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求其不不作小善の「不不」について

「不」は判断の形式が否定であることを示す修飾形式副詞です。判定の対象と判定の概念とが不一致であることを表します。注意していただきたいのは「無」は否定された結果を肯定するもので、これから否定するのでなく、すでに否定されたところのものを肯定的に表すのです。「無」は「無いということが有る」ということです。「無かり」と読めば直訳的です。判断の形式ではなく判断の概念の一部ですから、これからまた否定しうる概念となります。否定された結果を肯定しているもので判断の形式ではありませんから、これからまた再び否定的に運用しうるのです。

今茲入鄭、「不無」事矣 (左傳宣公)
典章法度、「不無」損益異同 (大明會典)
「不無」波及無辜 (封神演義)
師旅之興「不無」害於天下 (大學衍義補)
山賊「非無」虞、心魔尤可恐 (井上円了・自家格言集)



「不、非」が判断の形式で、「無」がこれから否定されるところの概念です。「無くんばあらず」と読まれますが、「無からず」でよいです。否定態は上記もそうでありますが、否定の材料(上記では「無」)と否定的運用(不)の二つから構成されます。然るに、この否定の材料と否定的運用とをあわせたものを再び一つの材料と看做せば、此れは亦これから否定的に運用されるところの材料になりますから以下のようなものも有りうるのです。

喪事「不敢不」勉 (論語・子罕)
「未嘗不」飽、蓋「不敢不」飽也 (孟子・萬章下)

これらの後者の「不」はもと判断の形式を表すものとして否定的に運用されてのち、判断の材料になりこれからまた否定的に用いられうるものになります。「敢えて勤めず」が判断の材料になり、再び「不」で以って否定されるのです。「敢えて勤めずんばあらず」と一般的に読まれますが、「敢えて勤めざらず」と読むのが直訳的です。ここでは「不」と「不」との間に「敢」や「嘗」などの副詞が入っておりますが、もちろん理屈の上ではなくたって構いません。それが以下の例です。

不計其大功、總其細行、而求其「不不作小善」、即失賢之道也 (群書治要文子) *「不不作小善」は「不善」となっているものもあります。

「不不作小善」の後者の「不」がまず否定的に運用されて「小善を作さず」となり、これを一つの材料としてさらに否定的に運用すると「小善を作さざらず」となります。訓読すると却って分かりづらいですから、漢文のまま説明しますと、「不作小善」が一つの材料となり、これを再び「不」で以って修飾しておるのです。「不的に不作小善す」というのです。「作小善」なる概念が「不」で以って否定され、其の全体が再び「不」で以って否定されているのです。「小善を為さなくないことを求む」という意。「不」と「不」との間に他の副詞が無いだけで、「不敢不」などと構造は全く同じです。とはいえ普通は間に副詞があることが多いようです。

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白文を読む

戦前のものですが塚本哲三氏の著書に「漢文の学び方」というのがありまして、ここに以下のような問題(六十四項)が載ってるんですね。きっと当時の青少年に漢文講義をしておられたのでしょう、これを講習会で出したら大部分の人がある箇所で読み間違えたと、まあそういうことが書かれてあるのですが、ちょっと一緒に見て行きましょう。

今人多不知兄弟之愛待父母之犬馬必異乎己之犬馬也獨愛父母之子卻輕於己之子甚者至若仇敵舉世皆如此惑之甚矣 (小学・嘉言)
まず私が白文を読むときにどうするかということを、自ら省みながら書いていきますね。この文ですと「今人多不知」くらいまでをざっと見ます。なぜなら、そこまでは容易に内容が分かるからです。「今の人、知らざる多し」と読めて、はて、なにを知らないのやらと次を見てみますと「兄弟の愛」とあります。もちろん「待父母之犬馬云々」も同時に目に入っておるわけでして、しかし其の部分は其の部分で一つの意味のある句になっていそうなので「兄弟の愛」でひとまず切ったのです。ここまでで「今の人は兄弟の愛を知らない人が多い」ということが分かりました。

次に「待父母之犬馬」という一つの塊を見ます。これとても端から一塊と分かるわけではありませんが、其の後の部分が「必異乎己之犬馬也」という塊に見えるのでこのように切れるのです。こればかりは意味も同時に考えているとしか言いようがありません。すなわち「父母の犬馬を扱うそのやり方が、自分の犬馬を扱うやり方に必ず異なる」という意味が分かり、同時に句読を切っているとでもいいましょうか。反対に言えば、意味が分からなければ句読は切れないのです。ここまでの意味を確認しますと「今の人は兄弟の愛を知らないのが多い、両親の犬馬を扱うときと自分の犬馬を扱うときでは必ず異なる、つまり両親のはより一層大事に扱う」とこういっております。

其の後を見てみましょう。私は左から右に素直に「独り父母の子を愛する(「愛す(独立格)」との違いに注意)」と切って読んでみました。下文に対してどういう立場にあるかわからないので、従属的な格にしたまでです。それで問題無さそうなことはその後を見て判断します。漢字自体が文法的性能を表しておらないのですから、こういうのは仕方が無いのです。親切な西洋文法とは違うのです。後のほうを見ますと「卻輕於己之子」とありまして、これを「却って己の子より軽し」と読めるかどうか、ここが大事です。講習会で大勢が間違えたというのはここです。これを「父母の子を愛して、却って己の子を軽んず」と読んでしまった方が多かったそうです。そもそも「父母の子」とは誰を指しましょう。これは自分の両親の子、自分から観て兄弟を指しているわけですから、もし父母の子を愛して反対に自分の子を軽んずるならば、一番最初の文に反するではありませんか。一番初めに「今の人は兄弟の愛を知らないのが多い」と言っておるのですから、兄弟を愛し自分の子を軽んじては矛盾してしまうのです。ここはどうしても「軽」が比較態にあり、「己の子より軽し」と解しなければならないのです。また「己の子を軽んず」と読めるかどうかですが、不可能ではありません。ですがそれは結果的に意訳として「を」と読む場合で、「於」はどこまでも依拠的客語を取るもの、日本語で言えば「~に」にあたる客語を取るものです。

仰以觀於天文周易繫辭上)
これも「仰いで以って天文を観る」と読むのではなく、「仰いで以って(あれやこれやを)天文に観る」と読むべきものです。文法的に直訳すれば、「観る(不定法)、天文に於いてす」となります。「於いてす」の「す」は不定法に対する形式詞です。英文法における助動詞のようなものです。この助動詞の実質的意義を補充しておるのが不定法の「観」です。「於」は前置詞性単純形式動詞です。「観於」を一つの連詞的依拠性動詞と考えるのです。名詞の格が粗なため動詞のほうが自らを依拠性の動詞であると明示して、後ろに依拠格的名詞がくることを示すのです。「天文」は「天文に」の意で依拠格的用法です。「於」を「に」と読んでおるわけではありません。

また「獨愛父母之子卻輕於己之子」を「独り父母を愛するの子は、却って己の子を軽んず」と読んだものも居ったそうですが、これも文初の内容に矛盾するので不可であります。父母のことは愛しているのです。だから父母の持ち物をば大事に扱うといっているのです。両親を愛する子ですら、兄弟のことはあまり愛さないというのです。この文の主題は兄弟を軽んずることをいうのです。

序でですが、「己の子より軽し(軽んず)」の「より」は「於」をそう読んでいるのではなく、「軽」自体が比較態の形容詞なのです。比較態とは単に「軽い」か「重い」かで考えたのではなく、比較の対手に対して「軽重」を考えるのですから必ず客語としてその比較の対手を要するのです。ただ「軽い」というのではなく、「何より軽い」と考えられたところの形容詞なのです。英語ならば-erでも附けて比較態であることを明示するところです。

そして「於」は何かといいますと、漢文は名詞の格を明瞭に表すことができませんから、動詞の側でそれを表す必要があるのです。つまり私は他動性の動詞で他動的客語を要しますとか、依拠性の動詞で依拠的客語を要しますとか、それを動詞の側で示すのです。ここの場合は、「軽」が比較態の依拠性形容詞であるため「於」で以って其のことを明瞭にし次の語が比較の対手を表す依拠的客語であることを表しているのです。ここの「於」は松下文法でいう「前置詞性単純形式動詞」、すなわち動詞です。「~に」という依拠性を明瞭に表す動詞です。「軽於」全体で依拠性を明らかにした動詞です(形容詞も動詞の内)。文法的に直訳しますと「己の子に(己之子・依拠格的客語)、より軽し(軽於・比較態の連詞的依拠性動詞)」となります。少し細かい話でした。

話を元に戻しましょう。ここまでの話は、「いまや自分の両親の子、すなわち自分の兄弟よりも己の子を愛し、兄弟をば愛さない人が多い」という話でした。次の「甚者至若仇敵」という短い句ですが講習会では結構間違った人が居ったと書かれています。その多くはこう読んだそうです。「甚だしき者に至りては仇敵の若(ごと)し」と。これはいけません。もしこれをもう一度漢文に戻せば「至甚者若仇敵」となります。左の如き「如・若」は「似る」と読むとよいです。「仇敵に似るに至る」こう読みますと「如・若」が依拠性の動詞であることが明らかです。「甚者」は「甚だしい場合は」くらいの意。「甚だしき者は」または「甚だしきは」などと訓みます。

最期の部分の「如此」も「此れに似たり」と読むと文法的に直訳になります。「世を挙げて皆このようだ」というのです。「惑之甚」は何が甚だしいかといえば「惑えること」が甚だしいわけですから、「惑」は「甚」の主語のように見えますが、厳密に言いますと主語ではなく連体語です。主体概念を表す連体語です。因って主体的連体語と言います。主体的連体語とそれに対する叙述的被連体語より成る連詞は最終的には名詞化するのですが、その連詞が「仮定」「疑問」「感嘆」の意を表す場合は名詞化しません。ここでは感嘆です。詳しいことは標準漢文法の二百五十八項を参照してください。最終的に「惑へるの甚だしいかな」となります。

支那人の漢文の学び方、孫文「心理建設」より(三)

今までの中国読書人の漢文の学び方が如何に迂遠であるか、残りの部分を一気に読んでしまいましょう。

中國向無文法之學、故學作文者非多用功於咿唔、熟讀前人之文章、而盡得其格調、不能下筆為文也、故通者則全通、而不通者雖十年窗下、仍有不能聯詞造句以成文、殆無造就深淺之別也、若只教學童日識十字、而悉解其訓詁、年識三千餘字、而欲其能運用 之、而作成淺顯之文章者、蓋無有也、以無文法之學、故不能率由捷徑以達速成、此猶渡水之無津梁舟楫、必當繞百十倍之道路也、中國之文人、亦良苦矣

「中国向(さき)に文法の学無し、故に作文を学ぶもの、多く功を咿唔(いご、音読すること)に用い、前人の文章を熟読して、尽(ことごと)く其の格調を得るに非ずんば、筆を下して文を為(つく)る能(あた)はざるなり、故に通ずるものは則ち全く通じて、通ぜざるものは窗下(そうか)に十年すと雖も、仍(な)ほ詞を聯(つら)ね句を造り以って文を成す能(あた)はず、殆(ほとん)ど造就深浅の別無きこと有るなり、只だ学童に教へて日ごとに十字を識りて、悉(ことごと)く其の訓詁を解し、年ごとに三千字を識らしむる若(ごと)きのみにして、而も其の能(よ)くこれを運用して淺顯の文章を作成せしめんと欲するものは、蓋(けだし)有ること無きなり、文法の学無きを以ってなり、故に捷径に率由(そつゆう)し以って速成を達す能(あた)はず、此れ猶ほ渡水の津梁舟楫(しんりょうしゅうしゅう)無きがごとし、必ず当(まさ)に百十倍の道路を繞(めぐ)るべきなり、中国の文人や、亦た良(まことに)苦しまんかな。」

【語釈】「十年窗下」は長年苦学すること。「窗」はまど。「仍」は「因る」の意。引き続き、もとのままに因り、以前に変わらぬ意で、「なお」と読みます。「訓詁」は古文の字句の意義を解き明かすこと。「津梁舟楫(しんりょうしゅうしゅう)」はそれぞれ渡しと橋、舟とかじ。どれも事を成すにたよりとするもの。ここではもちろん文法のこと。「猶」は普通「なお~のごとし」と読まれるものでありますが、「如、若」などと同様、「似る」の意で動詞です。依拠性帰着形式動詞です。名詞を客語に取ります。「如人(人の如し)」は「人に如(に)る」と読めば直訳的です。また「猶」には副詞としての用法もありますが、ここは動詞ですから混同しないよう注意してください。「中国人の漢文の学び方が、舟も橋も使わずに川を渡るのに似ている」というのです。「率由」はしたがいよること。

【文法】
  • 「非多用功於咿唔、熟讀前人之文章、而盡得其格調」は「尽く其の格調を得るに非ずんば(非ざればと読むも可)」と読み下しましたが、漢文そのものとしましては「非」が副詞で修用語ですから、「非的に~省略~尽く其の格調を得れば」と読むべきものです。「非的」などという言葉は不自然ではありますが、この連詞の代表部は「非」(修用語)ではなく、「得」(被修用語)なのでありますから、直訳する場合にもそれを反映させねばなりません。日本語で「遠くない」「近くない」「早くない」などはいずれも「ない」の一種でありますが、漢文の「不遠」「未遠」「已遠」はどれも「遠」なる概念の一種なのです。「不」なる形式で以って「遠」なる実質を修飾しておるのです。つまり、この句は否定の一種ではなく、「得」なる概念の一種なのです。否定的の「得」なのです。「遠くない」は「遠く」なる実質を先にし、「ない」なる形式でもってそれを統率しておるのです。これは排列の先後の違いではありますが、出来上がったところの観念としては同じなのです。ただ、それを表すときの文法上の構造が違うのみです。絵を描くときに、上から下に描こうが、下から上に向かって描こうが、出来上がった絵に差が無ければ同じ絵であるというのに喩えられましょうか。
  • 「不能下筆為文」を「筆を下して文を為る能はず」と読みましたが、「為ること能はず」では駄目かといいますと、もちろん駄目ではありませんが、松下文法では「能」を動詞を客語に取る形式動詞として分類しておりまして、動詞性名詞を客語にとっておるのではないのです。動詞を客語にするといいますのは、たとえば、

雪とのみふるだにあるを櫻花如何に散れとか風の吹くらむ (古今集)


の「雪とのみふるだにあるを」と同じです。内包的概念が客語になったもので名詞のような心持がしますが、外延は無いのです。(注)「能文章(文章を能(よ)くす)」などの名詞の上にある「能」は本動詞です。
  • 「十年窗下」の「十年」は名詞性動詞(変態動詞)の進行的用法です(四百三十九項参照)。「十年す」と読むべきものです。以下の例も同じ。

蓋三百年於此矣(蓋し此(ここ)に三百年す) (蘇軾・韓文公廟碑)

  • 「無造就深淺之別」は、「深浅の別を造就すること無し」の意。「造就」は成就に同じ。「現時の読書人の勉強の仕方に附いてはどうかと言えば、浅い深いなどの程度の問題ではない、出来る者は深妙なる境地に到り、出来ない者は通じる文をすら作れないありさまである」と勉強の仕方を主としそれを判断した文です。仮に「造就無深淺之別」なら「造就に深浅の別無し」と訓み、「造就」については深浅の別が無いということで、「造就」を主としてそれについて判断した文になります。
  • 「若只教學童日識十字、而悉解其訓詁、年識三千餘字、而欲其能運用 之、而作成淺顯之文章者」の「教」を所謂使役、松下文法でいう使動を表す動詞と考えますとそれは修飾形式動詞(注)ということになりますし、「教える」という実質的意義を持つものと考えれば本動詞(形式動詞に対して実質ある動詞)ということになります。使動を表す形式動詞と考えますと、下の動詞に「為さしむ」という形式的意義を付加することになります。すなわち字を覚えるのは子供自身の動作であるにせよ、それを父兄が為さしむという意味にし、父兄の動作にしてしまうのです。ここでは子供の学ぶ動作をすべて父兄の動作に同化せしめて考えたほうがよく通じそうです。つまり、子供に文字を覚えさせその意味を研究させるにもかかわらず、其の覚えた文字を使って簡単な文を作成させようと考える者はほとんどいない、ということです。もちろん、後半句の「欲其能運用 之、而作成淺顯之文章者」の部分は必ずしも使動にせずともよいでしょう。其の場合には、「其(学童のこと)の能くこれを運用して、浅顕の文章を作成せんことを欲するもの」と訓むことになります。子供が覚えた字を使って簡単な文言文を作ることを欲するようなことは無いということ。ただ彼らが漢文を自得するのを期待するのみで、十年読書すとも、依然として進歩の無いことすらありうるというのです。

  • (注)修飾形式動詞といいますのは、「得てこれを知らず」などの「得て」です。形式的意義を先にいい、後から実質的意義をいっているのみです。二つの詞を並べる以上は先後の問題が生じますが、そのとき形式詞を先にいい、実質詞を後に言おうが、または反対に実質詞を先にいい、形式詞をあとに言おうがそれはどちらであっても理屈の上では構わないのです。「得てこれを知らず」を「これを知り得ず」と言えば実質語(知る)を先にし、「得」(形式語)を後にしたまでです。出来上がった観念としてはどちらも同じ意義です。観念を構成する順序は違えど、出来た結果の表すところは同じなのです。「austräumen」(夢見果てる)の「aus」は「果」なる形式的意義を表す接頭辞でありますが、英語では「to dream out」と「果」に当たる「out」(これは辞ではなく詞でありますが、実質に対する形式という点は共通)が後ろに来ておりますが、最終的に出来上がった観念としては同じなのです。
  • 「渡水之無津梁舟楫」は主体的連体語と被連体語との連詞関係です。「渡水に就いての、津梁舟楫無かる」です。「水を渡るについての、津梁舟楫が無いというそのこと」くらいの気味。最終的にこの連詞は名詞化しています。「猶」は名詞を客語に取る帰着形式動詞であることを思い出してください。


ここまで三回にわたり読み下してきましたが、文法説明は難しく感ぜられたと思います。しかし、これらの文法事項をあらかじめ勉強してからでないと漢文が読めないのか、といいますと勿論そんなことはありません。一般的には句法の類を覚えることから初めて、漢文に慣れるのがよろしいと思いますが、真面目に勉強しようと志されておられる方はどうしても文法の勉強は避けては通れないでしょう。文典的知識を学ぶことは、敬遠されがちなものかもしれませんが、今見てきたとおりそれは却って近道なのです。川を渡るのにわざわざ遠回りして陸路を行かずとも、舟なり橋なりを使って渡ればよいのです。

支那人の漢文の学び方、孫文「心理建設」より(二)

前回のつづきです。文章の国、支那といえども実字虚字などの部分的研究を除いては、所謂文法についてはほとんど意を注がなかったようで、漢文を読み、綴れるようになるまでには何十年もの読書生活をし自得するしか方法がなかったのであります。孫文はそれを遠回りのやり方であるというのです。彼の主張を彼の言葉でもって言えばすなわちこうであります。

行之非艱、而知之惟艱

「行うことの艱きに非ずして、知ることの惟だ艱きなり」、もしくは「行うをこれ艱しとするに非ずして、知るをこれ惟だ艱しとす」と訓みます。清朝当時の知識人の「諸葛亮が固有名詞であるように、白鳥や猿も固有名詞である」などという一見馬鹿らしい誤りとはいえ、やはり人から指摘されなければどんな簡単な道理でも気が付かないものであります。しかし、一たび知ればそれを実践することは難しいことではないというのです。文法も亦た然りであります。

それでは「心理建設」の続きを読んでいきます。

夫學者貴知其當然與所以然

「夫(そ)れ学者は其の当に然るべきと然る所以とを知ることを貴ぶ」と訓みます。

【文法】
  • 「其當然」の類は、拙著に於いても何度も出てきたものですが、復習を兼ねてもう一度見ておきましょう。この「其」は品詞としては副体詞(英文法のlimiting adjective)でして、文の成分としては連体語です。厳密に申せば、主体的連体語です。「主体」と「主語」とは紛らわしいですが、区別するので注意してください。たとえば「人之來(人の来たる)」の「人」は、誰が来るのかと言えば確かに「人」が来るのですから、「來」の主体概念ではありますが、主語ではありません。連体語です。「人に就いての、来たる」です。主体概念として言い出したものが、実質化して連体格的に再運用されて下の詞の意義そのものに従属しておるのです。動詞を修飾しても動詞の用に従属するのでなしに、体に従属するのです。「人が来る」と言えば、この「人」は主体概念にして、且つ主語です。主語は連用語の一つです。松下博士の「標準漢文法」にちょうど「其當然」についての解説がありますのでここに引用します。

「其當然」は「其れが當然である」ではなく「其れが」に関する「當然なること」である。「其れが」の「當然なる」である。「其れが」は主語であっても、「其れがの」は主語ではない。この説明が分からなければ「其」の真の意義は分からない。 (二百四十九項)

(注)「もれいづる月の影のさやけさ」などの「影の」も主体的連体語のように見えますが、「さやけさ」は端から名詞でありまして、主体的連体語に対する被連体語があくまでも叙述的詞(動詞や叙述態名詞)であり、最終的に連詞が名詞化するのとは異なります。


若偶能然、不得謂為學也、欲知文章之所當然、則必自文法之學始、欲知其所以然、則必自文理之學始

「若(も)し偶(たまたま)能く然らば、学を為すと謂ふを得ず、文章の当に然りとすべきところを知らんと欲せば、則ち必ず文法の学により始め、其の然る所以を知らんと欲せば、則ち必ず文理の学により始む」

【語釈】「自」は前置詞。「より」の意。




文法之學為何、即西人之葛郎瑪也、教人分字類詞、聯詞造句、以成言文而達意志者也、泰西各國皆有文法之學、各以本國言語文字而成書、為初學必由之徑、故西國 學童至十歲左右者、多已通曉文法、而能運用其所識之字以為淺顯之文矣、故學童之造就無論深淺、而執筆為文、則深者能深、淺者能淺、無不達意、鮮有不通之弊也

「文法の学、何と為さん、即ち西人の葛郎瑪(grammarの音訳)なり、人に分字類詞、聯詞造句を教へて以って言文を成して意志を達せしむる者なり、泰西各国皆文法の学有り、各(おのおの)本国の言語文字を以ってして書を成し、初学必ず由るの径と為す、故に西国の学童十歳左右に至るもの、多く已(すで)に文法に通暁して能(よ)く其の識るところの字を運用し、以って浅顕の文を為(つく)る、故に学童の造就に無論深浅ありて筆を執り文を為(つく)れば、則ち深きものは能く深く、浅きものは能く浅きも、意を達せざること無く、不通の弊有ること鮮(すくな)きなり」

西洋の子は国文法を学ぶことで、どんな子でも少なくとも意の通じる文を作れるというのです。支那人はどうかと言えば、前に見たとおり「為文者窮年揣摩、久而忽通」、すなわち浅きから深きへだんだんと行くのではなく、忽ち通ずるのです。西洋の子には深浅の差有るも、不通は無いのに対し、支那人は通か不通かの二つに一つであるというのです。

【語釈】「左右」は前後に同じ。「徑」はちかみち。「造就」は成果。「淺顯」は簡単。

【文法】
  • 「以本國言語文字而」の「以」は「以ってす」の意。下に「而」がありますから、「以ってして」と運用されておることが明瞭です。文法用語はあまり見たくないかもしれませんが、これは松下文法でいうところの前置詞性寄生形式動詞です。松下文法の術語については、明治大正期の国文学者、福井久蔵氏が其の著「日本文法史」のなかで以下のように述べておられます。

哲学者カントはその哲学を述べるに先ず自用の術語を定めたというが、松下氏の文典も新創の名辞が頗る多い。煩冗なる名辞の続出は読む人をして唖然たらしめるものがあるのである。 (五百十三項)

と言っておられるのですが、これは慣れです。もちろん、一日二日で慣れることは無理でありますが、大まかな概念から入り、漸漸と内包を付け足して精密な概念にいたるようにすればよいでしょう。たとえばこの「前置詞性寄生形式動詞」を例に取りますと、これはまず動詞である、動詞なる概念に含まれるのである、と覚えるのです。次に、どのような動詞かといいますと、形式動詞であるというのです。形式動詞とは実質的意義を欠いた動詞ですから、必ず何かしらの方法で実質的意義を補充せられねばなりません。この場合は「寄生」という方法によって実質的意義が補充せられるのです。故に寄生形式動詞というのです。「寄生」とは、直接の文法的統合関係のない詞に勝手に寄生して、そこから意義をもらってくることを指して謂います。本来はここまで突き詰めれば、それでよろしいのですが、「以」は本性として前置詞でありますから、最後にその寄生形式動詞に前置詞としての概念を追加してやれば、前置詞性寄生形式動詞の概念の出来上がりです。

今の説明を反対から、すなわち本体からその運用へ向かって申しますとこうなります。まず「以」は前置詞であります。この前置詞が形式動詞「為(す)」の意義を帯びると「以ってす」となりまして、前置詞性形式動詞になります。しかし、ただ「以ってす」と言ったのでは、「何を以って」なのか、それから「それを以って何をする」のかが、わかりません。よってこれらの概念を補充してやる必要があるのです。前者、すなわち前置詞としての性能に欠けている概念は客語を以って、後者は寄生形式動詞としての性能に欠けている概念を寄生という方法を以って補われるのです。そして、最終的に動詞としての性能が其の詞を代表しますので、これを名づけて前置詞性寄生形式動詞と呼ぶのです。要するに動詞です。変態動詞の一つです。

上述した内容は、私が「標準漢文法」を幾たびも読んで、その結果得たものを端折ったものであり、一読して理解しようなどと思ってはなりません。

曽国藩先生、読書の秘訣をこうおっしゃっております。:

讀至有一耐字訣、一句不通、不看下句、今日不通、明日再讀、今年不通、明年再讀、此所謂耐也

「読み至るに一の「耐」字の訣有り、一句通ぜざれば、下の句を看ず、今日通ぜざれば、明日再読す、今年通ぜざれば、明年再読す、此れ所謂(いわゆる)「耐」なり」

今日はここらで終わりましょう。

支那人の漢文の学び方、孫文「心理建設」より(一)

然雖以中國文字勢力之大、與歷代能文之士之多、試一問此超越歐美之中國文學家中、果有能心知作文之法則而後含毫命簡者乎、則將應之曰否、中國自古以來,、無文法、文理之學、為文者窮年揣摩、久而忽通、暗合於文法則有之、能自解析文章、窮其字句之所當然、與用此字句之所以然者、未之見也、至其窮無所遁、乃以神而明之、存乎其人、自解、謂非無學而何、夫學者貴知其當然與所以然、若偶能然、不得謂為學也、欲知文章之所當然、則必自文法之學始、欲知其所以然、則必自文理之學始、文法之學為何、即西人之葛郎瑪也教人分字類詞、聯詞造句、以成言文而達意志者也、泰西各國皆有文法之學、各以本國言語文字而成書、為初學必由之徑、故西國學童至十歲左右者、多已通曉文法、而能運用其所識之字以為淺顯之文矣、故學童之造就無論深淺、而執筆為文、則深者能深、淺者能淺、無不達意、鮮有不通之弊也、中國向無文法之學、故學作文者非多用功於咿唔、熟讀前人之文章、而盡得其格調、不能下筆為 文也、故通者則全通、而不通者雖十年窗下、仍有不能聯詞造句以成文、殆無造就深淺之別也、若只教學童日識十字、而悉解其訓詁、年識三千餘字、而欲其能運用之、而作成淺顯之文章者、蓋無有也、以無文法之學、故不能率由捷徑以達速成、此猶渡水之無津梁舟楫、必當繞百十倍之道路也、中國之文人、亦良苦矣

上記は孫文の「心理建設」よりの引用でして、いわゆる文法によらずして漢文を学ぶことは彼ら漢字本場の人間にとっても尚迂なることを論じてあります。以下順に訓み下していきますが、其の前に当時の支那の士大夫たちの文法的素養の如何を示す一文を見ておきましょう。

本名字者、人物獨有之名稱、而非其他所公有、如侯方域《王猛論》曰亮始終心乎漢者也、猛始終心乎晉者也、孔稚圭《北山移文》曰惠帳空兮夜鵠怨、山人去兮曉猿驚、亮與猛雖同為人類、鵠雖同為鳥類、猿雖同為獸類、曰亮、曰猛、曰鵠、曰猿、即為本名、不能人人皆謂之亮、猛、亦不能見鳥即謂之鵠、見獸即謂之猿也、故曰本名字 (文法要略)

諸葛亮や王猛などの人類に於ける概念関係と、鵠(はくちょう)や猿などの鳥類獣類に於ける概念関係とが同じであるというのです。要しますに、固有名詞と普通名詞の区別すら明確ではなかったという有様です。

甲「亮與猛雖同為人類」、乙「鵠雖同為鳥類」、丙「猿雖同為獸類」

この部分は読みづらく思われるかもしれませんが、文法的に対等(等価)の修用語(甲、乙、丙)が並べられておるのみです。もしこれを一つの修用語にまとめれば、

雖亮與猛同為人類、鵠同為鳥類、猿同為獸類

となります。「亮と猛とは同じく人類と為し、鵠は同じく鳥類と為し、猿は同じく獣類と為すと雖も」と訓みます。

さらに孫文は清末の名臣曽国藩の文法知識の欠落を指摘し以下のように述べます。

如曾國藩者、晚清之宿學文豪也、彼之與人論文、有「春風風人、夏雨雨人、解衣衣我、推食食我」、「入其門而無人門焉者、入其閨而無人閨焉者」、其於風風、 雨雨、衣衣、食食、門門、閨閨等疊用之字、而解之以上一字為實字實用、下一字為實字虛用、則以為發前人所未發、而探得千古文章之秘奧矣、然以文法解之、則 上一字為名詞、下一字為動詞也、此文義當然之事、而宿學文豪有所不知、故強而解之為實字虛用也、又不知理則之學者、不能知文章之所以然也

専門家でもなんでもない私個人の意見を申せば、この曽国藩の文法観に対する孫文の言論はやや牽強の嫌いがあるようにも思われます。なんとなれば、「下一字為實字虛用」(下の一字を実字虚用と為す)などは、用語こそ従来の言い方であるにせよ、その指し示すところはやはり名詞の動詞的運用というに等しいものでありましょう、これは松下文法でいう変態動詞の一つです、よって其の実を取れば却って曽国藩のこの説明は頗る的中したものであると思います。

それでは孫文の「心理建設」の訓み下しを見ていきましょう。説明は松下文法に因ります。

然雖以中國文字勢力之大、與歷代能文之士之多、試一問此超越歐美之中國文學家中、果有能心知作文之法則而後含毫命簡者乎

「然して中国文字勢力の大なると、歴代能文の士の多きとを以ってすと雖も、試みに一たび問ふ、此の歐美(欧米のこと)を超越するの中国文学家中、果たして能(よ)く心もて作文の法則を知りて後、毫を含み簡を命(と)る(書き付けること)者有らんか、と」と訓みます。

【文法】
  • 「以」は前置詞の性能として二つの客語「中國文字勢力之大」「歷代能文之士之多」を統率し(厳密に言えば客語としては一つ、客体概念として二つといいます)、尚且つ自らがその前置詞(修用語)に対する被修用語であるところの「為」の意味を帯びて、「以ってす」の意になっております(松下文法でいう変態動詞です。)。もしくは「以」を通常の前置詞として考え、「中国文字勢力の大なると歴代能文の士の多きとを以って、試みに一たび~省略~に問ふと雖も、果たして~省略」と読むも可。「雖」は副詞でありますから、詞の運用に掛かるわけでありますが、どの部分の用に掛かるかの判断によって上述のように二通りに読めるわけです。
  • 「心」は名詞の修用格的用法。副詞ではありません。強いていうなら、名詞の副詞的用法です。「体得」(体で得)などの構造に同じ。

則將應之曰否、中國自古以來,、無文法、文理之學、為文者窮年揣摩、久而忽通

「則ち将(まさ)にこれに応へて曰はん、否、と。中国古より以って來(このかた)、文法、文理の学無し、文を為(つく)る者窮年揣摩(しま)し、久しうして忽ち通ず」と。

【語釈】「窮年」は生涯をかけて。「揣摩」は古人の文字を玩味研究すること。

暗合於文法則有之、能自解析文章、窮其字句之所當然、與用此字句之所以然者、未之見也

「文法に暗合することはこれ有り、能(よ)く自ら文章を解析し其の字句の当に然るべきところを窮むると、此の字句の然る所以を用いる者とは未だこれを見ざるなり。」

【文法】
  • 「暗合於文法則有之」は、結果的に文法に合することはある、の意。「苗而不秀者有矣夫」などと同じ構造。苗にして秀でざるものが有る、と平説にいうのではなく、苗にして秀でざるものはどうかといえば、それは有る、という気味。文法の学習をしなくても、圧倒的な量の漢籍を多読精読することで、知らず知らずのうちに文法に合うということは、それは有る、というのです。
  • 「用此字句之所以然者」を「此の字句の然る所以を用いる者」と読み下しましたが、無論これは慣習的にそうしたまででありまして、「者」はいわゆる虚字、松下文法で言いますところの単純形式名詞でありますから、上語は実質語として「者」に従属しております。決して連体格でもって「者」に従属しておるわけではないのです。たとえば「無用之者、不可入」と書いてこれを「無用の者、入るべからず」の意味には取れないのです。しかし、「無用之客(無用の客)、不可入」ならこれはよろしいのです。「客」はいわゆる実字でして連体語を取れます。(注)「以約失之者、鮮矣(約を以ってこれを失するものは、鮮(すくな)し)」などの「者」の前にある「之」は概ね形式名詞の「これを(に)」です。副体詞(英文法に於けるlimiting adjective)「之」ではありません。「無用之者」も「これを用いるもの無し」の意ならば問題ありません。しかし、「用の無い人」の意にしたければ「無用者」とします。
  • 「未之見」は客体関係における特殊的配置。帰着語「見」に対する客語が形式名詞で、且つ其の連詞が否定態にありますので、形式名詞の「之」が帰着語「見」の上に来てもよいのです。必ずそうなるというわけではありませんが、旧概念(既に話題に上っている既知の概念のこと、たとえば代名詞の類など)を先に言い、新概念を後にいうのが詞の排列の普遍的原則ですから、十中の七八までは斯くの如き排列になります。(注)似て非なるものとして以下のようなものがあります。
  • 西方全盛之國、莫美若、東方新興之國、莫日本若 (變法通議)

「西方全盛の国は、美(米国)に若(し)くもの莫し、東方新興の国は日本に若くもの莫し」と読みます。「美」「日本」ともに代名詞ではありませんが、帰着語の上に来ております。一種の提示で客体関係に於ける特殊配置ではありません。

「心理建設」に戻ります。

至其窮無所遁、乃以「神而明之、存乎其人」自解、謂非無學而何

「其の遁ぐるところ無きを窮むるに至れば、乃ち「神にしてこれを明らかにするは、其の人に存す」(周易)を以って自解す、無学に非ずして何と謂はん」と。どうやって漢文を学習するか、四書なり五経なりを暗誦し、左伝漢書韓非子等々を精読熟読して自得するよりほかにない、と言い放ち学生を教導しないのでは無学というしかない、そんな風に聞こえます。明治期の漢学者、児島 献吉郎氏の言葉を思い出したので合わせて書き留めておきましょう。曰く:

漢文典の研究依然として進歩の跡無く、整理の状なく、尚混沌たる草昧時代に彷徨しつつあるは、そも誰の責任ぞ。予は必ずしもこれを有司の罪に帰するものに非ず、またこれを社会の罪と謂う者に非ず、中等教育に於いて漢文を以って任ずるものが、自ら漢文を作る能はざる不学不術の罪なりと断言せむとするものなり。なんとなれば、自ら漢文を作る能はざるものは、固より人に漢文を作ることを教ふる能はず。已に自ら作る能はず、また 人に教ふる能はざるものは、到底漢文の妙味を咀嚼する能はざるなり。已に漢文の妙味を解する能はざる者は必ず漢文に冷淡にして、苟且偸懦(とうだ)、徒に一日を過ごすのみなれば、安んぞ能く漢文を振興するの餘勇あらむや。文典はただに漢文を作る上に必要なるのみならず、漢文を理解する上にも必要なるものなり。然るに漢文先生これを等閑に看過し、ついに中学生をして漢文に文典あるを知らざらしむ。宜なるかな、近年中学卒業生にして高等の学校に入らんとするものの、漢文解釈の誤謬が、一に文典上の知識無きに由れるや。


今日はこの辺で終わりましょう。

無題

以下の句を皆様どう読むでしょうか。

居數年、楚王果舉兵伐蔡 (說苑・權謀)
停數日、辭去 (桃花源記)

倉石武四郎氏の「支那語教育の理論と実際」という書に、「居ること数年」などという訓読で以って「五六年たって」という国語を代表させることは無理も甚だしく、直訳派の残した弊害であると書かれておるのですが、それでも私は「居ること数年」と読むべきであろうと思っています。「居ること」と「数年」との関係は主体関係であり、さらに「居」は合主化といいまして主体観念を含むもので、其の観念を概念化しますと「其の者が居ること」くらいになりましょう。「其の者が居ることが数年で楚王が挙兵した」というのです。合主化というのを主語の省略と考えないでいただきたい。「今日は寒いですねえ」と言って「何がですか」などと聞き返す者は居りませんが、聞き返されたほうも「はて一体何がだろう」と少し戸惑うでしょう。なぜ戸惑うかといえば「気候が寒い」の「気候が」などという主体概念が明確に意識されてないからです。直感的観念としてあるのみで概念化していないのですから、そもそも省略のしようがないではありませんか。省略したのではなく端から概念としてないのです。ただ観念として動詞のうちに含まっておるので、主体を合わせた動詞、合主性動詞というのです。

さらにこの「数年」もまた合主化していると考えてよいものです。なにが数年かといえば「年数」が数年なのです。これは「居」に対して小主体に当たるものですが、いつでも一定しておるので合主化するのです。「足下幾歳」といえば、「幾歳」の小主体は「年」です。「年」ですが、そんなことは概念化しないのです。概念化しないので、「足下年幾歳」などと詞にも表れないのです。省略されたのではありません。「年」の観念は「幾歳」に含まれているのです。(標準漢文法・大小主体の有る場合の小主体の合主化・六百一項参照)

政存簡一、至數年無辭訟 (後漢書・郭杜孔張廉王蘇羊賈陸列傳)

この「至」も合主化した動詞です。何が数年に至るか、年数です。年数が数年に至って辭訟が無くなったのです。(標準漢文法・一般性合主化(一)・六百項参照)

また「居数年」を普通の日本語のように「数年居る」と読みますと、「数年」と「居る」との関係が修用関係というものになりまして原文と文法的に異なる訓読になります。さらに以下のような文と訓読上区別が附かなくなりましょう。

文吏貪爵祿、一日居位、輒欲圖利 論衡・量知)
父母及夫死者、三年居服 太平御覽)
「一日居位」の「一日」と「居位」との関係は訓読上もまた原文上でも修用関係にありますから、「一日位に居る」「三年服に居る」と読めばそのまま文法的直訳になります。

下の句はどうでしょう。

無「處」不傷心 全唐詩・荊叔)
禮樂無「處」無之 
論語集注・陽貨)

これを「心を傷ましめざる処無し」「之無き処無し」と読むことは、意味よりすれば問題なくても文法上問題があると思います。この「処」は名詞(厳密には叙述態名詞)でして帰着性(客体概念を欲する性質)はないのですから、何の故あってそのように返って読むことができましょう。もし返って読めば学習者を混乱させてしまうかもしれません。これらはいずれも「処にして」と素直に読み下してゆけばよいもので、決して「処無し」などと返って読む必要はありません。構造は以下のものと同じです。

置之於左右、是欲說無處而不在也 大學衍義補)
必有號令之頒如身之出汗、無處而不浹洽 (同上)

」のあとに「而」がありますから誰でも「処にして」と訓読することでしょう。またこれは以下のようなものと文法的に同じ構造です。

「人」而無信、不知其可也 (論語・為政)
焉有「君子」而可以貨取乎 (孟子・公孫丑下)

通常、「人にして信無くんば」、「いづくんぞ君子にして貨(たから)を以って取らるべきこと有らんや」と読み慣わしておりますが、これとても意味よりして「信無き人(は)」、「貨を以って取らるべき君子(有らんや)」などと返って読むことはできますが、そのように読む人はあまり居らないでしょう。

この「人」や「君子」は叙述態名詞といいまして動詞と同様叙述性のある詞です。「其の主体が人であって」「其の主体が君子であって」と考えるべきもので叙述性(判定性)があります。動詞と効果を同じうするので主語を取りうるのですが、ここでは合主化しています。これにより最初の「処」もまた叙述態名詞であるという説明に納得していただけると思います。



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