示してより、浅薄なる者は此の語に託けて和の心さえあれば、それで良いではないか、どうしてわざわざ唐土の学問を修めることがあろうかなどと謂う。彼らは皆この語が源氏物語愚管抄などの書に由来し、唐土の才を併せて言っておるのであり、今の人々の謂うところとは異なるということを知らないのである。菅原道真の遺訓にも「国学の要は和魂漢才でなければ、其の奥深きところを窺い知ることは叶わぬものである」と云ってある。このことから昔の和魂なるものと、今の所謂和魂なるものとが違うことが分かる。今日の所謂国学についても昔の国学とは違うものである。昔の国学は必ず唐土の才学に取ることがあった。どうしてただ国史律令和歌物語のことばかりを意味しようか。思うに我が列聖は心になんのわだかまりもなく、大なる心で以って彼我に囚われず、彼の言にして是なれば、それを取り入れ法則とし、彼の行いにして善なれば、またそれを尊び規範とするのである。唐土の文物だからといって無批判に偏執するところは毫もないのである。今日の国家の制度と雖もまたそうである。よって其の学問も教育も決して国史律令和歌物語に止まるというものではない。これ他山の石を以って玉をおさめるということではあるまいか。

然るに近時の儒者は、耳目は漢籍に浸りきり、徒に彼を尊び我を卑しみ、国典を読み和歌物語を論ずるを潔しとせずして、国史律令の何たるかを知らぬものがある。本末の顛倒すること、なんと甚だしいことであろう。ここに於いてか世の所謂国学者流にして而も頗る漢学の造詣深き萩原某というもの、国学の固陋を哀れみ、漢学の誤りを憂えて、一書を著す。名づけて『本学提綱』と謂う。而して余に其の序を請う。余は漢学者にして、頗る国典に渉るものである。孔子の学を宗とし、而も大和魂を失わないものである。此の書が今日の学者の幣によく当たっておることを喜び、ここに鄙見を簡単に書す。


原文

古者有和魂之語鈴屋翁一拈出之以為口實掲示後進至今日人人言之陋者或借此自便謂苟有和之心魂足矣奚以漢才之學為殊不知此語本出源氏物語愚管抄等書皆配漢才言之與今日人人所言者異且菅家遺戒云国學之要自非和魂漢才不能窺其閽奥其言如此而意亦可知也由此觀之古者所謂和魂者既非今日所謂和魂而今日所云国學者又非古者所云国學必有資於漢之才學豈獨國史律令和歌物語之謂哉蓋我列聖廓然大公不置彼我於胸中彼言而是我取以為法彼行而善我遵以為典毫無掩拙護陋之見雖今日國家之制亦然故其建學教士不止於國史律令和歌物語是非所謂佗石攻玉之意歟雖然近世儒士耳目濡染於漢籍或尊彼卑我不屑讀國典論和歌物語有不知國史律令為何物者本末之倒置亦太甚矣豈其可耶浪華萩原某世所謂國學者流而頗渉漢籍憫國學者之固陋而憂漢學者之紕繆慨然著書矯而正之以諗於世名曰本學提綱属序於余余漢學者而頗渉國典者也宗孔子之學而不失大和魂者也甚嘉此書之中今日學者之弊也為之書鄙見助而張之以寘於簡端



ちょっと長いですが、文法的に困難なところは少しもありません。一体どうやってこういうものを読むのかといえば、先ず句の塊を掴むのです。では句の塊はどう掴むかといえば、これは一定の慣れが必要であります。一言以ってこれを覆うことは、私の力量では到底及ばぬところであります。しかし、写すこと、これだけはやらなくてはならない。写した上で、分かるところから句読を切り、訓点を施しつつ読んで行くのです。

出だしのところを読んでみましょう。まず「古者」は「むかし」の意味で「郷者(さきに)」「今者」「近者(ちかごろ)」など時を表す決まった形でありますから、こういうのは辞書を引けばすぐ分かりますし、覚えてしまえばそれで良いのです。この「者」は一体文法的に何かなどと云う穿鑿は初めのうちは要らんのです。次に「有」の字があります。これも文法的にうるさく言えば客語を取るのであり、決して主語が「有」の字の下に来ておるわけではありませんが、そんなことはよい、とにかく頭の中で一体何が有るのかと自問して次を読んで行くのです。すると「和魂の語」とある、これはそのまま一つの塊として見えます。これで「むかし、和魂の語有り」と読めるのです。無論、「むかし、和魂の鈴屋翁に語ること有り」などと「語」を動詞として読めないことはありませんが、これは結局意味の上から判断するしかないのです。「有」の字など帰着語がどこまで懸かるかを管到などというのでありますが、管到は読者が自身で見抜くしか無いのです。

次に「鈴屋翁一拈出之以為口實掲示後進至今日人人言之」を見てみましょう。「鈴屋翁」は人名でありますから、以下その人の作用を表す語が来るであろうことは推測できる、そう当たりをつけて下を見れば、「拈出」「以為」「掲示」などの語が目に入ってくる。ぽんぽんぽんと作用を表す詞の塊が目に入ってくる、入ってこなくても機械的に、「一拈出之」「以為口實」「掲示後進」の四字句に切れるのです。これが「造句法」を考えるというものです。而して「至今日」が目に入り人々が此の和魂の語を今に至って口にしていることが知れるのです。「至今日人人言之」の「至」の管到についても「之」にまで懸かると考え、「今日の人々之を言うに至る」と読むことは文法的には出来ます。

「陋者或借此自便謂苟有和之心魂足矣」の「自便」などが初学者に取っては読みづらいかもしれない。少なくとも私はこういうのがよく分からなかった。たとえば「無之」が或る時は「これ無し」で、また或る時は「これを無しとす」となる、外形に変化なくして而も大きく文法的効果が異なることが情緒として受け入れられなかったのです。由ってここに取り上げるのです。「便」は便利などから何となくその意味を推測できるにせよ、これを「自らに便にす」とは初めのうちはなかなか読みにくい。この「便」は文法的に申せば動詞性再動詞というもので変態動詞の一種です。「自」が副詞(内包性客語)なので動詞の前に置かれますが、代名詞(外延性客語)に代えれば「便己(己に便にす)」となります。「後義(義を後にす)」「弱其志(其の志を弱くす、または弱にす)」などと同じ構造です。「使之為自便」「使義為後」の意。

「奚以漢才之學為」の「奚」は「何」に同じ。「何ぞ漢才の学を以って為さん」と読むも、「何ぞ(または何をか)以て漢才の学を為さん」と読むも可。後者の訓の場合は「漢才之学」が「為」に対して提示語と看做す。「何以伐為」などに同じ。

「與今日人人所言者異」は人によっては「今日の人々と言うところの者異なり」などと読むかも知れない。しかしそれは「與」の管到を誤って居るのです。そう読みたければ、「所與今日人人言者異」でなければならない。「與」が前置詞にして副詞の一種であることを思わねばならないのです。文の成分としては修用語でありますから、提示(*)されておるのでない限り、すぐに被修用語(動詞)が来なくてはならないのです。然らばどう読むかと言えば、「與」を「者」にまで懸けて読むのです。すなわち「今日の人々の言ふところの者と異なり」と読むのです。こうすれば「與」の被修用語「異」が修用語に直結することになります。前置詞「與」の客語は「今日人人所言者」ということです。

(*)「所言者、與今日人人異」の「與今日人人」が提示されておると考えた場合には、「属性の提示語」として「今日の人々とは、言うところの者、異なり」と読むことはあり。

あと注意すべきところと言えば、ちょっと飛びますが、「不屑讀國典論和歌物語」の「屑(いさぎよしとす)」の管到でありましょう。これは「和歌物語」まで懸かっております。「讀國典」にだけ懸けて読まないように注意してください。読むことも論ずることも共に潔しとしないのです。

それから其の直後の「有不知國史律令為何物者」の「有」の管到は「者」です。要するに「者有り」ということです。如何なる「者」かと言えば「不知國史律令為何物」の者です。「不知國史律令為何物」の連詞は結局「知」が代表部でありますから、「知る者有り」と読めるのです。「知」の客語は「國史律令為何物」です。これだけなら「国史律令を何物とす」とも読めますが、ここは「為」を自動性と看做して、「国史律令の何物たる」と読んでおきましょう。最終的に「国史律令の何物たるを知らざる者有り」となります。

「宗孔子之學」の「宗」は、さきに見た「自便」の「便」が動詞を材料とする所の再動詞化したものであったのに対し、こちらは名詞を材料とする所の動詞化したものです。すなわち名詞性動詞です。「以孔子之学為宗」の意。材料に於いて、「宗」は名詞で、「便」は動詞であるところが違うのです。


「甚嘉此書之中今日學者之弊也」の「甚嘉」は、まず「甚だしく嘉す」と読めます。問題はその客語の部分でありますが、これを「此の書の中に学者の幣を嘉す」などと読んではなりません。そう読みたければ、「此書之中甚嘉今日學者之弊也」もしくは「甚嘉今日學者之弊於此書之中」となっていなければなりません。(『支離叔與滑介叔觀於冥伯之丘、崑崙之虛、黃帝之所休』(莊子至樂)の様な例もありますから、これを範とすれば「甚嘉於此書之中今日學者之弊」とすることも可なるも、これは稀)。由って、この「中」は動詞「あたる」の意と解して、「甚だしく此の書の今日の学者の幣に中(あた)るを嘉するなり」と読むことになります。



養生の秘訣

王陽明十七歳のとき、散歩のついでにある道教の一寺院に寄ったところ、老齢の盤膝静座するに出会いまして、これはきっと得道の人であろうと思い、これに問うに養生の道を以ってした。すると道者答えて曰く、「養生の秘訣は、これ一に静なるのみ(養生之訣、無過一靜)」と。

貝原益軒翁もまた云う、

人心不和平則百般病痛自此起矣 (慎思録)

【訓読の手引き】
「自」は前置詞。「~より」と訓む。

心に落ち着きがないこと、これが万病のもとであると。

嘗て我が国の知識として名高かった原坦山先生は『惑病同体論』を著し、「心神の作用其の者は実に健康の礎因たると同時に、また実に万病の本原なりと謂わざるを得ず」と謂われた。すべて其の謂わんとするところは一ならんか。


【練習問題】

今之學者平日之氣象言貌都是暴其氣之事且其接人也一言忤旨一事不合則睚眦發怒厲氣拂戻 (慎思録)


「暴其氣之事」は自己の作用の主客体以外のものに連なる連体語にて、連外というもの。(『標準漢文法』七百五十六項参照)
「睚眦(がいさい)」はちょっとにらむこと。
「其接人也」はここで句が完全に切れておるのでないことに注意。主体的連体語と叙述的被連体語よりなる連詞の性質はどうであったか。(『標準漢文法』二百五十八項参照)
「一言忤旨一事不合」は対になっておることを見抜く。
「睚眦發怒厲氣拂戻」は要するに二字熟語の連続である。





漢学者の遺言書

或る漢学者に才助という息子がおったのですが、これがまた非常な不品行であったため、漢学者は其の子に財産を譲るのを好まず、よって養子を貰って実子のほうは追い出した。月日が流れて、この漢学者が死せんとするときに、養子は漢学者に頼んで財産を譲ってもらうための遺言書を書いてもらったのです。これで実子が何を言ってきても財産は自分のものだと安心しておりました。その遺言書といいますのが、以下のようなものです。漢学者でありますから、遺言も漢文でしたためた。

遺言書

しばらくすると実子である才助が財産を取ろうとやってきました。養子はここぞとばかりにこの遺言書を差し出して才助に見せた。この遺言書、素直に読めば「才助は我が子に非ざるなり、故に養子に譲るべし、他人は容喙すべからず」となりましょうが、そこは才助も漢学者の息子でありまして、却ってこの遺言書あるが為に財産は自分のものであると言い出した。すなわち彼はこう訓んだ、「才助は非なるも、我が子なり、故に譲るべし、養子は他人にして容喙すべからず」と。

*「容喙(ようかい)」はくちばしをいれること。口をはさむこと。

これ作り話に過ぎずと雖も、漢文は読み方に由って大いに意味を変えることを示す好例であります。才助の読み方は決して文法的に悖るところはありません。「非」には確かに動詞としての用法はある、「我子」は叙述態名詞たり得る、「可譲」は運用上非帰着化して客語を取らなくても問題ないのです。






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