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婦人の孝

【漢の陳孝婦】

漢のとき、陳という国に十六にして嫁ぎ、まだ子のない女がおりました。時に、夫が戦争に行くことになりまして、妻にこういうのです、「私は兵役に行く以上、生きて帰ってこれるか、死ぬかは分からない。しかし、老いた母の事が気がかりである。もし私が帰って来れなかったときは、どうかお前が世話をしてやってはくれぬか」と。婦人はこれを承諾しました。

結局、夫は戦死して帰りませんでした。三年の喪に服した後、婦人の親が、娘が若くして寡婦になったことを哀れみ、別の男のところに嫁がせようとしました。しかし、彼女はそれを拒んで言うのです、「夫が戦争に行くとき、老いた母をお世話することを約束しました。そも人の老母をお世話すると言って果たせず、人と約束をして守らないのならば、一体どうして生きてこの世に立つことができましょう」とて自殺せんとの勢いでありましたので、親はこれ以上言いませんでした。そうして二十八年の歳月が流れ、姑はその天寿を全うし八十余歳で亡くなりました。

その後、婦人は自ら貧しくなるのを顧みずして、老母の田宅財物を売って葬式の費用に当て厚く葬り、又祭礼に供養しました。このことを当時の淮陽の長官が天子へ奏聞しましたところ、朝廷は使者を遣わし、黄金四十斤を下賜され、終身諸役を免除されました。この婦人を号して曰く、「孝婦」と。


原文

漢陳孝婦年十六而嫁、未有子、 其夫當行戍、且行時、屬孝婦曰、我生死未可知、 幸有老母、無他兄弟備養、吾不還、汝肯養吾母乎、 婦應曰諾、 夫果死不還、 婦養姑不衰、慈愛愈固、紡績織紝以爲家業、終無嫁意、居喪三年、其父母哀其少無子而蚤寡也、將取嫁之、孝婦曰、夫去時、屬妾以供養老母、妾旣許諾之、夫養人老母而不能卒、許人以諾而不能信、將何以立於世、欲自殺、其父母懼而不敢嫁也、遂使養其姑二十八年、姑八十餘、以天年終、盡賣其田宅財物以葬之、終奉祭祀、淮陽太守以聞、使使者賜黃金四十斤、復之終身無所與、號曰孝婦 (小學善行)



語釈

「戍(じゅ)」は辺境を守ること。
(戍)も(伐)もいずれも説文には「从人持戈」とあり。人の戈(ほこ)を持つによって出来たものでありますが、「伐」は人が戈を荷い持つの意にて、「戍」は図の通り戈を立てて其の下に人がおるのです。それが為に「守る」の意になるのです。(高田忠周『大系漢字明解』)

紛らわしい字を挙げておきます。「戉(えつ)」はまさかり、大きな斧です。「戌(じゅつ)」はいぬ、「戊(ぼ)」はつちのえ。「茂」の原字です。

「屬」は付託すること。
細かいですが、「唯、諾、兪」は応答にのみ使いまして、意味より言えば「はい」くらいなものでありますが、品詞としては感動詞ではなく動詞です。「正唯弟子不能學也」「鞠武曰敬諾」などのように上に修用語を冠してあることが有ります。ただ「唯唯(いい)」は謹んで命を奉ずる意で感動詞です。

「紡績織紝(ぼうせきしょくじん)」はつむぎはたおること。

「卒」はやしない終わること。
「以聞」は天子に上奏すること。

「復」は註に「復謂除其家之役(復は其の家の役を除くを謂ふ)」と有り、「與」は及の意。注に「徭役皆無所干預也(徭役皆干預するところ無きなり)」と有ります。「干預」は関係すること。
漢文法

孝婦~」「婦諾」「孝婦」などの「曰」は、前に実質的意義を表す記号動詞があるならば、其の時の「曰」は日本語の「~と」に当てて読むも可。これは非文法的な説明ではありますが、便利のために申すのみです。それぞれ「~孝婦に属す」「婦、諾応ず」「孝婦号す」と考えるも構わないというのです。文法的に申せば、それぞれの「曰」は前の記号動詞が帯びるべきであった生産性という形式的意義を専有しておるのです。この場合、記号動詞は非生産化します。「封文信侯」(呂不韋列傳)のように、一詞で実質的意義と生産性(形式的意義)とを兼有するも可。

「且(まさに行かんとする時)」の「行」と「時」との関係は連体関係の連外。「まさに時に行かんとする、ソレノ時」(且時行之時)の意。「行」は本来被修用語として修用語たる「時」を統率するところでありながら、却ってその従属語に自らが統率されることになるのです。「罷備漢(漢に備ふるの守禦を罷む)」(淮陰侯列傳)が、「罷所以備漢之守禦」であるのに同じ。これも自ら(備)の修用語(従属語)に却って従属しておるのです。主体でもなく、客体でもない、それ以のものになることから、連外というのです。「夫(夫去る時)」も同じ。

「居喪三年」は「居喪・・・三年」(主体関係)です。「喪に三年居る(三年居喪)」ではなく、「喪に居ること三年なり」です。





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漢文法の解釈への応用例

漢文法を学んでおると一体漢文読解に当たりどのような効果があるのか、楊伯峻の『文言文法』に都合のいい例を見つけましたので、大意を載せておきます。

子夏喪其子而喪其明、曾子弔之曰吾聞之也、朋友喪明則哭之、曾子哭、子夏亦哭曰天乎、予之無罪也、曾子怒曰商、女何無罪也 (禮記檀弓)

この句は訳せばこういうことです。「子夏は自分の子供を亡くし、悲しみのあまり失明した。曽子が弔問に来て言う、『友人が失明したときには哭すと聞いている』と。そうして曽子は泣いた。子夏もまた泣いて言う、『運命であろうか、予之無罪也』と。曽子が怒って言う、『商(子夏の名)よ、御前がどうして罪が無いと言えようか』と。」

この「予之無罪也(予の罪無からんや)」を訳して、「私には罪がありませんのに」とでもしたら、ちょっと解釈としてはいまひとつであります。この「予之無罪也」という句は、主体的連体語の連体関係でありますから、実はまだ完全な断句(sentence)にはなっておらないのです。つまり、子夏の台詞はまだ発言の途中なのです。「私に罪が無いのは・・・」と言い掛けたところなのです。このあとに何かを言おうとしておるのです。そういうことが分かればこそ、曽子が怒りのあまり横合いから子夏の発言を遮っておる光景が目の当たりに感ぜられるのです。文法の理解無くてしては、このように深く原文を味わうことは出来ないものです。




【補足】
主体的連体語の連体関係より成る連詞は概ね連詞的名詞になります。「時計」のようなのを単詞的名詞というのに対して、「十年前に先生から頂いた時計」のようなのを連詞的名詞と云うのでした。要するに出来上がった結果からみてそれが名詞なら、どれほど内部が複雑なものでも名詞だということです。どれほどたくさんの材料を用い、手間を掛けても、一つの皿に盛れば一つの料理であるというのに同じです。

出来上がった結果としてみれば、それが名詞であれば従属的な用法にも運用されますし、独立的な用法にも運用され得ることは単詞の名詞の場合と同じです。つまり、上記の「予之無罪也」のようなものが言葉の途中(従属的)であると言うのは、絶対的なことではありませんので注意してください。名詞であるからには文を結ぶ力を持ちうるのです。

有成與虧、故昭氏之鼓琴也、無成與虧、故昭氏之不鼓琴也 (荘子齊物論)
「昭氏之鼓琴也」「昭氏之不鼓琴也」は連詞的名詞で、且つ独立終止(叙述態名詞)しております。出来上がった結果から見て名詞ですから、「昭氏が琴を鼓す」ではなく(これでは動詞です)、「昭氏の琴を鼓する」です。分かりにくければそのまま「昭氏の鼓琴」と読んでよい。昭氏の琴を鼓するというそのことの意です。



勉強の工夫と白文の読み方の実際的順序について

朱子の読書法に勉強の工夫を述べてこう言うております。

もと学問の明らかにならないのは、表面上の工夫が足りないのではなく、却って自らに由って立つべき基盤がないからである。
(元來道學不明。不是上面工夫。乃是下面無根脚。)

この言葉の意味を発明するに資するものとして、松下大三郎博士と若かりし徳田政信博士の問答の一部を載せておきます。昭和九年冬の昼下がりに行われたこの問答が、松下博士と徳田博士の最初で最後の面会となります。即ち、松下博士、翌年昭和十年五月二日、五十七年の生涯を閉じることになります。

当時の文法書には、英文法に倣ったのか、能相・所相(打つ、打たる等)とか、受身・使役の転換(打たる、打たす等)とか、動詞と形容詞の転換(高し、高む、赤し、赤む等)というようなことが説かれていた。私(徳田博士)はこれが気に入らなかったのである。しかし、議論の上で完全に論破する決め手が得られなかった。そこで先生にお尋ねしたのである。すると先生は即座に、口ごもりながらも(筆者注:脳溢血後の後遺症のため)、たった一語に答えられた。曰く、『きりが無い』と。私はこれで胸のかたまりがスーッと解ける思いがした。なるほどそうだ、文法上の「転換」(言い換え)というのは、学問ではなくて技術である。何と何とにでも応用できる。こんなものが学問であるわけがない。そもそも原理として無用なのである。それを個々のケースごとに是非を論じようとしていたから、まったくキリがなく、論破できなかったのである。

松下先生は、一発でその本質を突かれたわけである。やがて、このようなことを書いてある文法書は、姿を消した。先生は、学問と技術とを区別し、また、スカラーとプロフェッサーとを峻別しておられた。真理を発見するのは、一人の探求者であって、十人のプロフェッサーではない。

本を捨てて枝葉の議論にはしるときりがない。幕末の学者、藤田東湖は『弘道館記述義』の中にこう述べてある、

善く疾病を治するものは、先ず一番に其の身を養生し元気を取り立てるものである。これと同じように異端を排除するにもやり方がある。いちいち個別にそれを攻撃して一時に快を取ることがあるにせよ、道の宜しきを得たものでなければ、醸成される禍変の突発を尽くは救いきれまい。異端を排するものは、枝葉に捕らわれず先ず一番に大道を修めるのが肝要である。

善治疾病者、先養其元氣、善排異端者、先修其大道、若徒攻撃驅除、取快一時、則禍變所激、將有不可勝救者、是不亦排之者未必得其道乎

漢文法

  • 「善治疾病者、先養其元氣、善排異端者、先修其大道」はきれいに対になっております。

治疾病元氣
排異端大道

「治」が動詞なら、「排」も動詞と推測できます。「治」と「疾病」との関係が客体関係だと分かれば、「排」と「異端」との関係も客体関係であろうことはやはり推測できるのです。「まず字眼を大局的に掴め、造句法を考えろ、兎に角対偶法(上記のような分解)に分解してみろ、明瞭なところから訓点を施し、形式的にでも漢文の組み立てを明らかにしろ」などというのが、佐々木藤之助氏や吉波彦作氏など昭和の学者の謂う白文の読み方の実際的順序第一位であります。漢文法の出番は、そのようにして文を幾つかの段なり節なりに分解して後の話です。ちょっと練習に下の漢文を見てください。孟子の一説でありますが、句読も何もない白文です。

父子有親君臣有義夫婦有別長幼有序朋友有信」

これをよく眺めて共通な形式を見つけ出すのです。これはもう機械的にやってよい。一種のパズルのようなものであります。しばらく眺めておれば、「父子」「君臣」「夫婦」などの塊が目にとまるようになりましょう。それに気が付けば、後はもう機械的に「長幼」「朋友」も塊として見えるはずです。

父子有親君臣有義夫婦有別長幼有序朋友有信」

とまあこういう風に見えてくる。ここに於いて「父子」や「君臣」などの後ろの二字をさらによく見れば全てに「有」の字が共通しておるのがわかります。もし気が付かなければ、「ゆうしん」「ゆうぎ」「ゆうべつ」「ゆうじょ」などと音で読んでみればよい。目には気が付かなくても、耳で気が付くこともあるものです。そうしますと結局こういう構造であることが分かる。

父子
君臣
夫婦
長幼
朋友

ここまで分解できれば最早漢文法の力を借りずとも凡その意味は取れるものです。訓読すれば、「父子に親有り、君臣に義有り、夫婦に別有り、長幼に序有り、朋友に信有り」となります。


  • 是不亦排之未必得其道」の「是」は修飾形式副詞。名詞と云うほどはっきりと何かを指しておるわけではなく、「すなわち」くらいの気味。「不亦排之者未必得其道」の構造は、「亦排之者未必得其道」に「不」が懸かり、更に反転しておるのです。構造を簡略化して示せば、「是不(亦X)」ということ。「是れ亦たXならずや」の意であります。()の中身は一旦表示態名詞化し、再び叙述態名詞化したものと考えればよい。「其道」の下に「者」を補うと分かりよい。文法的直訳をすれば、「これやっぱり異端を排斥する者が未だ必ずしも其の道を得ておるというのではあるまい、ということが違うか(いや、違うまい)」の意(五百三十一項、八百十八項参照)。「亦」は本副詞。接続詞でないから、「~も」の意味がないところに注意。これに同じ構造を漢文に求めれば、たとえば下のようなものがあります。

是不亦責於人已詳 (韓愈原毀)


「是不亦~者~乎」と全く同じ句法であることが分かりましょう。


補語についてのメモ

メモというより妄言とで思ってください。ちょっと思いついたので書き留めておくのです。



現代中国語にても動作の状態を表さん為には、漢文と同じく被修飾語の前に動詞などの類を修用語として置くのです。即ち、

非常天真的笑 (非常に天真に笑ふ、無邪気に笑う)

の如きであります。「非常天真的(地)」は「笑」に対して修用語になっております(中国語文法では状語と呼ぶようです。)。松下文法で云えば、動詞の連用格的用法です。漢文との違いは、漢文は動詞を連用格的に運用したところで何かを付け足す必要は必ずしもありません。たとえば「疑行(疑いながら行う)」の類です。「疑」は何等の変化無く「行」に対して修用語となるのです。

この連詞は「笑」が文の成分として被修用語でありますから、代表部(統率部)と云うことになります。「非常天真的笑」の意味は要するに「笑う」ということです。「非常天真的」は単なる修飾語にして従属部です。

然るに、

笑得非常天真

とすると、どうでありましょう。これをも亦「無邪気に笑う」と訳せば、最初の文と区別が無くなってしまいます。

これは「非常天真」を代表部とする句でありますから、文法的直訳をすれば「笑ひ得て非常天真なり」とでもなりましょう。笑ってその効果がどうかと言えば「非常天真である」というのです。「言い得て妙」などと同じ気味です。これを踏まえて以下の例文を見てみましょう。

他睡得早、起得晩

これなども「彼は早く寝て、遅く起きる」というのではなく、もちろん解釈としてはそういうことでありますが、文の気味を保ったまま直訳すれば、「彼は寝ては早く、起きては晩い」または「彼は睡り得て早、起き得て晩」とでもするのがよい。こうすれば原文に於いて代表部である「早」「晩」を訳に於いても代表部として訳出したことになります。何より支那人の観念の連続の仕方を体感するに緊迫しておるように思う。「睡」という観念が先ず「得」という観念に連用的(修飾的か補充的か、ちょっと分からない。修飾的とすれば、「得」は被修飾形式動詞となる)に従属し、この大なる統合観念が再び「早」という観念に修用的に従属しておるのです。

しかし、ここに外形こそ同じなれど意義を異にするものがあります。たとえば以下のようなものです。

想得清楚

「想」は考える、「清楚」は明らか、はっきりしているの意。

この「得」は、漢文の帰着形式動詞の「得」と同様に考えて、「清楚なるを想得す」と訓めばよい。「考えてその効果が明らかなるを得」という形式的意義ありて後、「明らかに考えることが出来る」の意に至るのです。端から「明らかに考えることが出来る」と解釈したのでは、原文の気味を損なってしまいます。

先の例文は「笑得・・・非常天真」(修用関係)の如く分析され、この文は「想得・・・清楚」(客体関係)と分析されるのです。先の「得」は従属部で、この「得」は代表部です。先の「非常天真」は代表部で、この「清楚」は従属部です。

「笑得」「想得」の連詞関係は実質関係というべきか、修用関係というべきでありましょうか。


漢文、白文の学び方

昭和の漢詩人、太刀掛 呂山氏曰く、

この頃よく、「私は小学校しか出ていないので、先生の文章に出てくる文法上の術後の意味が分かりません。そのために苦労します。どうしても漢文の文法をやらねばならぬと思っています。何かよい漢文典を紹介してください」と云う方が多い。

さて其の答えは困る。よい漢文典を紹介してあげようにもないのだから。

右の答えはもちろん不親切極まるものであって、漢文専攻者は明治以来の各家の漢文典をもっているだろう。高校の国語教師などは持っていないと言って良い。古本屋でも入手は頗る困難だ。

一体どうしてかと云うと、あまり必要がないから従って著述しても売れないし、市場に出て来ぬのである。僕自身も児島、広池、佐々木、世良、田森の諸先生のは持ってはいるが、高閣に束ねて読まぬ。『馬氏文通』なども見ることは殆ど無い。ただ、『詞詮』、『助字弁略』、『詩語解』などは、常に調べる必要があるから用いるが、こういうものは初心者には一行も読めるものではない。

森崎蘭外氏が語った言葉を思い出す、「初心の人に文法的術語を使用して説明することはいけません。その人に劣等感を与え、学ぶ意欲を失わせますから」と。

漢文の力などといっても、自分は漢文を五年間習ったことがあると言う人と、全然やったことが無いと言う人との間に詩を学ぶに際してのハンディはないと言ってよい。

「創作の立場からの対句法」には實字、虚字、助字の三分類で一生を通してよいと言う立場から説明しておいた。

ただここに一口に助字といっても、其の中身は一様ではないので、副詞とか、助動詞とか謂う言葉がどうしても説明に出てくる。

南窓読静古人詩 (南窓に読む静かに古人の詩を)

と作ってはならぬ。「静読」にしなくてはならぬという説明の際に、副詞とか連用修飾とかいう概念は必要になってくるからである。

そこで本論に立ち返って、遠隔の地にいる人々に左のように答えておく。

漢文法の本は入手できないし、必要もない。しかし、術語として副詞とか、助動詞とか、或は名詞とか、形容詞、動詞のごときものは、書物で勉強することはやめて家族の若い子弟児女に問いなさい。納得を相手がよく与えぬときは、中学校や高校の国文法の本を出させて質問しなさい。それで概念を掴む事ができればよい。


(中略)

漢文の力はどれくらい要るか。筆者の門下には小学卒だけで立派に詩人となっている人も沢山ある。要は入門してから必要とあれば自分がやる。詩が作りたいか ら漢文をやり、平仄韻字を覚えて、さて詩を作ろうというものではない。英語の習い始めから英作文があるのと同じだ。ただ詩は読まねばならぬ。参考書は前に あげた。更にそれ以上に進むためには唐本を読むようになる。しかし唐本となると高校漢文教師の力くらいでは読めぬ。然るに詩が相当出来る人はほとんどと 言ってよい程読めるようになっている。詩から読書力がつくのだ。

(補足)「静読」と書けば、「静かに読む」(修用関係)と読めますが、「読静」と書けば、「読むこと静かなり」(主体関係)と解せることに注意。

当ブログは漢文法を主として扱うにも拘わらず、上記のような文章を載せますは、物事には順序がありまして、他の言語もそうでありましょうが、特に漢文の場合には文法よりも漢文に慣れ親しむことが先決であることを、ここに亦た明らかにしておきたかったためです。しかし、漢文法の必要を無みするものではありませんで、真面目に漢文を研究しておれば当然文法にも興味が湧いてきましょう。それから後に漢文法を学び、国語や英語と比較するに至ればよいと思うのです。まだ其の時でないのに奮迅と為さんとすれば、成るものも却って駄目になってしまうものです。陸象山もかくいうております、「学問に志すものは、自らの分に従って学んでこそ益するところがあるものである、早く成長せんことを望みわざわざ苗を引っ張り、すべてを駄目にしてしまわないように気をつけよ(人茍有誌於學、自應隨分有所長益、所可患者、有助長之病耳)」


上記太刀掛 呂山氏の言葉は漢詩についての話でありますが、漢文も同じことでありまして、文法なり句法なりを一通りやってから漢文を読むものではない、戦前の参考書が殆ど解釈の中で漢文特有の語法を学ばせておりますように、まず漢文そのものに馴染むのが肝要であります。私自身も文法をやってから漢文を読み始めたのではなく、漢文を読み始め、然る後に漢文の訓読に疑問が生じ、そうしてから漢文法と云うものを勉強し始めました。以下の島田氏の言葉にもありますが、漢文に於いては、解釈が主で、文法が従であるというのは其の通りだと思っています。


幕末明治に於ける漢学者島田篁村の御令息、島田鈞一氏は漢文法と解釈とについてこうおっしゃっております、

漢文を研究するのには、よく其の文章の解剖をして、品詞の区別、文章の接続の具合などを詳細に研究する必要がある。兎角に漢文を読む場合には、漢文といふことにのみ頭を注いで、已知の知識を応用することを忘れている人が多い。中等教育を受けたものは、国語、外国語に就いて、文法は十分に知っておるはずである。文法上の概念は、いずれの語学、いずれの文学にも共通である。それ故特別に漢文の文法を学ばなくとも、漢文の字句を解剖する場合には国語、外国語の文法を応用すれば、漢文を理解する上に於いて大いに効がある。外国語は最初から文法が非常に必要であって、文法を知らなければ、文章を理解することは殆どできない。外国語は文章を一目すれば、縦令その文章の意味は十分理解できなくても、名詞は冠詞があり、動詞には変化があり、これ等の主要の言葉が分かっているから、その他形容詞副詞などの品詞は、文章上の形式で大凡察しられる。これ等の文法を基礎としてその意味を尋ぬれば、文章の解釈の上に、非常な助けとなるであらう。

然るに漢文の文法に就いて言ふと、名詞には、特別に名詞といふことを知る冠詞も無く、固有名詞を特別に大文字で書くといふ訳でもない。動詞には変化もなく、文章の大体が、全く理解されないで外国語のように、文章の形式だけで、すぐ分かることは難しい。漢文は大体の理解力を持っていて、問題に接触した場合、ほぼ理解しうる知識があって、中に難解の字句があった時に、初めて文法を応用し、解剖的に分解して、ここに正確に文章を理解することが出来るのである。外国語は文法が主で、解釈は従であるが、漢文は理解力が主で、文法は従である。漢文は、問題に対しておぼろげに意味が分かるだけの理解力が無ければ、文法を利用することは難しい。

『司馬君實為宋名臣』といふ文章を「司馬君は実に宋の名臣たり」と読んだものがあったが、そう読んでも文法から言へば別に誤りではない。ただ君實は司馬光の字であるといふ歴史的知識があって、初めて正確に読みうる。これは固有名詞であるが、その他の品詞でも、問題に相当しただけの理解力がなければ、とても文法を運用して正確に解釈することは難しい。

世には漢文を最初から、文法的に教へる人があるけれども、全く文法の概念もない初学のものに対して、品詞の区別などを漢文で教へるといふことは、一寸斬新の方法に見えるが、実は極めて迂遠な方法と思ふ。それは、漢文には品詞に就いて、国語や外国語ほどの精密な規則を立てることが難しいからである。最も漢文にも文法はあるに相違ない。言語文章がある以上は、文法のあるは当然で、支那に馬氏文通だの、日本にも数種の漢文の文法書があるが、いずれも皆専門的になっていて、学生の漢文研究としては、余りに繁雑でもあり、且つ必要も少ない。自分は学生に対しては、漢文の解釈力を養って、既に自分の理解出来た問題について、已知の国語、外国語の文法を応用して、文章を解剖し、正確に理解が出来れば、其れでよいと思ふから、漢文を解剖して正確に理解する予備として、国語、外国語の文法には正確なる知識を得て置く必要がある。最初から余りに繁雑な規則を設けて、この形式から漢文を取り扱うとすると、労して功少なきのみならず、却って非常な誤解を生ずることが往々ある。正宗の名刀も、これを使ふ人の技量によって功を奏するが、技量のないものは利用することが出来ないと同様で、漢文に就いては、文法は学生に相当の解釈力があって、初めて利用せられるのである。しかし、漢文には漢文特殊の字法句法(たとえば倒句法などの類)がある。これ等の如き、普通文法で説明のできないものは、解釈編に問題を説明する際に、その折に触れて説明しやうと思ふ。この漢文特殊の規則は、学生が十分注意して、記憶すると共に之を応用することを望む。

「漢文には品詞に就いて、国語や外国語ほどの精密な規則を立てることが難しいからである」とありますが、これに附きまして少し補足すればこういうことだと思います。すなわち、古歌にも『年のうちに春は来にけり ひととせを去年とや言はむ 今年とや言はむ』とあるように、定義に欠陥はなくても現実にはその定義の間をゆくようなものが出てくるものであります。名詞と動詞の区別は定義として厳密であっても、それを実際の文章解剖に応用するときに名詞か動詞か、どちらと云うべきか迷うものがあるものです。こういうことが漢文には特に多いというのです。何しろ外形上の変化がないのでありますから。因って、漢文にも規則は立てられるが、其の運用に当たっては判断に迷うことが起こりやすいというのです。

たとえば「喜」というのは名詞か動詞か、「喜び」「喜ぶこと」と言えば名詞として扱えますし、「喜ぶ」と言えば動詞として扱ったことになります。日本語では概念の運用に対応して名詞と動詞とを区別できるところが、漢文の場合にはそれが形の上には一切現れておらないのです。「喜」という概念が如何に運用されておるかは結局文脈なり、語の排列なりから読者が判断しなければならないのです。西洋の文章なら語の形がそれを教えてくれるのに、漢文に於いてはそれを読者の側が判断しなければならないのです。漢文の読書と云うのはそういう点で西洋の言語よりも難しいといえます。



簡野道明先生と魯仲連

明治から昭和に懸けての漢学者である簡野道明先生の小伝が簡野育英会のホームページに載っておりましてそこにこうあります、以下そのまま引用致します。
一歩を譲る

 先生の処世訓に「すべて物事は万事控え目にして、一歩を人に譲れ。」とある。仮に十だけの仕事をしたとき、十の報酬を得たとすれば、これは当然で正しい取引であろうが、社会奉仕という立場から考えてみると何も残らない。世の中で尊いものは無報酬の仕事である。無報酬の仕事を多くすることが人格の向上であり、徳を積み修行していく方法である。十の仕事で、五の報酬を得て満足すれば、五の仕事が残る。全然報酬を得ないで満足すれば十の仕事が世に残る。このような無報酬の仕事を陰徳というのである。陰徳を積み重ねていくと、やがて良い報いが表れてくるのである。こんな人はいつも心が広く、体も伸びやかであると言われている。また、十の仕事をしながら、十二、三あるいは二十、三十の報酬を欲しいと願い、もし得られたならば成功したと思い、幸運であったと喜ぶものがある。このようなものは、常に借金を負っているようなものであって失敗者であり不幸である。道に外れて金持ちになったとしても、それは浮き雲のようにはかないものである。実力以上に認められようとするのは誠に気の毒なことである。そんな人でも時には金持ちになり、栄えることがあるかも知れないが、それはほとんど期待 できない・・・と。


支那戦国時代の末期に魯仲連という在野の学者がおりまして、彼は趙の為に謀って国を救うほどの働きを致しました。そこで趙の公子平原君は彼を封じようと申し出ますが、固く辞して受けない、さらに千金以って致すも亦た固く辞して受け取らない。

そして魯仲連笑って斯く言うのです、「天下の士には貴ぶものがあります。それは人の為に憂えを除き、困難を解決するも、何も受け取らないということです。もし受け取るようなことがあれば、それは商人と同じです。私はそのようなことを為すに忍びないのです」と。






これまた簡野育英会からの引用であります、
清富論

ある亡き友の追悼録に書いている言葉に「漢学者は、ややともすればお金や品物など経済面を軽く視る癖がある。これは誤った考えであって、元の許魯斎が『学問は暮らしの道をたてることを第一とする』と言っているが、これは実に永久に変わらない戒めとして心に留めて守っていかなければならない。」と。これも簡野先生の持論であって「生前どのように立派な人であっても、その人が死んでから後、直ちに子孫が路頭に迷うようなことがあってはならない。清貧ということは美しい言葉であるが、褒めるようなことではない。妻や子が生活してい けるように考えてやるのも人の道として自然である。」と。また、「世間には、貧富にそれぞれ二通りあって、富の方には清富と濁富。貧の方にも清貧と濁貧とがある。清貧は最も美しいが、少し誤ると忽ち濁貧になり易い。しかし清富は人道に従って行っていけば、到達しやすく、また守り易いのである。人間は正当な努力によって清富を求めなくてはならない。」先生の清富論は以上のようなものであるが、先生はこれを立派に実現せられたのである。永年の困苦欠乏に堪えて、よくこの「清富」つまり、お金や財産を得ることができたのは、なみなみならない苦労があったであろうが、また、この成功の陰には大いに夫人の苦心があったのである。
許魯齋の言葉の原文を見ておきましょう。
學者以治生為急
漢文の学習に際し、はじめのうちはこういう短い漢文(十字から三十字前後)をたくさん読むのが良いと思います。私が塚本哲三氏の『漢文解釈法』を使って漢文を勉強し始めたときも比較的短いものを択んで練習しておりました。

この許魯齋の言葉を読むに当たって先ずどうするかということでありますが、今回の場合は既に意味も分かっておるのですからそんなに難しいところも無いと思いますが、もしそうでなければ兎も角まずよく見る、できることなら書き写すべきです。見ると云いますのはもちろん上から下へ向かって見るわけでありますが、もう少し詳しく申せば全体を全体として見るのです。字として見るよりは句として見るのです。上文で言えば、「以~為」の骨格を見抜くことであります。それさえ分かれば、「学者は治生を以って急と為す」と訓読することができるのです。

清史稿に上の言葉を註してこう言うております、これも試しに書き写して御覧下さい、これくらいの漢文は何も漢文法の力を借りずとも我々日本人にはよく読めるものであります、漢文といいますのは非常に入り易き学科なのです、

愚謂治生以稼穡為先、能稼穡則可以無求於人、無求於人、則能立廉恥、知稼穡之艱難、則不妄求於人、不妄求於人、則能興禮讓、廉恥立、禮讓興、而人心可正、世道可隆矣 (清史稿儒林)

ちょっと文の構造を見やすくしてみましょう。
愚謂治生稼穡
能稼穡可以無求於人無求於人立廉恥
知稼穡之艱難不妄求於人不妄求於人興禮讓
廉恥立禮讓興

人心可正
世道可隆
「愚謂」は「愚謂へらく」「I think」の意。「治生」は題目であります。「治生は」と読めばよい。暮らしの道を立てることの意です。それから「以~為(~を以って~と為す)」の構造を見抜くことが大事です。次に「則」の前後をよく見てください。「A則BB立廉恥、C則DD興禮讓」の構造になっておるのです。結局、農業を以って先務と為せば、立廉恥興禮讓であるというのです。そして廉恥立禮讓興にして後、人心可正世道可隆というのです。先に申しました全体を全体として見るというのは、このように文全体の構造を大まかに把握することを謂うのです。吉波彦作氏の文検用の受験参考書にこうある、

凡ての白文を訓読しようとするに際して、最も捷径であり適切であり、確実であるものは、造句法から考察することである。造句法の概要に熟達しておるならば、如何に未見の白文でも容易に訓読するを得ることは、私の経験上から確信して疑わないものである。 (『漢文研究要訣』)

ここに「造句法」とありますのは、簡単に言えば句の構造作法です。たとえば「立廉恥」を「廉恥を立つ」と訓読できれば、「興禮讓」も同じ関係にある句でありますから、「礼譲を興す」と読めるのです。これを「礼を興して譲る」などとしては、「立廉恥」と対になってる関係を無視してしまうことになるのです。対の関係になっておるものはそれに注意して読まなければなりません。「人心可正」もこれが「人心、正しかるべし」と訓めれば、「世道可隆」の「世道」も「世々道(い)ふ」などと読むべきでないことがすぐに分かる。なんとなれば、「人心」が名詞であれば、「世道」もまた名詞たるべきであるのです。これが対の意味です。






客体関係の内部に提示語があり得べきか

秦の始皇帝の太后は多淫でありまして、立派なものを持つ嫪毐(ろうあい)という男を自分の側に置いておきたいと思っておりましたが、其の男が去勢の刑に附せられると聞き及びまして、さてどうしたものかと思案しておるところに宰相の呂不韋がやってきてこのように云った、

可事詐腐、則得給事中 (史記・呂不韋列傳)

「偽って刑に処せられたことにすれば、宮中にて召し使うことができますよ」といった意味であることは察しがつきましょうが、この部分の訓読の仕方というのが、二三冊調べてみた範囲では皆以下の如きものでありました。


返り点

『新釈漢文大系』も『史記列伝講義』もどちらも同じ解釈であります。返り点の打ち方に若干違いがありますが、結局「得」から「可」に返っております。果たして文法上このような返り方が可能かどうか。といいますのも、「可」は帰着形式動詞でありますから、下の詞(事詐腐、則得給事中)に対して帰着語であり、其れに対して下の詞は客語ということになります。

ここで問題となりますのは客語(事詐腐、則得給事中)の連詞中に於いて提示語があるということであります(これは「則」がある為に、「事詐腐」が提示されておることが明瞭となるのです。「則」は常に提示語。)。さて帰着語が、提示的修用語を内部にもつ客語を取ると云うことはどういうことでありましょうか。そもそもこれが許されるのならば、「不可何如」(「何」が提示語)も許されるべきでありましょうが、実際には「不可如何(如何ともすべからず)」の語順でなければなりません。また、

寡人有子、未其誰立焉 (春秋左氏傳閔公)
汝陳丞相已去、文丞相已執、汝何為 (續資治通鑑)

このような例を挙げて客体関係内の提示的修用語に問題のないことを言わんとする方もおられるかもしれません。しかし、これらの「知」や「欲」の類は理論上、帰着語としてではなく、帰着性従属的用法にある一種の修用語として看做すこともできまして、客体関係内に提示的修用語があると見られ得るものの殆どは、この帰着性従属的用法にある修用語と為して何等矛盾無く決着することができるものと思われます。すなわち曰く、「未だ其れ誰をか立つるを知らず」ではなく、「未だ知らず、其れ誰をか立てん」であり、「汝何をか為さんと欲す」ではなく、「汝欲すらくは、何をか為さん」であると。

このように考えてきますと、先の「可事詐腐、則得給事中」の「可」の部分が、たとえば「謂」であるならば、話は簡単でして、「謂」を帰着性従属的用法にある修用語と考えて読み下せばよいのです。そうしますと、「謂へらく、事腐と詐(いつわ)らば、則ち中に給事するを得ん」と読めます。然るに、「可」には語法上そういう使い方をすることがないのですから、帰着性従属的用法とはちょっと考え難い。客体関係内に提示的修用語があることもまた考え難い。そこで私は以下のように訓ずべきであろうと思う。
訓読


前者の「事」は「詐」に対する修用語ですので注意してください。「事可詐腐」とは異なります。後者は「事」を「為す」の意として訓んだものでありますが、両者いずれも「可事詐腐」を「得」に対する修用語と為しておる点は同じです。つまり、「ごまかすことが出来れば(可事詐腐)、宮中で召し使うことが出来る(得給事中)」ということです。



それからもう一つ、注意がありまして、「可事詐腐、則得給事中」に「」が無ければ、すなわち仮に以下のようであった場合です、

可事詐腐、得給事中 (筆者改作)
可事詐腐、而得給事中 (筆者改作)
こういう場合には「得」から「可」に返って読んでも何等問題ないのです(事腐と詐りて、中に給事するを得るに可なり)。「事詐腐、得給事中」または「事詐腐、而得給事中」の全体が「可」に対して客語になったとて何が問題になりましょう。「事詐腐」が素直に、つまり平説に「得」に対して従属しておると考えればそれで済む話です。上記の話は「則」あるが為に、すなわち客語内に提示語がある為に生じる問題なのです。

利益があるのか、無いのか、それが肝心(白文訓練)


戦国時代、韓より秦に救援申し込みの使者がやってきたときに秦の惠文王の妾にして昭王の母である宣太后が云うに、

「先王の足が私の体の上にあるときは重くて仕方がありません。しかし、其の体が全部私の上に乗っかっているときには重くないのです。これはどういうことでありましょう」と。




白文

宣太后曰使者來者衆矣、獨尚之言是、召尚子入、宣太后獨謂尚子曰、妾事先王也、先王以其髀加妾之身、妾困不疲也、盡置其身妾之上、而妾弗重也、何也、以其少有利焉、今佐韓、兵不衆、糧不多、則不足以救韓、夫救韓之危、日費千金、獨不可使妾少有利焉 (戰國策楚圍雍氏五月)


「髀(ひ)」はもも。「妾」は女の謙称で代名詞。「弗」は「不」に同じ。修飾形式副詞。「佐」は助けること。



  • 「召尚子入」は前の漢文速成講座でも申したところでありますが、「使尚子入」の意。「尚子を召して入れる」ではなく、「入らしむ」です。「入尚子」としたところが、やはり使動調でありまして、「尚子」は「尚子に『入』という動作を与える」の「与」という臨時に帯びた形式意義に対する客語です。「破趙軍」の「趙軍」が「趙軍に『破』という動作を与える」の「与える」に対する客語であるのに一般です。
  • 「妾困不疲也」の「疲」は意義が反転しております。思惟の再反省です。「不的に疲れる」という思惟をもう一度反省するのです。要するに疲れるのです。
  • 「妾弗重也」の「重」は文法的に申せば動詞性再動詞というもので、「以為重」と考えればよいです。すなわち「重からず」ではなく、「重しとせず」ということです。
  • 「以其少有利焉」の「以」は前置詞性名詞。文を結ぶ力がありますから、相として叙述態。「其の少しく利あるを以ってなり」の意。



漢文速成 三十三日間講座 (四)

前回までの三回で「語の研究」を終えましたから、ここからは「文の研究」に入ります。文の研究を分かちて二種と為しまして、一つを「単文の研究」、もう一つを「連文の研究」と云います。まず今回扱いますのは単文の研究であります。「連文の研究」は第二十七回目以降となります。

新楽先生曰く、

讀者は以上三日間を以って学び得たる単語と熟語とを組み合わすれば、左の六類十六種の単文を作ることを得べし、而して漢文に於ける根本的の構造は、此の六類十六種に出でざるものなれば、之を暗記して如何なる漢文を読むに当たりても自由自在に之を応用し得ざるべからず



「文の研究」

「単文の構造」(其の一)
今日の講座では六類のうちの二つを勉強します。
(赤字は松下文法との関連を補足したもの。)


単文とは・・・一つの主語と一つ(或はそれ以上)の説語とより成るものです。

第一類 主語+説語

【ア】主語が名詞で、説語が動詞のもの


「蛇が蟠(わだかま)る」と訓みます。(註)これ主体関係の連詞であります。日本語であろうと漢文であろうと、主語が先に来て其の後に叙述語がくることは同じです。「彼が本を読む」のようなものは、主語の「彼が」のあとに「本を」が来ておるから直ちに叙述語が来るとは言えないだろう、と思う方もおられるかもしれませんが、松下文法に則って言えば、「彼が」が主語で、「本を読む」全体が叙述語となるのです。「書を読む」を一つの文の成分と考え難ければ、「読書す」とでも置き換えればよいのです。また松下文法に於いて主語となりうるものは、名詞、副詞。叙述語となるものは動詞と叙述態名詞です。

【イ】主語が名詞で、説語が形容詞のもの



「蛇が長し」と訓みます。(註)これも主体関係の連詞です。


第二類 説語+主語

【ア】説語が「有」のもの
【イ】説語が「無」のもの


(註)決して主語が叙述語の下にあるのではありません。「蛇」は主語ではなく、客語です。ただ意思的他動ではなく、自然的他動というまでです。「有」も「無」も形式動詞でありますが、本動詞でもこの用法はあります。たとえば、「中天明月、令嚴夜寂寥」 (杜甫後出塞)の「懸」などがそうです。「明月を懸ける」のではなく、「明月を懸く」のです。虚主的動作です。日本語でも「庭に草を生ず」の「生ず」などがそれです。松本洪先生の『漢文を読む人のために』(百五十一項)に、「楚軍敗(楚軍敗る)」「敗楚軍(楚軍を敗る)」、「天寿終(天寿終る)」「終天寿(天寿を終る)」、「草生(草生ず)」「生草(草を生ず)」、などの例を挙げてそれぞれ前者が自動詞、後者が他動詞であり、この自他を誤ると意味が反対になるとおっしゃっておられるのでありますが、松下文法にて申せば、これらはいずれも同義自他動でありまして、「草を生ず」は「草が生ず」に同意義であります。ただ意思的か、自然的かの相違があるというのみです。

使趙不將括即已、若必將之、趙軍者必括也 (史記廉頗藺相如列傳)

少々論点がずれますが、上記の「破」を「やぶる」と訓むのならばちょっとそれは違うのです。「破」はもと自動詞でありますが、それが他動性を帯びて客語を取るようになったわけです。然らば、如何なる意味の他動性かと言えば、使動的意義を帯びたところの他動性であります。すなわち「趙軍をやぶる」ではなく、「趙軍を(して)破らしむ(使趙軍破)」の意であります。(楊伯峻 『中国文語文法』九十四項)

乃激張儀、之于秦 (史記蘇秦列傳)

この「怒」「入」も同様であります。「張儀を怒る」「これを入れる」ではなく、「張儀を怒らしむ」「これを入らしむ」です。「張儀」も「之」も原動の客語ではなく、使動性に対する客語です。





分からないものを分かる為の道筋

どうも分からないところを直接に分かるということは出来ぬ相談のようでありまして、既知より未知に漸進して行く以外に方法はないのではあるまいか、三段論法は既知より既知を引き出すとは雖も、やはり断案の既知たると、前提の既知たるとは自ずから精粗の差あることは疑を容れざるところであります。私の如き経験でも、分からないところが分かるときと云いますのは概ね既知のところを復習しておるときでありまして、復習中にふと知識が繋がることがあるものです。

未知を取りも直さず既知にすることは叶わぬことであろう、と頭では分かっておってもどうも分からないところがあると直様それを調べようとしてしまう、既に分かっておるところを更に精密に勉強することが近道であり、道理に適っておることなのでありましょうが、その作業を怠ってしまいがちであります。

然るに嘗て唐彪の『読書作文譜』を読んで居りましたところ、陸象山の言を引いてありましてそこに以下のようなことを述べてあるのです。
読書の作法を一通り学んだ後は、心を落ち着けてただ読書すればよい。必ずしも無理に其の旨趣を求めようとしなくともよい。分からないところは一先ず措いておけ(闕疑)。そうしたところで決して害はない。ただ分かるところを更によく分かるように心がけよ。そうすれば初めに分からなかったところも亦た自然に分かるようになるものだ。




この「闕疑(けつぎ)」の二字が重い。眼目でありましょう。「疑い」を持つな、捨てろというのではありません。しばらく置いておけというのです。「闕」は「全」の反対で欠け落ちたること。

以下の言葉もまた既知より未知に漸進していく法であり、其の意は一であります。これを実行に移せるかどうか。

吾之所以未得焉者、晝誦而味之、中夜而思之、平其心易其氣闕其疑、其必有見矣 (二程粹言)
讀書只是沈靜精密則自然見得分明 (勉齋黃)
毋過求毋巧鑿毋旁搜毋曲引 (北溪字義)

「吾の未だ得ざる所以の者は、昼誦して之を味はひ、中夜にして之を思ひ、其の心を平らかにし、其の気を易くし、其の疑を闕けば、其れ必ず見ること有らん」
「読書は只是れ沈靜精密なれば、則ち自然と見得て分明ならん」
「求むるに過ぐる毋かれ、巧鑿する毋かれ、旁搜する毋かれ、曲引する毋かれ」*「旁搜」は「旁引」に同じ。分からないところは一先ず措いておき、無理にこじつけて解釈するなと云うこと。

分からないところを主として、分かるところに及ぼすのではなく、分かるところを主として、分からないところに至るべきであると謂うのです。英文の解釈に当たり、分からないところを無理にこじつけたために、分かっておるところまで却って誤ることのあることを思えば思い半ばに過ぎましょう。




陸象山の言葉に附きましては、『陸九淵集』に原文がありますので、それを見てみましょう。

大抵讀書、訓既通之後、但平心讀之、不必強加揣量、則無非浸灌、培益、鞭策、磨勵之功、有未通曉處、姑缺之無害、且以其明白昭晰者日加涵泳、則自然日充日明、後日本源深厚、則向來未曉者將亦有渙然冰釋者矣





「揣量(しりょう)」はいずれもはかる意。意義をおしはかること。
「浸灌(しんかん)」は水にひたしそそぐこと。
「培益」はいずれも益し増やす意。
「鞭策(べんさく)」はむちうつこと。いずれもむちの意。
「磨勵(まれい)」はみがくこと。「勵」は特にあらとにて磨くこと。
「涵泳(かんえい)」は、「涵」はひたること。ここでは既によく分かっていることをゆっくりと自らに染み込ませること。
「向來」は従前。
「渙然(かんぜん)」はとけちる貌で、象形動詞。「冰釋」に対して修用語。
「冰釋(ひょうしゃく)」は氷が解けるように疑いが解けること。「冰」は主語ではなく修用語(品詞は変態動詞)であることに注意。




大抵読書は、訓詁既にこれに通ずる後は、但(ただ)平心これを読み、必ずしも強ひて揣量を加へず、則ち浸灌、培益、鞭策、磨勵の功に非ざること無し、或は未だ通暁せざる処有れば、姑(しばら)くこれを欠くも害無し、且つ其の明白昭晰なる者を以って日ごとに涵泳を加へなば、則ち自然と日に充ち日に明らかならん、後日本源深厚すれば、則ち向來未だ暁らざるもの、将に亦た渙然として冰釋すること有らん



  • 「訓既通之後」の「訓詁」は「既通」に対して修用語。名詞の平説的修用語か、客体的提示語かは不明瞭。もと「既通訓詁之後」の意だとすれば、客語が提示されたものということになります。いずれにしても「既通」に対して修用語であることに変わりはありませんので、大した問題ではありません。
  • 無非浸灌、培益、鞭策、磨勵之功」は、「非」が修用語で、「浸灌、培益、鞭策、磨勵之功」全体に掛かってます。これを仮に「X」とすれば、「無非X」となります。すなわち「Xに非ざること無し」となるのです。「非」は副詞で修用語ですから「非的にXなること無し」と考えれば直訳的です。「浸灌、培益、鞭策、磨勵之功」は単なる名詞ではなく、叙述態名詞。平心読書し強いて意義を穿鑿しないことが非的に云々の功である、ことは無い、の意。「無」は帰着形式動詞。
  • 「有未通曉處」は「有X」と考えればよい。すなわち「未通曉處」は「未だ処に通暁せず」の意ではなく、「未だ通暁せざる処」の意で名詞です。「通暁」は動詞の連体格的用法にある連体語。日本語では明瞭に区別できるところが、漢文の場合には外形上変化の無い場合が多いのです。文法の知識があれば、少なくとも文法的にはこうも読めるし、ああも読める、と云う風に文法と云う制限の中で試行錯誤できるわけでありますから、好き勝手に読んでまったく非文法的な読み方をしてしまうという憂えはないのです。
  • 「姑缺之無害」の「姑缺之」と「無害」との連詞関係は修用関係として読み下しましたが、無論、「姑缺之」で一旦切っても文法的に問題はありません。たとえば、「姑くこれを欠け」と動詞の終止格的(命令)用法として読むも可であります。
  • 「冰釋」は、名詞性動詞(変態動詞)です。たとえば、「雲散霧消」と言えば、「雲が散り、霧が消える」と云う風に主体関係の連詞と解さないように(もちろん解せ無いわけではありません)、この「冰釋」も「氷が釋(と)く」の意ではないのです。一種の修用語です。「釋」を「冰」で以って修飾、註解しておるのです。「氷の如く釋く」の意であるにしましても、それは意訳であり、直訳すれば、「氷と釋く」「氷と為りて釋く」となります。「氷と」の「と」は「夢と散る」の「と」に同じ。



漢文速成 三十三日間講座 (三)

今回でいよいよ「語の研究」が終わります。これが終われば皆さんはあらゆる漢文の語を分析、解釈できるようになるわけです。



【語の研究】


「熟語の研究」(前回の内容


第三類 形容詞


(赤字部分は松下文法との関連を補足したもの。)

【ア】同字を重ねたる者。所謂畳字。「たり」の仮名を附す。 「彬彬」の如し。(註)象形動詞です。「たり」を添えて読むと云いますのは、独立終止する場合のことで、他詞に従属する立場にあるときは、「として」を添えて読みます。もちろん「たり」に「て」をつけて下の詞に従属させてもよいのでありますが、不自然なので「として」を附けるのです。漢文では外見上何等の変化無く、それらの運用を行うのです。

【イ】同義の字を連ねたる者。「なり」の仮名を附す。「昭明」の如し。(註)これは何の変哲もない記号動詞。他詞に従属するときは、「に」「にして」などを附して読みます。

【ウ】数詞。「三百」の如し。「あり」の仮名を附す。(註)このような単なる数を基数と云います。数詞は一般に名詞、副体詞、副詞となりえます。「朝三而暮四」は「朝三にして暮れ四にせん」などのように、一致性を帯びた動詞性再動詞(変態動詞)に読むことが多いです。然りといえども、叙述態名詞として解するもまた不可とはしません。すなわち、「朝は三にして暮れは四なり」と。

【エ】数詞に異称を添えて数を謂うことあり。車には「乗」の字を添えて「車百乗」と云うが如し。(註)基数に「個」「乗」「本」「管」などを附して出来たものを、名数詞と云います。名数詞は概ね名詞なるも、副体詞になることもあります。たとえば「一本書」など。

【オ】不定の数を表すもの。たとえば、「幾日」「數月」の如し。(註)「幾」は副体詞。「幾日」「数月」は連詞的名詞。

【カ】多数を表す数詞。「多士」「衆星」の如し。

(註)上記いずれも「第三類 形容詞」としての分類でありますが、本性として動詞(形容動詞含む)であるのは【ア】【イ】だけです。それ以外は名詞で、判定性を認めた場合のみ所謂形容詞になるに過ぎず。是れ、詞の運用に過ぎないものであります。「衆星」などは結局「星」であり、名詞です。



第四類 動詞

【ア】意義相反する動詞を連ねたる者。「す」の仮名を附す。たとえば「往来」の如し。
【イ】同義の動詞を連ねたる者。たとえば、「號泣」の如し。

(註)【ア】【イ】いずれも連辞の単詞として可。

【ウ】副詞と連ねたるもの。熟語の動詞は多く音読すべきものなるも、この場合は必ず訓読します。たとえば、「相為」(あいなす)の如し。(註)修用関係の連詞。「相」は修飾形式副詞。動詞の相として「相互態」を表します(三百六十二項)。



第五類 副詞

【ア】同字を重ねたる者。「として」の仮名を附す。たとえば、「孜孜」の如し。
【イ】同義の字を重ねたる者。たとえば、「髣髴」の如し。
【ウ】「然」の字と連なるもの。たとえば、「沛然」の如し。
【エ】「如」の字と連なり、「たり」の仮名を附すもの。たとえば、「
豁如」の如し。
【オ】「
爾」の字と連なり、「たる」の仮名を附す。「卓爾」の如し。

(註)すべて象形動詞です。第三類形容詞の【ア】も再確認してください。叙述性(判定性)がありますので、主語も取れますし文を結ぶ力も持ちます。副詞のように見えるのは動詞の連用格的用法に過ぎません。

沛然德教溢乎四海 (孟子離婁章句上)
能於靜、則於動沛然矣 (黃宗羲明儒學案)
勢沛然矣 (王闓運湘軍誌)
布愕然 (史記黥布列傳)

沛然德教」は「沛然たる德教(動詞の連体格的用法)」もしくは「沛然而德教溢(動詞の連用格的用法)」の意とも取れますが、いずれにしましても動詞たる所以を失ってはおらないのです。



「たり」は「とあり」の約音。

明治昭和期の漢学者、松本洪先生の『漢文を讀む人のために』(百八項)にこうあります、ちょっと長いが参考になりますので引用してみましょう、

(「副詞」が動詞の上に直接冠せられて、其の間に何物も挟まないことを述べて以下に続く)

○始舍之、圉圉焉、少則洋洋焉、攸然而逝 (孟子萬章上)

といふ文がある。或る人が「悠然」は副詞だが、其の下に「而」があってよいかと質問した。此の文は、鄭の子産といふ賢大夫のところに、生きた魚を贈った人があった。子産は魚が生きているから、庭番に池に放てと命じた。庭番は狡い奴で、密かに煮て食ってしまって、子産には、

「始め魚を池に放ったら、何か苦しさうにしていましたが、暫くすると、良い気持ちになった様に、伸び伸びしていました。其のうちに悠然として遠くに泳いで往ってしまった」

と報告したら、子産はさうもあらうさうもあろうと言ったといふ。「悠然」が逝くといふ動詞の副詞なら、其の間に「而」があってはいけない筈であるといふ疑問である。之に対して私は「悠然」は副詞ではないと言ったら、或る人はハッと気が付いて、数年の疑いが解けましたと言った。何か禅問答染みているが、日本語に訳して、「トシテ」といふ助詞のつく言葉は、形容詞で、副詞ではない。

○浩浩乎平沙無垠 (弔古戰場文)

といふ語は「古戦場を弔ふ文」の書き出しである「浩浩乎として平沙垠り無し」と読む。「浩浩乎」は古戦場全体の見渡す限り何も見えない、ひろびろとした風景の形容詞であって、平沙無垠の副詞ではない。

「圉圉焉たり」「洋洋焉たり」は明らかに「たり」が附いて形容詞たるに疑ひはないが、従って悠然も魚の説明であることは、推して知るべしである。然らば悠然の主語が省略されて、悠然といふ一語だけで一文である。下の「逝」も主語が省略されて、一字だけで一文である。即ち「悠然而逝」は僅かに四字しかないが、これは複文で、上の文と下の文との間に「而」が挿入されてあるのである。又離婁上に、

○沛然德教溢乎四海

といふ語がある。之を「沛然として徳教四海に溢る」と読み、「沛然」は「溢」にかかる副詞と見る人が多い様であるが、それでは副詞と「溢」との間に「徳教」の二字が挟まれている事になる。之の「沛然」は「徳教」の上に被さっているから、徳教を形容する語と見て、「沛然たる徳教」と読むがよろしい。





第六類 感嘆詞

【ア】「嗚呼」、「於戯」など。「嗚呼噫嘻」などとする場合もあり。(註)実質感動詞です。




第七類 三字以上の熟語
(註)ほぼ連詞に相当。

【ア】周礼に「服不氏掌養猛獸而敎擾之」とあり。而して其の註に「服不服之獣者」とあれば、「服」は動詞、「不」は副詞にして、「氏」は名詞。今、合して名詞とせり。(註)「服不氏」はもとより名詞。分析の対象とはなりません。これただ「服不氏」の成り立ちを謂うまでで、出来た結果より見れば名詞のみ。

【イ】「巧言令色」は名詞として用いたり。「は」の仮名を附す。動詞に用いたる例を挙ぐれば「巧言令色足恭、左邱明恥之」と云うあり。「す」の仮名を附す。(註)「巧言令色」を名詞と云いますのは、論語学而篇の用法を指すわけでありますが、それは動詞性名詞もしくは体言としての意味でありまして、本性として名詞であるのではありません。すなわち、下図の二つ目の用法ということです。


終止格の場合は上図にありますように、「す」を以って読むことになりますが、無論動詞にも格はありますから、状況に応じて立場を変ずべきものであります。たとえば、「言を巧みにし、色を令くすれば(せば、すれども、すとも等)」など。「色を令くするトキ(場合)は」と読めば変態名詞の修用格的用法。三つ目の「巧みなる言、令き色」の「巧」「令」は動詞の連体格的用法。被連体語により統率されますから、全体として連詞的名詞となります。


【ウ】「文行忠信」 (註)論語述而篇の言葉(子以四教、文、行、忠、信)で、「文行忠信ナリ」と読めば日本語として動詞なるも、漢文そのものは名詞が判定性を帯びたまでであります。「知我者鮑子也」(史記管晏列傳)の「鮑子」と同じ。
【エ】「暴虎馮河」 (註)「巧言令色」に同じ。特に分類するには及びません。

【オ】「四十五十」。動詞なり。(註)第三類形容詞の【ウ】と何が違うか困惑するところでありましょうが、文法的に全く異なるところはありません。数詞です。数詞が名詞、副詞、副体詞と為り得ることは先に述べました。どの品詞であるかは其の都度判断しますが、下に「而」があれば叙述態名詞の方法格的用法であることが明瞭です。「三十而立」など。

【カ】戦戦兢兢。形容詞なり。「として」の仮名を附す。
【キ】切切偲偲。副詞なり。

(註)【カ】【キ】いずれも象形動詞です。

切切偲偲、怡怡如也、可謂士矣、朋友切切偲偲、兄弟怡怡 (論語子路)

如何に読もうが構いませんが、士としての有り様、性質に就いての発言でありますから叙述性があるというのです。ともに動詞であり、ただ格を異にするのみです。「(其の性質が)切切偲偲たれば(従属格)」「朋友には(其の性質が)切切偲偲たれ(独立格)」の如く主語を補いうるのです。


【ク】「迅雷風烈」は副詞なり。「には」の仮名を附す。「迅雷風烈ハ」と言えば名詞なれども、此の場合には副詞に用いたるなり。(註)論語鄉黨篇に「有盛饌、必變色而作、迅雷風烈、必變」と有ります。「迅雷風烈」はそのまま読めば「迅(はげ)しき雷にして、風烈しければ」と訓めますが、体言と考えれば「迅雷風烈には、必ず変ず」と読むことになります。しかし、この「迅雷風烈」を副詞というのはあまりよろしくない。動詞もしくは動詞性名詞の連用格的用法というのみ。また前半の「有盛饌」に対すれば、「有」を補って「迅雷風烈」の意と考えるも可。此の場合も「有」が連用格的用法にあるというのみです。


新楽金橘先生曰く、
(「烈風」と言わず「風烈」と云うは)調音の為なり。二字の熟語なれば「烈風」でも差し支えなきも、四字の熟語とするときは「ふ・く・つ・ち・き」の言い悪しき音の字なれば之を先に言う事は音調が宜しからず、書経舜典には「烈風雷雨」とあり、是れは先に「烈風」があればなり

【ケ】佐藤一斎翁の文に「余東都一窮措大耳」とあり。是は六字の熟語なり。「東都」とは名詞より転じたる形容詞と名詞なれば、「匠人」の構造に同じ。「一」は形容詞の数詞、「窮」は動詞より転じたる形容詞にして、「措大」は動詞と形容詞なれば「不祥」と同じく名詞に転用せるものなり。(註)松下文法に則って分解すればこうなります。「余」は名詞にして下詞「東都一窮措大」に対して修用語となり、「東都一措大」は被修用語。統率部である被修用語を更に分解すれば、「東都」が名詞にして(わざわざ「東」と「都」とに分解するには及ぶまい)下の詞「一窮措大」に対して連体語となり、「一窮措大」は「東都」に対して統率部で被連体語。この被連体語を更に分解すると「一窮」が連体語で、「措大」が其れに対して被連体語。「一」と「窮」を更に分解するなら修用関係と云うことになります。「措大」はこのまま「書生」の意と解せばよい。

要しますに、「余」に対する被修用語の代表部は最終的に「措大」ということになりますから、この連詞の代表部は結局「措大」ということになります。連詞の骨格は「余は措大なり」というに同じです。形式感動詞である「耳」は上語すべてを統率して全体を一種の感動詞にしてしまうのです。(改撰標準日本文法『主観的実質関係』六百八十九項参照)

結局読み下せば、「余は東都の一
窮の措大なるのみ」と。






ここに於いて興味を新たにしてもらいたいのは、品詞と文の成分との違いについてであります。品詞と云いますのは、「名詞」「動詞」「副詞」「感動詞」などの類で、文の成分といいますのは各々の品詞が連詞を構成するときに如何なる関係にあるかの観点より名づけたものです。即ち、「主語」「叙述語」「帰着語」「客語」「修用語」「被修用語」「実質語」「形式語」「連体語」「被連体語」の十種です。

「花が咲く」を分解して、「花が」が主語で、「咲く」は動詞です、といったらこれは実に具合が悪い。一方は文の成分で、他方は品詞であるからです。主語に対しては「叙述語」と言わなければならんのです。而して後、主語の品詞は名詞です、叙述語の品詞は動詞です、などと云うことになります。「静かに歩く」と言えば、「静かに」は動詞の「歩く」を修飾しているから副詞である、などと分解するのではなく、「静かに」は「歩く」を修飾しているから「歩く」に対して修用語であり、「歩く」は「静かに」対して被修用語である、と分析するのです。そうしてから、「静かに」は「(音が)静かに」の如く主語を取り叙述性があり(*)、且つ内包詞であるから動詞である、動詞の他詞に対する資格は何かと言えば、ここでは修用格である、などとこのように品詞なり格なりを研究していくのです。

(*)副詞には「テ」「シテ」を付けられませんが(頗るテ、嘗てシテ)、「静かに」は「静かにシテ」とすることが出来ます。即ち動詞の一格である一致格を持つと謂うことです。漢文で「静歩」として、これを「静かに歩く」「静かにして歩く」「静けく歩く」など如何様に読むも、漢文法に於ける「静」はただ一個の連用格的用法にある動詞というのみです。「溺れて死ぬ」を「溺死す」と云うように、「静かに歩く」を文法的直訳に読めば、「静歩す」ということになります。「溺死す」に於いて其の「溺」と「死」との修用関係たるを理解するように、「静歩す」で其の「静」と「歩」との修用関係ぶりを自得してもらいたい。



漢文速成 三十三日間講座 (二)

前回は「語の研究」のうち、「単語」について簡単に述べました。単語とは漢字一字で或る全き概念を表すものでした。松下文法に所謂単辞の単詞です。それに対して今回お話致しますのは「熟語」についてであります。熟語とは漢字二字以上を連ねて或る全き概念を表すものです。松下文法に所謂連詞のようにも聞こえますが、そうではなくむしろ連辞の単詞というべきものであります。たとえば、「仁與義(仁と義と)」と言えば、これは連詞の名詞でありますが、「仁義」と言えば、これは連辞の単詞となります。ここで「熟語」といいますのは、この連辞の単詞の如きものを指して言っておるのです。無論、「仁者」のようなものは、連詞と看做すこともできますから、熟語という中には連詞も含まれることにはなります。



【語の研究】


「熟語の研究」

熟語を分かちて七類とします。すなわち、名詞、代名詞、形容詞、動詞、副詞、感嘆詞、三字以上の熟語の七つです。たとえば「我」と言えばこれは前回見ましたように単語の代名詞でありますが、「不肖」と言えば熟語の代名詞になるわけです。第七類の「三字以上の熟語」というのは随分大雑把な分類の仕方でありますが、もちろんこれにもそれぞれ品詞はあるわけでありますが、それについては第三回目の講座で述べます。


(赤字は松下文法との関係を補足したものです。読み飛ばして頂いても構いません。)


第一類 名詞

【ア】名詞+名詞
(い)意義相対する単語の名詞を連ねて二物を意味する者。たとえば、「父母」「日月」の如し。
(ろ)同義の名詞を連ねて一物を意味するもの。たとえば、「樹木」「禽獣」の如し。
(は)異義の名詞を連ねて或る一物を意味するもの。たとえば、「君子」「車馬」の如し。「車馬」は「車」に非ず、「馬」に非ずして、「馬車」の意。
(に)形容詞の如く名詞を用いて他の名詞に冠するもの。たとえば、「匠人」の如し。「匠」は大工で名詞でありますが、ここでは「人」に冠して一種の形容詞の如く用いておるのです。(註)「匠之人」と言えば連詞でありますが、「匠人」は連辞の単詞というべきでしょう。すなわち松下文法に於いては「匠人」は単詞である以上、連詞としてはもはや分解できないものとして考えます。


【イ】形容詞+名詞
(い)名詞に形容詞を冠したるもの。たとえば、「明月」の如し。「明」が形容詞。(註)「明」は動詞の連体格的用法。「月を明らかにす」と読めば、「明」を変態動詞として用いたものということになります。

【ウ】動詞+名詞
(い)名詞に動詞を冠したるもの。たとえば、「亡國」の如し。(註)松下文法にてもこの「亡」は動詞。格として連体格的用法。「亡」と「国」との関係を客体関係として、「国を亡ぼす」「国より亡(に)ぐ」と読むも可。前者は「亡」を他動性動詞とし、後者は依拠性動詞と看做したものです。
(ろ)意義無き「有」の字を冠する者。たとえば、「有虞」「有政」「有家」の如し。


【エ】形容詞+形容詞
(い)異義の形容詞を連ねたるもの。たとえば、「強弱」の如し。
(ろ)異義の形容詞を連ねるも、一方の意義が無いもの。たとえば、「緩急」「軽重」「多少」の如し。もちろん「緩急」が「緩と急と」を意味する場合もあり。(註)単念詞のこと。

【オ】形容詞+後置詞
(い)「仁者」など。(註)実質関係の連詞。実質語になるものには、名詞、動詞、副詞があります。「仁者」の「仁」は叙述態名詞の実質格的用法で従属部、単純形式名詞の「者」が統率部。「信我者」と言えば動詞(信我)が実質語で、「我を信ず、者」の意。「我を信ずる者」でないことに注意。すなわち連体語を受けるのでなく、不定法たる動詞を受けるのです。

【カ】副詞+形容詞
(い)「不祥」など。(註)修用関係の連詞。「不的にめでたし」と読めば直訳的。否定的にめでたいのです。

新楽先生曰く、

熟語にも転用することあり、右の内最後の四つは皆名詞に転用せるものなり

(註)「仁者」の「者」はもとより形式名詞でありますから、転用と云うには及びません。端から連詞的名詞です。その他については、転用はすべて詞の運用と考えてください。「不祥」も「不的にさいわいなり」の意とすれば動詞なるも、「不的にさいわいなるコト」の意と解すれば、動詞的名詞(変態名詞)となるなどの類です。



第二類 代名詞

(い)人を尊敬しては「夫子」「先生」、友人を親しみては「吾子」、国君には「陛下」「天子」と称します。
(ろ)自ら謙遜しては「小子」「不肖」「不佞」と称し、国君は「寡人」「不穀」「乃公」と称します。

(註)人称代名詞にどのようなものがあるか列挙しておきます。(『標準漢文法』九十六項参照)
第一人称 我、吾、余、予、僕、朕、台、寡人、不穀、弧、不肖、愚、小子、妾、臣、兒、鄙人
第二人称 汝、女、而、爾、乃、若、子、吾子、兄、公、卿、君、足下、先生、大人、閣下、殿下、陛下
第三人称 彼、渠、夫、他





漢文速成 三十三日間講座 (一)

我々がこの漢文講座で学ぶことは大きく分けて以下の四つであります。
(赤字の部分は私に由る註で、松下文法との関係について補足してあります。読み飛ばしていただいても構いません。)



「語の研究」「文の研究」「讀(とう)の研究」「品詞の研究」の四つです。


「語」と云いますのは「人、賢、立、於、之、甚、也、而、嗟(ああ)」などの漢字一字の単語と、単語を二字以上連ねた熟語とを指して云います。

(註)「語」は、二字以上の熟語をも含むところから松下文法に所謂「詞」に似ているも、そこまで徹底したものではありません。ここでは詞の本性論、副性論というほどの深い研究はしません。それは「品詞の研究」「讀の研究」においてなされます。

「文の研究」では漢文の構造を学びます。所謂文の解剖です。

「讀の研究」の「讀」とは、それのみにては完全でない語のことです。「鳥が」といえば、「どうした」の部分が欠けており、「飛ぶ」といえば、「何が」が欠けております。

(註)絶対性或は独立性を欠く詞のこと。すなわち断句になる途中にあるもの。連詞の他詞に対する関係を論じる点は相関論に類する者といえます。

「品詞の研究」は名詞動詞代名詞助動詞などに品詞を分類して、その性能を研究します。

【語の研究】
「語の研究」では「単語の研究」と「熟語の研究」とをおこないます。


「単語の研究」

まず単語の品詞を見ていきましょう。単語とは一字の語であります。我々は単語の品詞を分かちて十類と為します。すなわち、名詞、代名詞、形容詞、動詞、前置詞、後置詞、副詞、助詞、接続詞、感嘆詞であります。

(一)単語の名詞
人、山、川、尭、舜、など。独逸語にて「der Mann」と言えば、既に「人が」(主格)の意味でありますが、漢文の「人」はこれのみにては如何なる立場にあるか明らかではありません。「人は」「人が」「人に」「人を」「人と」「人とす」「人の如く」などのいずれであるかを常に考えなければなりません。然らば、どのようにして格を知るかと言えば、それは語の位置や文脈によってであります。

(ニ)単語の代名詞
我、汝、彼の類です。

(註)松下文法に於いては、大なる「名詞」という類概念のもとに、「本名詞」「代名詞」「未定名詞」「形式名詞」の四つに更に分類されることになります。要するに「人」も「我」も「誰」も「者」も皆文法的性能に於いてはそう大きく異なることはないので、品詞としては「名詞」に分類し、些細な違いは小分類としておこなうのです。

(三)単語の形容詞
賢、高、一など。

(四)単語の動詞
負、立、思など。

(註)松下文法では動詞も形容詞もいずれも動詞として扱います。両者いずれも作用概念を表すもので判定性がありますが、その表し方が異なります。一方は時間の形式に由る作用の認識で、他方は時間の形式に由らない作用の認識の仕方であります。前者を動作動詞といい、後者を状態動詞というのです。漢文では「美」は「美し」か「美しかり(美しくあり)」か判然としませんから、動詞という統一的な概念で括ってしまうのです。「美之」とあれば、形容詞でなく動作動詞であることが明瞭になります。

(五)前置詞
於、于、乎など。下の詞を統率して、他詞との関係を表すもの。

(六)後置詞
之(の)、者、乎など。上の詞を統率するもの。

(註)松下文法にも前置詞はありますが、それは副詞に含まれます。また(五)の「乎」と(六)の「乎」とは文法的に異なるものでして、前者は単純形式動詞で、後者のは単純形式感動詞です。

(七)単語の副詞
静、甚、愈など。

(註)「静」は文を結ぶ能力(判定性)もありますので、動詞です。「静かに」と読んだ所が、結局動詞の連用格的用法というまでで、品詞が変わるわけではありません。「甚」も同様。泉井久之助氏曰く、「副詞の本質は一体どこにあるのか。『赤く』『広く』などは未だ副詞の本質をそのまま体現しているものとは思われない。そこには「赤」「広」というような本質的に副詞的ならざるところの剰余がある。副詞の本質はかかる剰余をすべて捨てていった極限、即ち単なる存在、否定、制限を示すところの、たとえばアリストテレースの、たとえばカントの範疇論中の、性質の範疇に純粋に関係するところにあるのではないか」と(『言語の構造』四十五項)。

(八)助詞
也、矣、焉など。

(註)松下文法に所謂形式感動詞の類。「也」は決して日本語の「なり」ではないことに注意。では何かといえば、それは上の語の主観的再示であります。「彼君子也」と言えば、「彼は君子である(彼君子)、そうであるなあ(也)」の気味。是れ、「也」が辞ではなく、詞である所以であります。

(九)接続詞
且、而、夫など。

(註)副詞の一種にして寄生形式副詞。他詞に勝手に寄生して其の意義を以って下の詞の運用に掛かります。

(十)感嘆詞
噫、嗟、唉など。

(註)実質感動詞です。


「賢人(賢き人)」の「賢」が形容詞で、「挙賢(賢を挙ぐ)」の「賢」が名詞で、「賢之(之を賢とす)」の「賢」を動詞だといえば、如何にも漢文には品詞などあってないようなものの如くにも見えましょう。しかし、理論的なことを申せば、最初の「賢」は動詞の連体格的用法、次のは動詞性名詞(変態名詞)の客格的用法、最後のは動詞性再動詞(変体動詞)の終止格的用法というのみにて、いずれも動詞としての性能を主として、もしくは従として持っておるわけです。要しますに、動詞を動詞として用いるか、動詞を材料として他の性能で以ってそれを統率するかの差があるというばかりです。掴みどころが無いように見えても、一定の法則があるのです。


「学は疑ふを知るを貴ぶ」と訓みます。明代の学者、陳獻章の『陳白沙集』に見える言葉です。第一回目の講座は平凡なる内容にがっかりされた方も居るかもしれません。しかし、この平凡なものに対して少しく深く考えてみれば、やはり幾つかの疑問もまた出てくることと思います。たとえば、そもそも品詞とは何か、名詞とは何かと考えてみれば前途茫洋として惑いに似たる観を呈するも、ここに於いて初めて進むことが出来るのです。朱子もまた其の読書法にてこう言っております。「疑問を持たざるものは疑問を持て。疑問のあるものは疑問を無くせ」と。


漢文速成 三十三日間講座 開講

ここに『漢文速成 三十三日間講座』といいますのには、底本となるものがありまして、それが三十三日間を以って謳っておるのであり、決して怪しいものではありません。三十三日間真面目に勉強すれば、簡単な漢文(白文)を読めるようになるものです。然らば、その底本は何かといいますと、新楽金橘(にいら・きんきつ)先生の『文法応用 三十三講 漢文速成』というものであります。松下博士晩年の直門である徳田政信博士が昭和の初頭、中学で漢文の手ほどきを受けたのがこの老漢学者新楽金橘先生であったそうであります。新楽先生の講義法と云うのがなかなか面白く、最初の二年間は学生に解釈をさせず、質問しても「読めば分かります」と口癖のように答えていたということです。これだけならばただの素読と何等異なるところが無いようでありますが、新楽先生は旧来の教授法と違い、非常に語法や句法を重視されました。当時の漢文の教科書(たとえば簡野道明先生のものなど)には名詞や動詞という単語はまず出てくることはありませんが、先生の本には品詞と云う項目を立ててそれを詳説しておるのです。無論、文法学という観点から見れば非常に素朴なものではありますが、少年輩に教えるためのものでありますから、高尚なる理論よりも門に入るの易きを貴ぶのは言を俟たざるところでありましょう。兎にも角にも漢文は文法的理解が無くては叶わぬものであり、また解釈は文法的理解を待って後味わいを増すものであります。そこで本講座では漢文を初歩より学びたいと思っておられる方に、出来るだけ簡潔に、而も文法的知識をないがしろにせずに話を進めていきたいと思っております。

本講座を学ぶことでどの程度の読書力が附くかと云うことを明らかにしておきましょう。新楽先生自ら曰く、

本書を学ぶこと十六日目なれば、本書を応用して、大正元年度高等学校入学試験問題を容易に解釈し得ると、又三十三日目なれば、第二十六回文部省教員検定試験問題を容易に解釈し得

ると。すなわち十六日目には以下の如き漢文が読めるようになっておるわけです。

豐太閤磊磊落落氣象頗似石勒而膽略殆過之其代織田氏興雖未免欺孤児寡婦而掃蕩海内以濟二百餘年途端之民其功誰及之者惜乎能救亂而不能成治也





読書法

【貝原益軒「慎思録」抄録】

慎思録に黄山谷の言を引いて曰く、「百書に汎濫するは、一書に精(くわ)しきに若(し)かず(汎濫百書、不若精於一書)」と。荻生徂徠は『大学諺解』一本を精読することで基礎学力を身に付けたのではなかったか。子房は黃石公から授けられた『太公兵法』の一篇以って常にこれを誦読し、以って高祖を助けて大功を挙げるに至ったのではなかったか。一書に精熟する、其の功まことに大なりと言わなければなりません。




讀書貪多、是學者之病、朱子之所戒也、從前篤信亦有此病、退之所謂貪多務得、今覺非良法、只逐一精熟循序漸進、而後至于博、是良法、黄山谷曰、大率學者喜博、而常病不精、汎濫百書、不若精於一書、有餘力然後及諸書、則渉獵諸篇、亦得其精、此説朱子之所取、可為讀書良法




「篤信」は貝原益軒のこと。「退之」は韓愈の字で、「貪多務得」は『進學解』に見える。「循序漸進(じょにしたがってようやくすすむ)」は順を追ってだんだんに進むこと。「漸」は物を水に浸して次第に染み込む意。ずんずんと読み進むのではなく、読んだ内容が体に染み込み熟するようにして読書することを謂う。「渉獵」は広く書を漁るも専精でないこと。



書を読むに多きを貪る、是れ学者の病、朱子の戒むるところなり、従前篤信も亦た此の病有り、退之の所謂『多きを貪り得るを務む』は、今良法に非ざるを覚る、只逐一精熟し序に循(したが)ひ漸進し而して後博きに至る、是れ良法なり、黄山谷曰く、大率(おおむね)学者は博きを喜び而も常に精(くわ)しからざるを病(うれ)ふ、百書に汎濫するは、一書に精しきに若(し)かず、余力有りて然る後諸書に及べば、則ち諸篇を渉猟して亦た其の精しきを得と、此の説は朱子の取るところにして読書の良法と為すべし。

  • 「退之所謂貪多務得、今覺非良法」の「退之所謂貪多務得」は全体で連詞的名詞で、下の詞に対して修用語。仮に「退之所謂貪多務得」をXとすれば、「Xは、今良法に非ざるを覚る」となります。もし「X」を客体の提示と考えるならば、「Xは、今良法に非ず覚る」のように「覚」を生産性を帯びた動詞として解することになります。
  • 「汎濫百書、不若精於一書」は「汎濫百書、孰若精於一書」の意。群書を博覧するよりは、一書を精読するに如くものは無いと謂うこと。


『日本外史』(徳川家康紀)

徳川家康、嘗てある者を任用しようと考えて之を土井利勝に問うてみた。利勝答えて謂うに、「彼は私のところにいつも来ると言うわけではございませんから、可否に就きましては申し上げることができません」と。家康其の言を喜ばずして曰く、「御前は家老という重職にあるからには、自ら人材を訪ずれねばならないのではないか。才あるものが進んで権勢者のもとに自分を売り込みに来るとでも思っておるのか。そちの言い分では恥を知り義を好む者は日ごとに軟弱に流れ力ある者に媚びへつらうことになってしまおう。そもそも恥を知り義を好むは国家の元気である(知恥好義、國家之元氣也)。この元気が無くなれば、国は弱り衰えて、そう長くは持つまい。昔、酒井正親が私にこう云ってきた。『神谷某は私に対しておもねることを致しません。よってこの男まことに任用すべきであります』と。正親は公益の為に私心を忘れて人を挙げたのに比して、御前はどうであろうか。」



家康嘗欲官一士、問之土井利勝、利勝曰、彼不常來臣家、臣未知其如何、家康弗懌曰、汝宰我家、務在訪人材、材者豈肯附權勢哉、如汝所言、則知恥好義者、將日趨柔媚、知恥好義、國家之元氣也、元氣消亡、國家衰老、其能久乎、昔酒井正親、以神谷某不禮己也、謂我曰、彼真可用者、因請倍其俸。正親爲公忘私、獎勵士風、汝輩何不類焉 (日本外史・德川氏正記)




「土井利勝」は譜代の大名。下総古河の藩主。「臣」は家臣の君に対する自称。「懌」は「悦」に同じ。「材」は「才」に同じ。「柔媚(じゅうび)」はやわらかにして媚びへつらうこと。「酒井正親」は徳川氏代々の家臣。世臣。


家康嘗て一士を官にせんと欲して、これを土井利勝に問ふ、利勝曰く、彼常には臣が家に来らず、臣未だ其の如何を知らず、家康懌(よろこ)ばずして曰く、汝我が家に宰たり、務め人材を訪ふに在り、材ある者豈(あ)に肯(あ)へて権勢に附かんや、汝の言ふところの如くんば、則ち恥を知り義を好む者は、将(まさ)に日ごとに柔媚に趨(おもむ)かんとす、恥を知り義を好むは、国家の元気なり、元気消亡すれば、国家衰老す、其れ能く久しからんや、昔、酒井正親は神谷某の己に礼せざるを以って我に謂ひて曰く、彼は真に用ふべきものなりと、因って其の俸を倍せんことを請ふ、正親公の為に私を忘れて、士風を奨励す、汝が輩何ぞこれに類せざる。

  • 「家康嘗欲一士」「汝我家」の「官」「宰」はいずれも名詞性動詞にして、「為官」「為宰」の意。ここでは前者はさらに他動性(~を)を帯び、後者は依拠性(~に)を帯びておるために、それぞれ「使一士為官」「為我家宰」の意になります。「材者」の「材」も名詞性動詞でありますが、これは存在的用法で、「有材者」の意。
  • 「問之土井利勝」は「問之土井利勝」とするも可。
  • 「臣未知其如何」の「如何」は単独の如何。単独の如何は従属語になる場合には「何如」とはなりません。たとえば「莫何如」などと為らないのに同じです。ここでは「知」に対して客語(従属語)になっておると考えます。(註)「吾子以為奚若」などの「奚若」(何如に同じ)は「以為」の部分が修用語で、却って「奚若」に対して従属しておると考えます。所謂断句的修用語の帰着性従属的用法と看做すわけです。
  • 神谷某不禮己」の「也」は「以神谷某不禮己」が提示されておることを明瞭にする形式感動詞。松下文法に所謂属性の提示語です。
  • 「彼真可者」の「用」に客語がないのは、「This book is easy to read.」の「read」に客語が無いのと同じ理。「足、可、難、易、被、為、見」などの帰着性形式動詞の内包的客語(ここでは用)の客体(ここでは彼)がその形式動詞(ここでは可)の主体(ここでは彼)と同じ場合は内包的客語の客体は非帰着化(客語が要らない)するのです(六百四十一項【三】参照)。「者」は合主化した主体を表す主体的用法。「飛者」の「者」と同じ。「ソレガ用ふるに可なるソレ」の意。



勉強の仕方 『専心』

宋の程子曰く、

所守不約、泛濫無功


「守るところ約ならずんば、泛濫(はんらん)にして功無し」と訓みます。あれもこれもと広く手を出し過ぎれば、精神散漫となり一事に力を専一にすることが出来ず、結局いつまで経っても成就することが無いと謂うことであります。具体的に申せば、漢文なら漢文をひとつやってみようと決めたからには、机の上には基本と為る書一冊を置き、あれもこれもと乱雑に広げておかない、其の一冊に熟さなければ他書には移らないというごときことでありましょう。貝原益軒翁もまた曰く、「学者不専一于義理、則其志荒、而不能進道(学者は、義理に専一ならざれば、則ち其の志荒みて、道に進む能はず)」と。

清代に姚鼐という学者が居りまして、彼は其の性として多能を好んでおりましたから徒に研究分野も手広かったのでありましょう、あるとき王鳳喈という学者が彼を評してこう云った、「私は昔は彼を畏れたが今ではもう畏れない。なぜならば、

夫專力則精、雜學則粗

と。「夫(そ)れ力を専らにすれば、則ち精に、学を雑にすれば、則ち粗なり」と訓みます。嘗ては一事に専心しておった姚鼐も、今では学問多端にしてこれ畏るるに足らず、というわけであります。彼のちにこの言を伝え聞き、自らの非を悟り行いを改めまして、古文以って世に其の名を顕すことになります。

原善の『先哲叢談』には荻生徂徠がどのように漢文の基礎学力を身に付けたかを以下のように言っております。

獨頼先大夫篋中藏有大學諺解一本、予獲此研究、用力之久、遂得不藉講説、遍通群書也

【語釈】
「先大夫」は亡くなった父。「篋中(きょうちゅう)」は書物などを入れる箱。「藉」は「借」に同じ。

林道春の著した大学諺解ただ一書を精読することであらゆる漢籍に通ずる読書力を身に付けたと云う、「専心専一」の力、斯くの如きであります。

  • 「用力之久」は、「之(これ)」を副詞とし、「用力」と「之久」との関係を主体関係とするならば、「力を用いることこれ久しくして」と訓むことになり連詞全体としては動詞の修用格になります、また、「之(の)」を副体詞(英文法に所謂limiting adjectives)とし、「用力之」と「久」との関係を連体関係とすれば、「力を用いることの久しき」と訓み、連詞全体として名詞の修用格になります。「これに力を用いること、久しくして」とは訓めません。「之」が動詞に対して客語に為る場合は必ず其の直後に配置されなければなりません。また「これに力を久しく用いて」とも訓むことはできません。そう読むためには「久用力焉」という語順でなければなりません。


「如何」と「何如」

河北景楨は、其の著『助辞鵠』に於いて、「何如」を以下のように説明しております。

「如何」ト大要カハルコトハアラネドモ其詞ハ別ナキニ非ズ、如何ハ何ヲ主トシ何如ハ如ヲ主トス、如何ハコレハ何トシタコトゾ又コレヲ何トセンゾト云フコト也、下ノ何ノ字ニ重クカカル、何如ハ比類ヲ問フ詞ニテコレハ何様ノ事ゾ又何様ニアランゾト云フコト也、點爾何如ハソチハドノヤウニアランゾ也、臧文仲ヲ論ジテ何如其知也ヲ猶云何等様智ト註スルモ是ノ故也 (省略) 何如ヲ俗語ニ何似ニ作ルヲ以テモ其義オモフベシ

松下博士は「何如」を分類して二と為し、一つを「比較の何如」とし、もう一方を「単独の何如、如何」としました。而して
河北景楨の謂う「比類を問う詞」とはそのいずれに属するものかと言えば、「単独の何如、如何」であります。「単独の何如」は「何如」とすることも出来ますし、又「如何」とすることもできます。「何」が「如」に対する客体概念のためです。この「如」は「似る、ごとし」の意で、帰着形式動詞。「比類を問う詞」というよりは、「状態を問う疑問詞」というほうが穏当でありましょうか。「最近の調子はどうだ」の「どうだ」がこの「単独の何如」です。上記引用文中の論語の例も皆同じです。

*「何如」は自動のみでありますが、「如何」は他動もあります。「何に如(に)せん」と考えればよいです。「これを如何にせん」(他動)と言いたければ、「如之何」でありますし、「如何ともすべからず」「これを如何ともするあたはず」と言いたければ、「不可如何」「不能如之何」とすればよいのです。皆「如何」の語順であることに注意してください。「何如(何にか如(に)る)」(提示)よりも「如何(何に如る)」(平説)のほうが用法が広いのです。
上記は「単独の何如」の話でした。次に「比較の何如」について見ていきましょう。これについても
河北景楨の『助辞鵠』に言及されておりますから其の部分を引用しておきます。

又孰與ヲ何如と用フ、史記ニ王以為何如其父、唐詩ニ何如此地春ノ類此ノ義也、此等ノ何如ハ如何ニ作ルベカラズ

この「何如」は「
孰與」と対比せられておるところからも分かりますように「比較の何如」であり、上記で見た「単独の何如」とは性質が自ずから異なっておることに注意してください。この「何」は主体の提示語でして客体ではありません。また「如」は「似る、ごとし」ではなく、「如(し)く、まさる」の意です。「何がさあ如く、まさる」の意。

西田太一郎氏の『漢文の語法』(二百四十六項)でも、「
孰與(何與)」「何如」「孰若」等が一まとめにされて扱われておるのでありますが、文法的方面から言えば「孰與」と「何如」とは大きく異なります。品詞を論ずれば、「孰與」の「孰」は「いずれがまさる」の意の不定動詞で、「與」は比較の対手が依拠格であることを明示するための前置詞性単純形式動詞です。それに対して「何如」の「何」は名詞で主体的提示語(または副詞の内包的主体と看做すも可)で、「如」は「しく、まさる」の意の動詞です。「孰與」は実質関係の連詞で、「何如」は修用関係の連詞です。

この「何如」を「如何」にすることが出来ないのは、さきの「単独の何如」の「何」が客体概念であるのに異なり、主体概念だからです。もともと主体概念を表すものですから動詞の上にあるのです。提示するにしても、しないにしても、とにかく動詞の上にあることに変わりはないのです。「単独の何如」のほうは提示すれば上に出て、提示しなければ客語として帰着語の下にあるわけです。

塚本哲三氏の『漢文解釈法』(六百五十三項)では、「
孰若」の「若」を助字の一種にして無くてもよいものとして説明されておりますが、我々は「豈若(豈に~に若かんや)」の「若」の用法に比較してこれを「如」同様、「しく、まさる」の動詞として看做していきます。すなわち「孰若」は「孰れか~に若かんや」であります。

(與其有樂於身)、孰若無憂於其心 (韓愈・送李愿歸盤谷序)

(其の身に楽有るのに比べて)、何がさあ其の心に憂え無きにしかんや(まさらんや)(心に憂え無きほうがよい)、の意。もしこの文を以下のように書き換えたらどうなりましょう。

其有樂於身、孰與無憂於其心 (送李愿歸盤谷序 改作

身に楽有らんことは、其の心に憂え無きとはどうだ、いずれがまさる、の意になります。「
無憂於其心」は比較的に考えられた不定動詞「孰」の比較の対手です。

A孰若BA<B (AよりBのがまし)
A孰與B単純比較(A>Bの場合もあるし、A<Bの場合もありうる、ただそれは解釈上の問題であります。)

「與A孰若B」がBのほうが良いという意味になりますのは、「
孰」が提示されて語勢上意義が反転して、「なにがさあBに及ぶというのか、なにもBには及ばない、すなわちBのほうが良い」という意味に達するのです。


然るにこの比較の「何如(
孰若)」を直ちに「孰與」と看做すもまた不可とはしませんで、そう考えたほうが善いような場合もあるのです。たとえば『助辞鵠』に引用されております孟浩然の詩の「何如此地春」などが其の例です。もしこれを比較の何如として読めば、「何が此の地の春に如かんや(何もこの地の春には及ぶまい)」の意になりまして、また実際その解釈も行われておりますが、この「何如」を直ちに「孰與」と看做して読むことも出来るのです。其の場合には、「此の地の春とはいづれがまさる、此の地の春と比べてどうだ」の意になります。どちらも比較の意とは言え、前者は反転の意を含み、後者は単純な比較でありますから、趣が異なります。

王以為何如其父、父子異心、願王勿遣 (史記・廉頗藺相如列傳)


これなどは比較の何如と看做して読むの優れりと為すに及ばないように思われます。すなわち単純に
趙括と其の父とを比較するのでなくて、息子の趙括の一体何が父親に及ぶもしくはまさるであろうか、の意として解すべきだと謂うのであります。「趙括與其父奢、孰優(趙括と其父奢と、孰(いづれ)が優るか)」の意であるのではなく、「括為将、豈如奢之為将(括の将たらんよりは、豈(あに)奢の将たるに如かんや」の意であるというのです。

しかし、以下のような「何如」は「孰與」と看做したほうが善いように思われます。

汝意謂長安何如日遠 (世說新語)

「長安與日、孰遠(長安と日と、孰れが遠きぞ)」、長安は日の遠きと比べてはどうだ、の意でありましょう。

また「何」だけで「いづれぞ」と読むべき場合もあります。

誠令兵出、破軍殺將以傾國家、將軍守之可也、即利與病、又何足爭、一旦不合上意、遣繡衣來責將軍、將軍之身不能自保、國家之安 (漢書趙充國辛慶忌傳)

この「何」は『
助辞鵠』では「何如」の「如」の省略として説明されておりますが、「孰與」の意と考えれば「何與」の「與」の無いものとしても考えられましょう。つまり、「何」自体が依拠性を帯びた比較態不定動詞であり、「與」無しに直接に依拠格的客語を取ったものとも考えられるということであります。訓むには「国家の安きに何(いづれ)ぞ」となります。身を全うすると国家の安泰といずれがまさるか(死んでしまっては元も子もない)、の意。無論、「何」を不定の副詞として、「何ぞ国家の安きぞ」「何ぞ国家をこれ安んぜん」と読むも可。其の場合は、自らの身を安んずることができずして、どうして国家を安んぜられようか、の意。前者の解釈のほうが後文にある「是何言之不忠也(是れ何ぞ言の不忠なるや)」という充國の発言と繋がりがよいようであります。すなわち、一身の保全を国家の安泰と比べるとは何と不忠なことではないか、というのです。



王引之の『經傳釋詞』に曰く、

趙策曰趙王與樓緩計之曰與秦城何如不與(今本不與下又有何如二字、乃後人不曉文義而妄加之) (趙策に曰く、趙王樓緩とこれを計りて曰く、秦に城を与ふるは、与へざるに何如、今本「不與」の下に又「何如」の二字有り、乃ち後人文義を暁らずして妄りにこれを加ふ)

赤字の「
何如」は比較の何如とするよりも、「孰與」と考えるべきでありましょうか(*)。読む分には「秦に城を与ふるは、与へざるに何如(いかん、またはいづれぞ)」と訓めばそれでよいのでありますが、後人はそれに気が付かず、「與秦城何如、不與何如」と新たに「何如」の二字を付け足して、「秦に城を与ふるは何如、与へざるは何如」と単独の何如として解してしまったというわけです。


(*)『標準漢文法』(七百八項)には以下の例文の「何如」を比較の何如として挙げていることを考えますと、同じ構文である上記の「何如」も比較の何如ということになります。

予秦地何如毋予、孰吉 (史記・平原君虞卿列傳)

「比較の何如」とすれば、「秦に地を予(あた)ふる、予ふる毋(な)きに何れが如かん」の意と解する外ありますまい。


訓読の仕方

下の青字の部分を如何に分析するかを考えてみましょう。

鳥有周周者、重首而屈尾、將欲飲於河、則必顛、乃銜其羽而飲之、人之所有飲不足者、不可不索其羽也 (韓非子說林)



【訓読例】

塚本哲三 『韓非子』

人の飲みて足らざる有る所の者

其の註に曰く、「人も自分一人にて飲む能はざるときは、羽をくわえてくれる人、即ち補助者を要す」と。

小林一郎 『経書大講 韓非子』

人の飲むに足らざる所有る者


太田全斎 『韓非子翼毳』

所有二字倒置、凡欲有為事、而形勢有所窒礙者 (所有の二字は倒置なり、凡そ為す事有らんと欲すれば、形勢に窒礙するところの者有り)


興文社編 『韓非子講義』

人の飲むに足らざること有る所の者

その註に曰く、「飲不足は飲むこと能はざるをいふ」と。


小林氏の訓み方はこのままでは文法的に破格とはいえ、「所有」の二字を「有所」の語順に看做しての訓読かもしれません。また太田全斎の註に従えば、「人之所有飲不足者」は「人之有所窒礙者、飲不足者(人の窒礙する所有りて飲むに足らざる者)」とでも訓むことになりましょう。

塚本氏以外の三者は皆「飲不足」の「飲」を「不足」に対する客体の提示として考えての上での訓読でありますが、塚本氏独りはそうではなく、「飲」を下の詞に対する方法格として訓んでおられます。方法格として読んだ所が、「足」が被修飾形式動詞となりますから、意義は同じになります。「攻めて可なり(攻而可)」と「攻むるに可なり(可攻)」との関係に同じ。「可」なる形式的空虚を補充するに、修用語を以ってするか、客語を以ってするかの相違のみであります。

卑見を申しますと、これはこう読むと素直に解せると思います。

人之所有、飲不足(者)

前者と後者との連詞関係は主体関係(主語と叙述語)と考えます。そうしますとこう読めます。すなわち、「人の有する所、飲むに足らざる者は(己一人の力にては飲むことが出来ない場合は)」と。「飲不足」は上の三者同様、客体的提示語の修用関係と看做して読んであります。もともと「不足飲」とあるべき「飲」を上に出したのです。「者」は場合の意で、「人之所有、飲不足」全体に対して形式語。「人の有する所、飲むに足らざれば」と読むも可。



文法上の成分に就いて「~と看做す、と考える」という表現を何度か用いましたが、これは漢文の場合は漢字一つ一つが文法的性能を明瞭に表示しておらないために特にそうでありますが、均しく是れ西洋の言語にも亦言えることでありまして、昭和の言語学者、泉井久之助氏の言にこうあります。

品詞の区分はすべて窮極は便宜的な妥協となる。言語における品詞は、すべて「となる」品詞であって、「である」品詞はない。 (『言語の構造』四十七項)


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