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観念と概念と模型動詞

『改撰 標準日本文法』二百八十一項にこうあります。
思想は単に思想であっては模型動詞にならないが之に伴ふ語音の心象に由って言語と見られる。言語は又意義ある声音と見られる。故に言語の模型、思想の模型は畢竟皆音響の模型である。
これはよくわからない。一体これは何を意味しておるのか。今回はちょっとこの文の解釈について思ったことを書きとめておきます。

まず同二項にこういう記述があります。
我々は音を聞くと音の知覚を生ずる。その知覚が把持されたものを音の心象といふ。この心象は平素働かずに居っても、同様の音を聞くことその他の刺戟に因って再び喚起される。そうしてその音の心象に或る思念が結び附いていれば之を言語の心象といふ。我々は心意内に思念だけ生ずる場合もあるが、鮮やかな思念は必ず言語の心象とともに生ずる。

(中略)

我々は思念を他人に伝へようとしても思念そのままを伝へる方法は無い。

思念を他人に伝へる最も便利な而もやや完全な方法は思念と結び附いた声音の心象(主観的言語)を伝へるに在る。

凡そ言語は客観的方法を以って声音の心象を喚起せしめ之に由って思念を再現するものである。
これを図にすればこのようになりましょうか。




最初の文の「思想」を「思念」に、また「語音の心象」を「声音の心象」に置き代えて読んでみますと若干意義が明らかになるように思われます。つまり、思想(思念)も声音の心象によって模型動詞たり得る。また模型動詞といえども兎も角これも概念詞でありますから、以って思念を再現するに足る、というのです。しかし、最初の原文には「単に思想であっては」と「単に」の修飾詞が冠せられております。これは一体どういう分け合いか。

我々の心はいつでも何かに感じ動いておるわけでありますが、必ずしもその思念の動きに言語が直ちに追随しておるわけではありません。上文に「我々は心意内に思念だけ生ずる場合もある」とあるのがそれであります。漠然と机上の物を眺めておるときには、「これは某先生の書かれた文法書である」「あれはだれそれから頂いた時計である」などとは一々考えておらないでしょう。観念としてはあるにせよ、未だ概念にはなっておらないのです。然るにもし何かを思考しようと思えば必ずや思念のあとに直ちに言語が伴わなければならない。

言語と思想との関係を英国の論理学者ハミルトンはこう喩えております。

砂地に墜道を開鑿するの事業、言語と思想との間に行はるる関係に類する者有り、此の事業を起こすや、一尺、否殆ど一寸は一寸を開鑿する毎にアーチを石造して其の既に開鑿したる部分を強固ならしむるの後、更に進みて他の部分を開鑿するにあらざるよりは成功する能はざるなり。今言語の心に於けるはアーチの墜道に於けると頗る相似たり。甲に於いては言語を俟ちて而して後初めて事物を思考するの力あるにあらず、乙に於いては石造アーチのあるを俟ちて而して後初めて工夫に開鑿力あるにあらず、然れども斯る補助手段なかりせば、事物思考の作用と開鑿業とは、其の発端点の外に尺寸をも進むる能はず。

(省略)

言語の歩みを進むるは畢竟思想の歩みを進むるに由ると雖も、若し言語の着々思想に伴ひ来るにあらざるよりは、思想は茲に停止して其の上の発達を看ること無しとす。



我々が今心に物を考えたとすれば、それ自体は単なる思想であります。最初の引用文にある「言語」というものではない。「あれは高校時代の同級生ではないか」と心に考えればこれ自体を指しては単なる思想であります。しかし、その思想を客観視すれば、その思想は心の動きに語音の心象の伴うところの言語、すなわち模型動詞となるのであります。「(私は)あれは高校時代の同級生ではないかと思う」と云ったのに当たる。「と」は金田一京助氏の説に「其れ」の「そ」の通韻であるという。つまり「と」は前言を指し示しておるのです。「同級生ではないか、そう思う」というのです。ここに於いて「同級生ではないか」は単なる思想ではなく、思想の模型であります。

そして「思う」は前言を生産性に対する産果物とする作用であります。最早思念自体ではなく、思念に意味が付与されたところのひとつの作用であります。語音の心象に由って言語の心象になっておるのです。紛らわしいですが、この「同級生ではないか」という思想を「おや」と表せばそれは感動詞(主観詞)であります。一方は思念を概念として客観的に表し、他方は其の状態を主観的に表しておるのです(『標準漢文法』三百七十項)。

最後に上記を簡単に図にしておきましょう。


前にも申したとおり模型詞は主観詞ではなく、概念詞に属します。ただ概念を表すに観念表象の声真似を以ってするのみです。概念でありますから客観的対象を予想するのです。単なる思想自体でもなければ、思想の状態でもないのです。



今回の題目は直ちに漢文法に関係しないように見えるも、我々の目的は松下文法に準拠して漢文法を学ぶ以上、松下文法自体を無視できないのであります。迂遠なように見えてもこれ以外に通達する道はないのです。孟子にこうあります。

博學而詳說之、將以反說約也 (孟子離婁下)

「博く学びて詳らかに之を説くは、将に以って反って約を説かんとするなり」と訓みます。朱註に曰く「非欲以誇多而斗靡也、欲其融會貫通、有以反而說到至約之地耳」と。我々の目的は知識の融會貫通にして、至約の地に至らんとするものであります。更に曰く、「學非欲其徒博、而亦不可以徑約也」と。いたずらに博学たらんとするものに非ざれども、然ならでは亦約することも叶わぬものなのです。本に反るために行くのであり、至約せんために博学するのです。




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観念の表し方

■日本語と漢文との観念の表し方の相違

日本語は連辞より詞を作り、漢文にては主に明確に思想分解が行われ詞と詞との統合によりて観念を表すのであります。「雪らしい」は「雪」と「らしい」との二詞ではなく、「雪らしい」で一詞です。漢文の「如雪」は「如」と「雪」との二詞です。「ぞ」は辞でありますが、「也」は詞であります。「雪らしいぞ」は一詞で、「如雪也」は三詞であります。文法的に直訳すれば、「雪に似ている、そうである」とでもなります。こうすれば「雪に」は名詞(客格)で、「似ている」は動詞となり、連辞ではなく連詞(客体関係)となります。「雪の如きなり」と訓めば「雪の」は「如き」の名詞部に対する連体語であり、「なり」は辞であり、感動詞である「也」とはまったく文法的性能が異なるのです。「雪の如き」は「なり」があって初めて文が結ばれますが、「如雪」は「也」がなくても良いのです。「雪の如き」と「なり」とは辞と辞との結合であり、「如雪」と「也」とは詞と詞との統合なのです。

表さんとする観念が同じでも、それを表す方法は一通りではありません。「瀧」(A)と言えば単辞的単詞であり、「垂直直下的急流」(B)とでも言えば連辞的単詞であり、「絶壁より急下する水流」(C)と言えば連詞となるのです。(A)から(C)に到るほどに思想分解力が強くなるのです。時計も分解すれば組み立てるのが大変なように、観念も明確に分解すれば組み立ては複雑になります。この連詞の成分の統合論を松下文法にては「連詞相関論」というのです。





断句的修用語は読(とう)の中と心得て可なり

松下文法に断句的修用語なるものありまして、感動詞、動詞、表示態以外の名詞と細かく品詞ごとに説明されておりますが、要するに昔ながらの言い方をすれば、句読の読に当たるものであります。而して句読とは何かと申せば、『增韻』に斯く云う、

句讀、凡經書成文語絕處謂之句、語未絕而點分之以便誦詠、謂之讀
(句読は、凡そ経書成文の語絶の処をばこれを句と謂ひ、語未絶にして之を点分して以って誦詠に便にするをばこれを讀と謂ふ)

とあり。また安原氏の『漢文講読法』(四十四項)にて云う、

漢土の人は、此の句読ばかりにて文義を解する故に、童子などの師に就いて書を読み文字を学ぶをば句読を受け、句読を授かるといふ。文章の義理句読によりてかはる故に、句読を緊要とするなり。

(省略)

我が国にては漢文を読むに国語を以って上下顛倒し、てにをはにて義理を取る故に句読を知らざれども、大略其の義に通ずることを得るなり。是によって遂に句読を忽にして文義の差誤することを免れず。

と。また、

句は一事を一語にて言ひ終るをいひ、其の一語中特に一息切るべきを点を読といふ
と、山岸輯光先生の参考書にありまして、例として以下のようなものを挙げておられる、

禮之用○和為貴。 (論語學而)

「禮之用」と「和為貴」との間にある丸点が「読」です。「禮之用和為貴」の六字全体は句で、「禮之用」は特に題目として掲げられたものであるから、そこで読点を施すと云うのです。

また貝原益軒翁の「點例」より抄出すれば

句読を切る法 語勢既に絶たる処の右の傍に小圏を加ふるを句と云語勢未だ不絶しばらくよみ切て上下混雑せざらしむるを讀と云是上下の両間に小圏を加ふ

とあり、例として以下の如きを挙げる、

大學之道○在明明德。在親民。在止於至善。 (禮記大學)

道の字の下、中間の小圏は讀なり、其の余の右傍の小圏は句なり

子曰學而時習之○不亦說乎。 (論語學而)

之の字の下は讀なり、乎の字の下は句なり


語意不絶の例 論語主忠信下に猶有句て語意不絶ゆへに主としとよむ主とすとよめば語意絶るなり君子食無求飽居無求安又曰興於詩立於禮成於樂此の類皆同じ。よみきるべからず。

ここで挙げられている「讀」はいずれも松下文法にて云えば断句的修用語以外の修用語であります。すなわち提示的修用語です。「主忠信」は「忠信を主とす(終止格)」ではなく、「忠信を主とし(連用格)」であります。端から従属的であることに注意してください。断句的修用語とは、一旦断句として独立終止して然る後に再び従属化して詞の資格で以って下詞の用に従属していくものを云います。高於菟三氏の『漢文作法要義』(七項)では、讀を分かちて二種とし、一は「問答の詞に使用して下文を提起する際に置く者」、一は「行文の際に上文を承けて下文を提起するもの」としてありまして、我々の所謂断句的修用語は前者のものと考えてよい。例を挙げれば以下の如し。

○予與爾言 (論語陽貨)
先生且○吾將念之 (史記淮陰侯列傳)
誰家玉笛○暗飛聲 (唐詩選李白)

下線部は一旦断句として独立終止しておる点に注意してください。「來」は終始格(命令的用法)でありますが、下の語を言うための準備としての呼びかけでありますから、下詞に対して従属化しておるのです。「誰家玉笛、暗飛聲」は「誰が家の玉笛が暗に声を飛ばすのか」というのではなく、「誰が家の玉笛ぞ」で一旦句として独立終止するのです。ただこれは下の事件についての叙述であり、下詞と合体して初めて完全なる事件を表すのでありますから、断句としての立場を失い、修用語たる詞として下の詞に従属していくことになるのです。一旦句となりて後、復た讀となるのです。讀ではあるが、端から讀であるのではないのです。

松下博士は論をここにとどめず、断句的修用語と、従来の日本文典における複文なるものと、英文典の複文とを対比するに到ります。すなわち従来の日本の文法書では「君公園に行かば、我もまた行かむ」のようなものを複文というのでありますが、これは日本の文法家が西洋文典のsimple sentence、complex sentence、compound sentenceの三別を誤解したものであるというのです(七百四十八項)。英文典に所謂複合断句(complex sentence)とは、

If you go to the park, I shall go there too.
I am reading the poetly, which you wrote.

のようなものを指して言うのです。下線部が断句的修用語です。これを訳せば、「如し君が公園に行かむ矣。則ち我も亦行かむ」の意となり、「如し君が公園に行かむ矣」の部分が一旦独立終止しておることがわかります。英文の「go」や「wrote」は従属格ではなく、終止格なのです。連体格や連用格ではないのです。これを日本の文法家が「君が公園に行くならば(機会格の提示的修用語)」、「君が作れる詩(連体格)」と従属格的に訳したことからClauseの意が誤解されてしまったのです。Clauseは我々の謂う断句的修用語であります。一旦独立して然る後再び従属化しておるのであり、端から従属格的であるのではないのです。




松下大三郎博士曰く、
英文典などの説明にはClauseは主語と叙述語とより成る連詞であるとしてあるが、それは平易な説明であって、理論的に言へば断句の独立性を失ったものである。(英語などには分詞法は主語を取らないが)若し分詞法が主語を取ったとしてもそれはClauseではない。日本語や漢文では分詞法(連体格)が主語を取るがそれはClauseではない。何となれば断句性がなく始めから従属的であるからである。 (『標準漢文法』七百五十項)

大事なところは一旦独立終止しなければならないということであります。端から従属格的な立場にあるのならば、それは単に動詞の格の問題に過ぎないのです。


【余談】


I am reading the poetly, which you wrote.
I will go if he comes.

などは、Clause即ち断句的修用語が後ろにあり、前に被修用語があることになります。日本語や漢文では必ず修用語が前で、被修用語が後ろです。之が為に松下博士はかく述べる、

日本語の連詞成分の排列法は此の如く隅から隅まで一定の法則に支配されているのである。此れによって我々はどれだけ思惟の上に経済的であるか知れない。

ところが欧州語などになるとそうはいかない。決して従属語は先、統率語は後などと簡単にいふことは出来ない。従属語の中で副詞などは先に置かれるのと後に置かれるのとある。副体詞も必ず先とは言へない。実に不規則である。それ故欧州文典では成分配置の法則を一括して一般的に記載することは出来ない。 (『改撰 標準日本文法』七百五十五項)

王力氏も言う、

支那語に於ける詞の順序は非常に固定している。非常に固定しているが故に、詞性は詞位によって明らかであり、西洋の言語のように後加成分(suffix)によって詞性を示したり、屈折作用によって「格(case)」「法(moods)」を示したりする必要はない。

(省略)

又もし我々が付属句は必ず主要句の前に在ると云ふことを知れば、従って多くの連詞はすべて省くことが出来るのである。例へば、「如果你不我十塊銭、我不賣」といふ必要は無く、唯「你不我十塊銭、我不賣」と云ひさへすればそれで良いのである。

「如果」(if)が無くても、勝手に従属化するのです。「我不売」を註解するに前詞の「不給」を以ってするのです。前詞が従属語で、後詞が統率語と詞の排列が固定的であるからこそ省くことができるのです。





客語(目的語)の位置

『呂山草堂詩話』に曰く、

十年も詩を作っていても、「書見」という語を用いて「読書」を表現してくる人もある。『漢語史稿』を読んでいると、殷墟文字などでは目的語の下に述語が置いてあったと書いてある。それなら「書見」も「詩作」も良いではないかという論は導き出せない。歴史的発展と云う「わく」をはめて物事は見ねばならぬのであるから。

と。

然るに以下のような例あり。

食者謀之、又何間焉 (春秋左傳莊公)
永言思、思維則 (毛詩) (箋云:長我孝心之所思)
厚問定君於石子、石子曰覲為可 (春秋左傳隱公)

王力氏の文法書では『名詞の副詞的使い方』のところでこの例文があがっておるのですが、松下文法とよく一致した分類であります。松下文法に於いては、これは「名詞の修用格的用法」といわれるものでして、簡単に言えば名詞の副詞的用法であります。「王覲」は「王が謁見する」のではなく、「王に謁見する」のです。「肉食」は解釈として「肉を食らふ」のでありますが、客体概念を表すに方法を以ってするのです。客体であっても客語ではないのです。直訳すれば「肉もて食らふ」のです。文の成分としては修用語。

名詞の修用格的用法自体は珍しいものではありませんが、客体を提示するのでなく、平説に修用語にして用いる例は稀です。





使動の形式動詞の非帰着化について

『使動の形式動詞の非帰着化』とは、以下の文のように修飾形式動詞である「使」が非帰着化しておる場合を云います。

子曰民可使由之、不可使知之 (論語泰伯)

この「之」は朱熹註によれば、「民」のことを指しますから、厳密に読み下せば、「民は之を由らしむべし、之に知らしむべからず」となります。「之」は使動性に対する客語であることに注意してください。「之に由らしむべし」と読んでしまいますと、ややもすれば「之に」が原動「由」の客語のようにも聞こえてしまうのです。その結果「之」は政府なり行政組織なりを意味し、国民というものはそのようなものに従わせるべきである、などという如何にも封建的な思想として解されてしまうことにもなるのです。この「之」は使動に対する客語なのです。すなわち「可使之由」の意であります。では一体何に由らしむのかと言えば、新注には「民可使之由於是理之當然」とあります。「由」の客体概念(厳密には「於」の客体概念)は「是理之當然(是の理の当然)」であることが分かります。

次に「不可使知之」の「之」を「之に」と読むべき理由を述べます。これは「之を」と読んでも構わないのでありますが、そうしますと上記同様「之を」が原動「知」の客語のように聞こえてしまうのです。しかし実際にはこの「之」は使動性に対する客語であります。すなわち「不可使之知(之をして知らしむべからず)」の意であります。世の中の真実を国民に知らせてはならぬ、などという意味ではなく、国民をして世の理を理解させることは出来ぬ、の意であるのです。それから使動性に対する客語は、原動の動詞の自動他動によって、依拠格的または他動格的に読み分けると言う、日本語としての語調上の要請があるのです(六百三十二項)。原動が自動なら、「子供を遊ばせる」のように他動格的に読み、原動が他動なら、「子供に野菜を食べさせる」のように依拠格的に読むのです。「子供を野菜を食べさせる」というと語調が悪いのです。しかしいずれも使動性に対する客語であることに変わりはありません。「使子供遊」「使子供食野菜」とすればどちらも「使」の客語であることが明瞭です。

ここからが本題であります。つまり、なぜ「使」が非帰着化(客語を取らないということ)したのか、ということであります。なぜ、「使之由(之をして由らしむ)」「使之知(之をして知らしむ)」とならないのか、というこであります。『標準漢文法』の六百四十二項には、

(六) 使動の形式動詞の下の動詞に使動の客語があるときは形式動詞には客語が要らない。

とあります。で、これがなぜなのかということに附きましては、六百二十六項の記述が参考になると思います。以下引用します。

「被」「為」「見」等被動を表す形式動詞の下へ本動詞が附いて出来た動詞は一つの形式動詞ではなくて一つの連詞的本動詞である。

これは被動態の動詞についての記述でありますが、使動態の動詞にも当てはまります。たとえば、「死諸葛走生仲達(死せる諸葛、生ける仲達を走らす)」の「走」は使動性を帯びており、その使動性に対する客語が「生仲達」ということになりますから、これを使動の形式動詞を使って表せば、「使生仲達走(生ける仲達をして走らしむ)」となります。しかし原文では「走」自体がそのまま使動性を帯びておるのです。言ってみれば「使走」といったようなものです。この「使走」は実質形式相備わるところの連詞的他動性使動態本動詞ということになります。「他動性」であるのは先に申しましたように原動「走」が自動性のため使動の客語は他動格的に読むのでした。

「使由之」「使知之」の「使」が非帰着化しておりますのも、「使由」「使知」が使動の形式的意義と、動作の実質的意義の相備わった連詞的本動詞であると看做すのです。「走」は一詞で使動態本動詞であり、「使由」は連詞としての使動態本動詞なのです。

「被圍於趙」の「被趙圍」に於けると、「使由之」の「使之由」に於ける関係は、一方は被動使動の客語が非帰着化し、形式詞と実質詞が直接統合せられ一つの本動詞となっており、他方は然らざる点に於いて同じなのであります。

(注)「被」は帰着形式動詞であり、「使」は修飾形式動詞である点は大きく異なるので注意してください。
(注)「被圍於」は連詞的依拠性被動態本動詞で、「使由」は連詞的他動性使動態本動詞。「被圍於」の「於」は動詞の依拠性を明確にする所以で、形式動詞です。「於、于、乎」皆同じ。六百五十八項参照。「使由」が「使由於」とならないのは、「使由」が他動性であるため。



辞書をすら用いず漢文を読む

今までの知識の確認をしておきましょう。以下の如き文は、造句法を以って句を分析すれば、ほとんど何等の前提知識も無しに大凡の意味を取れるべきものです。「掊克」や「讓」などは、ちょっと難しく感ぜられるかも知れませんが、いづれの字と対になっておるのかを発見できれば、辞書を引かずともだいたいの意味は分かるはずです。

春省耕而補不足秋省斂而助不給入其疆土地辟田野治養老尊賢俊傑在位則有慶慶以地入其疆土地荒蕪遺老失賢掊克在位則有讓 (孟子・告子下)


【参考】





「辟」の意味が分からなくても、「治」の意味から同類の概念であることは察しが附きますし、「蕪」の意味が分からなくても「富貴」などの如く上下似た意味の語が連なっておるのであろうと推測できるはずです。

「?」の部分はまさしく造句法の本領発揮たるべき箇所であります。一方が肯定的であるところから、他方の意味も大体察しが付けられましょう。すなわち、俊傑(才の優れたもの)が位にあるときは慶であるが、『掊克』が位にあるときは『讓』である、というのです。

造句法の練習

もうひとつ例を見ておきましょう。以下の文もまた何か殊更に新知識を要するものではなく、造句法より考え対を発見せんと心掛ければ、おおよその意味くらいは取れるものなのです。またそれが出来るようになってからでないと、文法の勉強もはかどらないものです。

施恩者內不見己外不見人則斗粟可當萬鍾之惠利物者計己之施責人之報雖百鎰難成一文之功 (菜根譚)

まず文をよく眺め、対になっておるものを見つけるのです。すなわち、「内」と「外」とが対になっておるが、これをよく眺めれば、「內不見己」と「外不見人」とがきれいに対になっておる事に気が付く。さらにその後を見ますと、「利物者」という句が目に入ってくる。是れ、出だしの「施恩者」とよく対になっておる。要するにこの文は大きく分けて「施恩者內不見己外不見人則斗粟可當萬鍾之惠」(二十字)と「利物者計己之施責人之報雖百鎰難成一文之功」(二十字)とから成り立っておるのだなと当たりをつけるのです。字数を数えるとどちらも二十字であります。そこでこれを横に並べて書いてみましょう。きっと新たな発見があるはずです。



「斗粟」「萬鍾」「百鎰」などと言った漢文独特の、とっつきにくい表現も上図のように分析できればなんということはない。要するに莫大の量と極小の量とを表さんために対になっておるに過ぎない。もし「斗粟」が分からなくても、「萬鍾」の「萬」が大なるものであることは分かる、さらにこれが「一文」と対になっており、これが「百鎰」と対になっておるということから、「一文」の「百鎰」に対する関係と、「萬鍾」の「斗粟」に対する関係が「貧富⇔貴賎」などと同じではないかと見当をつけるのです。つまり「一文」が小で「百鎰」が大ならば、「萬鍾」が大で「斗粟」は小ではないかと。辞書を引くまでもない。

「斗粟」を仮にXとします。このXは構文から推測可能なのです。


見返りを求めることなく恩を施すものは、小量の施しといえども、多大の恵みとしての効果を持ち、一方、いくらやったからいくらの見返りがあるだろうなどと計算しながら恩を施すものは、莫大の施しをするといえども、小量の効果をすら期し難い、そんな意味であろうと読めるわけであります。

「利物者」などの三字は、簡単といえどもこれだけを見ておったのでは埒があかない。意味がわかりそうでわからない。ただ「施恩者云々」の句と対になっておることを見抜き始めて、意味が定まるのです。

上記のような造句法を特に対偶法といいますが、漢文にしてこの句法に由らぬものは稀でありまして、凡そ漢文といえばこの句法によってその大部分が構成されておるといってよい。よって白文読解の研究はこの句法より始まると言っても良いのです。語法や字法、さらには文法の研究はその次に位するものであります。この点は西洋文を学ぶときとは大いに異なるところであります。




造句法で漢文を読む

『造句法で読む』

結局、初めのうちはこの読み方が頗る当たる。文法的に文を研究するのでなく、其の前にまず句の作り方を見抜くのです。たとえば以下の例文を見てください。

知者創物能者述焉非一人而成也君子之於學百工之於技自三代歷漢至唐而備矣故詩至於杜子美文至於韓退之書至於顏魯公畫至於吳道子而古今之變天下之能事畢矣道子畫人物如以燈取影逆來順往旁見側出橫斜平直各相乘除得自然之數不差毫末出新意於法度之中寄妙理於豪放之外所謂遊刃余地運斤成風蓋古今一人而已 (蘇軾書吳道子畫後)

このようなものは相当に漢文を訓練した後でなければ、読めぬのではないかと思われるかも知れませんが、実はそうではない。細かいところに多少不明瞭なところがあったとしても、大意くらいは取れるものであります。では、どうすればよいのか。

漢文は漢字の羅列であり、漢字一字一字は己の文法的性能を表しておらないため、ただ徒に漢字を配置したのではいくら文法上問題なくとも意味を取りづらいものであります。そこでどうするかといえば、字を積み句を成すに当たって対を用いるのです。上記の文がどのような対を成しているかを図示すればこうなります。


出だしの「知者創物能者述焉」の八字はこのままでは唯の漢字の羅列にしか見えぬかもしれませんが、これを上図のように「知者創物、能者述焉」と四字句の対になっておることに気が付けばそれでよい。知者と能者とが対比し叙述されておるのがわかるのです。漢文法などの出る幕ではない。この構造がわかれば「焉」の字が所謂置き時、松下文法に言う形式名詞(または形式感動詞)の類であることが分かるのです。もちろん、一旦この「焉」の字を下の「非一人而成也」の句に属して副詞として解してみて、其の上で意味上矛盾するから、これは形式名詞で「述」の字に付属するものであると判断するに到るもまた可であります。すなわち、この「焉」を副詞として「焉(いづく)んぞ一人にして成るにあらずや」と反転させて読みますと、一人で成るものであるという意味になってしまうのです。これでは知者が物を作り、それを能者が述べ伝えると言う意味に反してしまうのです。そのことは後の「君子之於學百工之於技自三代歷漢至唐而備矣」の部分を読めば、より一層明らかになりましょう。君子百工の学技は突然に完成された状態で現れるのでなく、順を追って大成されるに至るのです。

「詩至於杜子美文至於韓退之書至於顏魯公畫至於吳道子」も上図のような構造であることをまず見抜くのです。それぞれの下三字、つまり「杜子美、韓退之、顏魯公、吳道子」のうちのどれか一つにでも見覚えがあれば、その他の三つも人の名前であろう事は察しが附くのです。また「詩、文、書、畫」などの構造に気が付くことも大事です。そうしますと詩や文や書や画についてそれぞれが一人の人間の手になるものでなく、何世代にも学術が継承されて初めて杜子美や韓退之などが現れ理論や技術が集大成されるに至る、まあそんなことが書いてあるのであろうと分かってくるのです。

「逆來順往旁見側出橫斜平直」などもまず上記のように構造を見抜くのです。見抜いたところで内容がよく分からなかったにせよ、これは上に「道子畫人物(道子の人物を画くや)」とあり、なおかつ下に「各相乘除得自然之數不差毫末(各々相乗除し、自然の数を得て、毫末に差はず)」とあるところから、これは結局道子の絵を描くことを肯定的に形容しておるのであろうなとやはりわかるのであります。

(註)「不差毫末」のようなものを、「毫末をも(さへ)差はず」などと読むのはあまりよろしくない。菜根譚に「雖是在世百年、恰似未生一日」という語がありまして、これを読み下して「恰も未だ一日を生きざるに似たり」としてあるのがあるのでありますが、そう読んでしまうと「一日」と「生」との連詞関係が修用関係になってしまう。すなわち「一日生」の語順として解したことになってしまうのです。原文に対して文法的に忠実でない所以であります。「毫末不差」ならば「毫末」を修用語として読み、「不差毫末」ならば客体関係として読むまでであります。

最後に「出新意於法度之中寄妙理於豪放之外、所謂遊刃余地運斤成風」の部分を見ておきましょう。これは上で道子の技量を肯定的に形容した続きであり、特にその流れを反転させるような逆接の文字もないのでありますから、上図のように句の構造さえ掴めれば能事畢れりというものです。すなわち「新意を法度の中に出し、妙理を豪放の外に寄す」と読めればそれでよいのです。其の後の「所謂遊刃余地、運斤成風」は荘子にある言葉でありますが、そんなことは分からなくてもよいのです。「所謂」とある通り、これは前語を受け、また何かほかの言葉で以って再び形容し賞賛しておるのであろうくらいのことは分かるのです。兎に角これは道子の技量を肯定的に形容しておる部分だと把握することが大事であります。そうして終わりに「蓋古今一人而已(蓋し古今に一人のみ)」とあって、ああ、なるほど、これは要するに吳道子を称えた文であると、大意を取れればよいのです。



誤字の検出批正もまた勉強

参考書などの白文を写しながら勉強しておりますと、当然にその印刷物には誤字や脱字があるものです。戦前のものなどに特に多い。初めのころはそれに苦しみもしてどうも読めない、一体この文はどう読むのであろうなどと考えあぐねた末に原文に当たってみますと、あるべき字が入ってなかったり、本来あるべきでない字が入っておっただけということがしばしばあったものです。しかし、読書力がついてきますと、此の字は誤字ではなかろうか、ここには何か脱字があるのではなかろうかなどと分かってくるものでして、原文にあたると確かにそうである、こういう経験は却って非常な自信となるものです。以下の文は明治期の漢学者で早稲田大学にて漢学を講じたこともある菊池晩香の『漢文志彀』という参考書の凡例にある一節です。最後の「随讀随批、亦是一學問(随って読み、随って批す、亦是れ一の学問なり)」という言葉、まことに其の通りであろうと思う。教科書に誤りがあること大いに結構、それを自ら批正できるくらいになってもらわなくては畏るるに足らぬというものであります。

活版之弊、動混魯魚、然考試課中、有正誤之目、蓋撿出誤字、以批正之也、此書時見柳為抑日為曰者、随讀随批、亦是一學問



語釈

「動」はヤヤモスレバ。本副詞。ほかに覚えておくと役立つ本副詞を挙げれば次の如し。「現」はマノアタリ、「坐」はソゾロニ、「立」はタチドコロニ、「即」も接続詞でなく本副詞の場合はスナワチと読むも意味は「立」と同じくすぐにの意。こういう本副詞は覚えておきましょう。


「魯魚」は抱朴子に『書三寫、魯為魚、虚為虎』とあり。字形の相似るによって字を誤るを言う。


子供の鼻は折るべし

『梅園拾葉』の「戯示学徒(戯れに学徒に示す)」に曰く、

学文は、置き所によりて、善悪わかる。臍の下よし。鼻の先悪し。

知識を得てはそれを鼻先に引っ掛ける、それを次から次に折ってやるのは父兄の義務でありましょう。放っておけば、学者臭く鼻につく。



講義ノートを忘れたので其の日の講義を休講にした教授がおったとかいう記事を何かで読んだことがありますが、其の真偽はさておき、我々読んだ書物を本棚に蔵める。しかしこれは非常にあぶなっかしく、また不便な場所であります。一旦火災に遭えばそれまでですし、大きな地震のときに持って逃げるわけにもいかない。然らばどこが安全か。ここに「腹笥(ふくし)」というものがあるのです。腹の箱であります。これ以上安全なところはない。いざとなれば身一つで避難し、また身一つあれば講義もできる。善き読書家は、善き蔵書家であります。

朱子読書法の評にこうある、

「以腹為笥、而書乃真為我有(腹を以って笥と為す、而して書乃ち真に我が有と為る)」

社会学者の清水幾太郎が『本はどう読むか』の中で、読書記録をノートに抄録してみたところが、其の膨大なノートは自分の心を素通りしてノートに移っただけであったというようなことを述べておられたが、それは言ってみれば「以抄録為笥(抄録を以って笥と為す)」の類でありましょう。腹に入れなければ自分の所有にはならんのです。



「講学」と「談経」が対。「情田埆」と「腹笥虚」が対。「腹笥虚」は腹の中になにも学問が蓄えられていないことの意であることは、すぐに察しがつきましょうから、そこから類推して「情田埆」の意もわからなければなりません。「埆」は見慣れない漢字でありますが、「虚」の意味から察せられるものなのです。経書を談じては腹の笥は空っぽで、学を講じては情の田が「埆」である、というのです。「虚」と同様、否定的な意味で使われておるのだろうな、くらいのことは分かるのです。要するに無学のたとえです。



斎藤拙堂『本學提綱序』

江戸時代の儒学者、斎藤拙堂「本學提綱序」に云う、
むかし、「和魂」という語あり、鈴屋翁(本居宣長)がこの語を一たび用いて後進に示してより、浅薄なる者は此の語に託けて和の心さえあれば、それで良いではないか、どうしてわざわざ唐土の学問を修めることがあろうかなどと謂う。彼らは皆この語が源氏物語愚管抄などの書に由来し、唐土の才を併せて言っておるのであり、今の人々の謂うところとは異なるということを知らないのである。菅原道真の遺訓にも「国学の要は和魂漢才でなければ、其の奥深きところを窺い知ることは叶わぬものである」と云ってある。このことから昔の和魂なるものと、今の所謂和魂なるものとが違うことが分かる。今日の所謂国学についても昔の国学とは違うものである。昔の国学は必ず唐土の才学に取ることがあった。どうしてただ国史律令和歌物語のことばかりを意味しようか。思うに我が列聖は心になんのわだかまりもなく、大なる心で以って彼我に囚われず、彼の言にして是なれば、それを取り入れ法則とし、彼の行いにして善なれば、またそれを尊び規範とするのである。唐土の文物だからといって無批判に偏執するところは毫もないのである。今日の国家の制度と雖もまたそうである。よって其の学問も教育も決して国史律令和歌物語に止まるというものではない。これ他山の石を以って玉をおさめるということではあるまいか。

然るに近時の儒者は、耳目は漢籍に浸りきり、徒に彼を尊び我を卑しみ、国典を読み和歌物語を論ずるを潔しとせずして、国史律令の何たるかを知らぬものがある。本末の顛倒すること、なんと甚だしいことであろう。ここに於いてか世の所謂国学者流にして而も頗る漢学の造詣深き萩原某というもの、国学の固陋を哀れみ、漢学の誤りを憂えて、一書を著す。名づけて『本学提綱』と謂う。而して余に其の序を請う。余は漢学者にして、頗る国典に渉るものである。孔子の学を宗とし、而も大和魂を失わないものである。此の書が今日の学者の幣によく当たっておることを喜び、ここに鄙見を簡単に書す。


原文

古者有和魂之語鈴屋翁一拈出之以為口實掲示後進至今日人人言之陋者或借此自便謂苟有和之心魂足矣奚以漢才之學為殊不知此語本出源氏物語愚管抄等書皆配漢才言之與今日人人所言者異且菅家遺戒云国學之要自非和魂漢才不能窺其閽奥其言如此而意亦可知也由此觀之古者所謂和魂者既非今日所謂和魂而今日所云国學者又非古者所云国學必有資於漢之才學豈獨國史律令和歌物語之謂哉蓋我列聖廓然大公不置彼我於胸中彼言而是我取以為法彼行而善我遵以為典毫無掩拙護陋之見雖今日國家之制亦然故其建學教士不止於國史律令和歌物語是非所謂佗石攻玉之意歟雖然近世儒士耳目濡染於漢籍或尊彼卑我不屑讀國典論和歌物語有不知國史律令為何物者本末之倒置亦太甚矣豈其可耶浪華萩原某世所謂國學者流而頗渉漢籍憫國學者之固陋而憂漢學者之紕繆慨然著書矯而正之以諗於世名曰本學提綱属序於余余漢學者而頗渉國典者也宗孔子之學而不失大和魂者也甚嘉此書之中今日學者之弊也為之書鄙見助而張之以寘於簡端



ちょっと長いですが、文法的に困難なところは少しもありません。一体どうやってこういうものを読むのかといえば、先ず句の塊を掴むのです。では句の塊はどう掴むかといえば、これは一定の慣れが必要であります。一言以ってこれを覆うことは、私の力量では到底及ばぬところであります。しかし、写すこと、これだけはやらなくてはならない。写した上で、分かるところから句読を切り、訓点を施しつつ読んで行くのです。

出だしのところを読んでみましょう。まず「古者」は「むかし」の意味で「郷者(さきに)」「今者」「近者(ちかごろ)」など時を表す決まった形でありますから、こういうのは辞書を引けばすぐ分かりますし、覚えてしまえばそれで良いのです。この「者」は一体文法的に何かなどと云う穿鑿は初めのうちは要らんのです。次に「有」の字があります。これも文法的にうるさく言えば客語を取るのであり、決して主語が「有」の字の下に来ておるわけではありませんが、そんなことはよい、とにかく頭の中で一体何が有るのかと自問して次を読んで行くのです。すると「和魂の語」とある、これはそのまま一つの塊として見えます。これで「むかし、和魂の語有り」と読めるのです。無論、「むかし、和魂の鈴屋翁に語ること有り」などと「語」を動詞として読めないことはありませんが、これは結局意味の上から判断するしかないのです。「有」の字など帰着語がどこまで懸かるかを管到などというのでありますが、管到は読者が自身で見抜くしか無いのです。

次に「鈴屋翁一拈出之以為口實掲示後進至今日人人言之」を見てみましょう。「鈴屋翁」は人名でありますから、以下その人の作用を表す語が来るであろうことは推測できる、そう当たりをつけて下を見れば、「拈出」「以為」「掲示」などの語が目に入ってくる。ぽんぽんぽんと作用を表す詞の塊が目に入ってくる、入ってこなくても機械的に、「一拈出之」「以為口實」「掲示後進」の四字句に切れるのです。これが「造句法」を考えるというものです。而して「至今日」が目に入り人々が此の和魂の語を今に至って口にしていることが知れるのです。「至今日人人言之」の「至」の管到についても「之」にまで懸かると考え、「今日の人々之を言うに至る」と読むことは文法的には出来ます。

「陋者或借此自便謂苟有和之心魂足矣」の「自便」などが初学者に取っては読みづらいかもしれない。少なくとも私はこういうのがよく分からなかった。たとえば「無之」が或る時は「これ無し」で、また或る時は「これを無しとす」となる、外形に変化なくして而も大きく文法的効果が異なることが情緒として受け入れられなかったのです。由ってここに取り上げるのです。「便」は便利などから何となくその意味を推測できるにせよ、これを「自らに便にす」とは初めのうちはなかなか読みにくい。この「便」は文法的に申せば動詞性再動詞というもので変態動詞の一種です。「自」が副詞(内包性客語)なので動詞の前に置かれますが、代名詞(外延性客語)に代えれば「便己(己に便にす)」となります。「後義(義を後にす)」「弱其志(其の志を弱くす、または弱にす)」などと同じ構造です。「使之為自便」「使義為後」の意。

「奚以漢才之學為」の「奚」は「何」に同じ。「何ぞ漢才の学を以って為さん」と読むも、「何ぞ(または何をか)以て漢才の学を為さん」と読むも可。後者の訓の場合は「漢才之学」が「為」に対して提示語と看做す。「何以伐為」などに同じ。

「與今日人人所言者異」は人によっては「今日の人々と言うところの者異なり」などと読むかも知れない。しかしそれは「與」の管到を誤って居るのです。そう読みたければ、「所與今日人人言者異」でなければならない。「與」が前置詞にして副詞の一種であることを思わねばならないのです。文の成分としては修用語でありますから、提示(*)されておるのでない限り、すぐに被修用語(動詞)が来なくてはならないのです。然らばどう読むかと言えば、「與」を「者」にまで懸けて読むのです。すなわち「今日の人々の言ふところの者と異なり」と読むのです。こうすれば「與」の被修用語「異」が修用語に直結することになります。前置詞「與」の客語は「今日人人所言者」ということです。

(*)「所言者、與今日人人異」の「與今日人人」が提示されておると考えた場合には、「属性の提示語」として「今日の人々とは、言うところの者、異なり」と読むことはあり。

あと注意すべきところと言えば、ちょっと飛びますが、「不屑讀國典論和歌物語」の「屑(いさぎよしとす)」の管到でありましょう。これは「和歌物語」まで懸かっております。「讀國典」にだけ懸けて読まないように注意してください。読むことも論ずることも共に潔しとしないのです。

それから其の直後の「有不知國史律令為何物者」の「有」の管到は「者」です。要するに「者有り」ということです。如何なる「者」かと言えば「不知國史律令為何物」の者です。「不知國史律令為何物」の連詞は結局「知」が代表部でありますから、「知る者有り」と読めるのです。「知」の客語は「國史律令為何物」です。これだけなら「国史律令を何物とす」とも読めますが、ここは「為」を自動性と看做して、「国史律令の何物たる」と読んでおきましょう。最終的に「国史律令の何物たるを知らざる者有り」となります。

「宗孔子之學」の「宗」は、さきに見た「自便」の「便」が動詞を材料とする所の再動詞化したものであったのに対し、こちらは名詞を材料とする所の動詞化したものです。すなわち名詞性動詞です。「以孔子之学為宗」の意。材料に於いて、「宗」は名詞で、「便」は動詞であるところが違うのです。


「甚嘉此書之中今日學者之弊也」の「甚嘉」は、まず「甚だしく嘉す」と読めます。問題はその客語の部分でありますが、これを「此の書の中に学者の幣を嘉す」などと読んではなりません。そう読みたければ、「此書之中甚嘉今日學者之弊也」もしくは「甚嘉今日學者之弊於此書之中」となっていなければなりません。(『支離叔與滑介叔觀於冥伯之丘、崑崙之虛、黃帝之所休』(莊子至樂)の様な例もありますから、これを範とすれば「甚嘉於此書之中今日學者之弊」とすることも可なるも、これは稀)。由って、この「中」は動詞「あたる」の意と解して、「甚だしく此の書の今日の学者の幣に中(あた)るを嘉するなり」と読むことになります。



漢文は難しい

幕末から大正期に懸けての漢学者、石川鴻斎が『文法詳論』において漢文の難しさを述べてあるところを参考に抄録しておきます、

嘗て文章に附いて清人の客人に添削を請うたところ、彼は読みながら句読を切り、其の不可なるものあればこれを直す。而して助字に至っては、何度か口ずさんだ上で不当であればそれを改めていた。支那人と雖も其の可否を弁ずるに苦しんでおるようであった。 (上巻 六丁)

余、往時、文の添削を沈海史に問う。其の添削するところを元の文に較べれば、却って劣っておるように思われたので、そのことを問いただしてみた。すると言下にこう言われた、「音調の問題である」と。また詩を張魯生に問うてみた。平仄も韻字も皆備わっておるもこれまた原作に勝っているとも思われない。そこでまた之を問いただしてみた。曰く、「朗読するに佳ならず」と。

そういうわけで益々詩文の難しいことを知るのである。 我が邦の文人は唯辞賦に声律あるを知るばかりで、散文に平仄有るを知らず、詩に平仄有るを知って、句に音調有るを知らず。由って、我が国に於いて文人詞客なりと雖も、支那人に称せらるる者、甚だ少ない。(『続文法詳論』 下巻 四十一丁)






とどのつまり漢文は如何に読むのか

【とどのつまり漢文は如何に読むのか】
これが私が 漢文を少しく真面目に勉強しはじめたときの疑問であります。論語孟子なり大学小学なりを読んだところで、どうにも納得の出来ないような句法や、語の排列に 関する疑問が沸き起こってくる。

如何なる疑問があったかと申しますと、たとえば「於此有人」と「有人於此」との違い、「傍若無人」と「若傍無人」との違い、「於茲六年矣」と「十年於今」との違いなどや、はたまた名詞の上には「不」は来ないはずにもかかわらず、「不亦君子乎」とあり、さらに「不亦待其身者 已廉乎於人也」に至っては主語と叙述語との上に「不」が来ておる、また孟子滕文公下では君無き士の弔うべきことを述べて「亦不足弔乎」とあるのでありますが、これを「不亦足弔乎」と同義に解してあるようなのもあるのです。原文に忠実な学習者ほどこういうところでつまづくのではなかろうかと思う。孟子註疏を見てみる と「猶喪人也、不亦可弔乎」とありますから、意義からすれば「亦た君子ならずや」などと同じく、「亦た弔するに足らずや」と読むも可なる如く見えるも、そ れ既に自らに決めてかかったところのある解釈でありまして、孟子の原文そのものを主とせず、却って自らの解釈を孟子に当てはめたようなものと思う。嘗て小野正康氏が『教育勅語謹解』のなかで学者の幣をこう評した、

即ち教育勅語から解釈しているのでなくて、他の原理 に 拠り、それを本として、それから解釈しているのである。重言すれば、教育勅語を本位に、その組織体系において謹解しているのでなくて、いつの間にか他の原 理原則を本位に、例えば、儒教の組織体系を本位に、或は西洋学の其の組織体系を本位にして、それから立論して解釈しているのである。そして自らは、勅語そ れ自らを至心に謹解していると思っているのである。

上記孟子の解もまたこの類でありましょうか。然らば孟子の原文に即して、つまり孟子本文の文字の排列に素直に従って解するとどうなるのか、誰も私の解釈など求めもしないでしょうが、ちょっと参考までに書きとめておきます。

孟子原文の「亦不~」は形式上どうしても「不亦~」とは違う、ここで詳しく述べることは避けますが、この「亦」は本副詞ではなく、接続詞としての用法にあろうと思っています。つまり「こういう訳合いだからやはり弔問するに足りよう」の意ではなく、「こういう訳合いがあってもやはり弔問するに足りないか(い や、 弔するに足りよう)」の意ではなかろうかと。「亦」一つの運用の仕方でちょっとニュアンスが変わるのです。(三百十七項参照)


話がそれましたが、とにかく漢文の読み方に色々な疑問が出てきたのです。そこでいくつか参考書に目を通してみる。よく読んだのは塚本哲三氏の「漢文解釈法」でありますが、やはりこれでは徹底しないものです。ほかにも参考書の類で言えば、島田先生や小泉苳三氏の解釈物を二三やってみましたが、これは言ってみれば漢文に慣れ親しむのに奏功したというもので、大いに役に立つにせよ亦徹底的でない。文典も二三買い求めましたが、児島氏のものは既に漢文をよくするものが手にして初めて効果のあるものでしょうし、廣池氏のはちょっと自分には納得しかねるところが多かったように思います。漢文はこうやって読むのだということを書いてあるものには結局遭わなかったと言ってもよい。少なくとも細かいところの説明があまり体系的ではなかった。読者のなかには、なにか良い漢文の参考書はないかと問われる方も居られるかもしれませんが、そういうものは無いと思ったほうがよい。そうであるならば、どのように漢文を学ぶのか。

漢文を学ぶにはどうしても体系的でなければならない。単に名詞動詞副詞と言った文典的知識だけではとても叶わぬ。「劉豫」は人の名前にしてしかも「是欲劉豫我也」の如く動詞になり、また「毋為秦所魚肉也」 の「魚肉」も単なる名詞ではなく動詞化しておるのです。これでは品詞などあってないような物のように見えますが、やはりそこには一定の法則があるのです。 名詞が動詞になるのにも、副詞が動詞になるのにも、一定の範囲内で動詞化しておるのであり、決して勝手気ままに動詞化しておるのではないのです。我々はその法則を学ぶのです。先人が何十年もの読書生活を経て自得したものを、我々は半年ないしは一年で手に入れようというのです。体系的理論の力をここに於いて知るのです。

すなわち松下大三郎博士の『標準漢文法』のことを申しておるのでありますが、初手から斯くの如き専門的な書に就いて勉強したのでは、漢文を嫌いになるばかりでありますから、結局初めのうちは巷にある受験用の句法集などで漢文になれるところから始めるのがよい。精読書としては孟子や十八史略がよい。一日に五十字前後の白文を毎日読むようにするのです。原文を書き写して訓点を施しては、正解と照らし合わせていくわけであります。初めのうちは随分と骨が折れ、時間も懸かりましょうがこれは仕方が無い。避けられない。ここでよく苦しんでおかなくてはなりません。このとき当然疑問も沸き起こってきましょう。返り点の打ち方や、訓読の仕方、文字の排列による意義の変化、そういう疑問は手帳か何かに書き留めておくとよい。後に『標準漢文法』について学ぶときに此の疑問を解決せんとする目的を持って読むことができるからです。嘗て荒木寅三郎氏が京都帝国大学で総長をやられておるとき、学生に読書の細読法を述べて其の一つに「意図を以って読む」ということを言われた。内容以下の如きであります。

意図を以って読むとは、所読の書に就いて豫め或る疑問を起こし、必ず之を解決せんとする意図を以って其の書に臨むを謂ふ。例へば論語孟子を読むに当たり、豫め孔丘孟軻は如何なる人なりや、または論孟は何の書なりや、または論孟の某章もしくは某句は何の義なりやの疑問を起こし、其の解決を期図して之を読むの類なり。凡そ書の読者に於けるや、問あれば答あり。問はざれば答へず。恰も科学者が適当の方法を以って真理を宇宙に問へば、宇宙は之に相当の解答を与ふるが如し。もし何の疑問も無く、何の意図も無く、漫然と書に臨まば、読み了りて得る所は僅かに漠然たる輪郭に止まり書の内容実質に至りては何の得る所もある可からず。程子曰、讀論語、有讀了全然無事者。また曰く、今人不會讀書、如讀論語、未讀時、是此等人、讀了後又只是此等人、便是不曾讀(註)と。意図なくして書を読む者も亦此の類なり。

(註)いずれも論語序説にある語。「程子曰く、論語を讀むに、讀み了って全然無事なる者有り」「今の人、書を讀むことを會せず。論語を讀むが如き、未だ讀まざる時、是れ此れ等の人、読み了って後又只是れ此れ等の人なり、便ち是れ曾て讀まざるなり」。書を読むも何等役に立つことを得ないでは、読まぬのと変わらんということ。ここでは漫然と読むことを戒める意。

八百項ほどもある『標準漢文法』を漫ろに読んだのでは得る所がないのはもとより、退屈して仕方がない。兎に角まず白文の練習を三ヶ月でも半年でもやることであります。白文に当たってよく骨を折り疑問を蓄えて置くことが大事です。それが済んで後、『標準漢文法』に取り掛かるわけでありますが、一体どこから読んだらよいのか等のことはまた日を改めて述べることにします。




実質関係

禮云禮云、玉帛云乎哉 (論語陽貨)

礼儀が大事だ大事だと云っても、どうして玉や絹布などの形式を謂おうか、という意味の言葉でありますが、今回考えますことは、この「禮」と「云」、「玉帛」と「云」との連詞関係です。ふつうは上記を読み下して、「礼と云ひ礼と云ふ、玉帛を云はんや」などとしますが、それでは「曰禮曰禮(礼と曰ひ礼と曰ふ)」との区別がつきませんし、さらに後句の「玉帛云」がどうして「玉帛云はんや」ではないのかという疑問が生じます。

文法的には、この「禮云禮云」の「禮」と「云」との関係は実質関係というものであります。然らば、その実質関係とは如何なるものかと言えば、例えば父親が子供に向かって、「いいか、私がお前に勉強しろ勉強しろ云うのはだなあ云々」の「勉強しろ勉強しろ」と「云う」との関係に同じです。「勉強しろ勉強しろ」という実質だけではどうにも言葉の運びに不便でありますから、一度この実質語を形式語で以って受けて、あとはこの形式語のほうを適宜運用していくのです。たとえて見れば、「水」というものは何か適当な器に入れて初めて飲んだり運んだりできるようになるものでありますが、実質関係の実質語というのはいわばこの水に当たります。水と同様、実質語も単独ではちと運用しづらいのです。そこで形式語という器に一旦注いで以って運用の変化に便ならしめるのです。「勉強しろ勉強しろ云う」(客体関係)との違いをよく玩味してください。

此れに由ってこれを観れば、「禮云禮云」を文法的直訳しては「礼云ひ、礼云ふ」となり、「玉帛云」もまた文法的には同じ構造でありますから、「玉帛云はんや」となります。「勉強しろ勉強しろ」が父親の発音そのものであるように、「禮」「玉帛」も亦孔子の発音作用そのものであります。すなわち模型動詞です。


仮に「曰禮云」とあったならば、「曰禮」が「云」に対して実質語となります。この「曰」は、「あいつは外で飯を済ませて来るって」の「って」に当てて考えるとよい。「って」は「とて」の約音であります。意義から言えば「と曰ひて」です。これで文は終わっても良いのですが、ここで再び「あいつは外で飯を済ませて来るって」を実質語(水)として何からしらの形式語(器)、たとえば「言う」などに一旦注いで、「あいつは外で飯を済ませて来るって言った」とするのです。この「言った」は形式語です。無くても実質的意義は了解されるのです。結局「」を訓み下せば、「礼と曰ひ云ふ」(礼って云ふ)となります。客体関係のみ日本語と語順が反対であり、実質関係においては日本語と同じ語順であることに注意してください。

「禮云」「曰禮」「曰禮云」の形式的意義の違いは斯くの如きであります。


【参考】
「標準漢文法」の百九十項。
「改撰 標準日本文法」の「無活用動詞を受ける助動詞(二百八十六項)」、「動詞の格(一般格)五百七十三項」、「補語の材料(動詞の一般格)六百九十項」などが参考になります。



書生も亦勇を要す

分かっておると思っておったことが案外に分かってないと知れたときに、再び該当箇所に就いて復習をするというのは、なんとも気分のいいものではありませんが、しかし勉強はこの繰り返しであります。江戸時代の大学者新井白石も、『折たく柴の記』に学問成就の訣を述べてこう言ってある、

世の人の一たびし給ふ事をば十たびし、十たびし給ふ事をば百たびせしによれる

と。また江戸の儒学者古賀精里は晩年に至るも怠らず毎日書三百字、史書八千枚、経書二章の講習を欠かさなかったと云います。『先哲叢談』には荻生徂徠の勉強振りをこう記してある、

徂徠看書向暮、則出就簷際、至簷際不可辯字、則入對齋中燈火、故自旦及深夜、手無釋巻之時


「簷際(えんさい)」はのきば。日が暮れれば軒先で書を読んだということ。「齋」は書斎。日も完全に没して後は書斎にて火をともして書を読む。「釋」はおくこと。結局一日中手から書物が離れないということ。



「學如不及、猶恐失之(学は及ばざるが如くするも、猶ほこれを失はんことを恐る」
伊藤仁斎、此の句を註して曰く、

苟知學之為美、而懈怠不勤、則是無勇也、故非智不進、非勇不成、學者其可不知所務哉 (論語古義)

「苟」はいやしくも。副詞。「學之為美」は連詞的名詞で、「知」の客語。「非智不進、非勇不成」は対になっておることを見抜く。「可」は反転。「哉」が有って後初めて反転するのではなく、「可」の反転を明瞭にしているのみ。

勇気を求められるのは、何も軍人や政治家や外交官だけではありません。学者も書生も大冊を前にして怯むことなき勇を要せらるるものであります。明治期の文学者内村鑑三は外国語の研究法を述べて斯く言う、

忍耐なれ、吾人研究の結果の如何に大なるかを思い、阻碍に遭ふても失望すべからず、思想の一大新世界を発見せんとす、これに適合する困難なからざるを得ず(註)

通達を計れ、暁得せんとする外国語に対しては占領せんとする敵国に対する観念を抱かざるべからず、即ちこれを討平せざれば休まずとの覚悟是なり、敵地に入りて克服を全うせざる部分を遺すことは患を後日に遺す事なり、冠詞なり、前置詞なり、小は則ち小なりと雖もこれを等閑に附して全部の透徹は決して望むべからず、語学の「ナマカジリ」ほど無益にして有害なるは無し

(註)「なからざるを得ず」:これは松下文法に所謂「無効の否定」の類でして、重なった否定のうちの一つが無効になっておるのです。(『改撰 標準日本文法』四百八項)

漢文にも此の類有り。「奈何」「胡寧」「業已」などの如し。『標準漢文法』四百八項に於いて「同義重語」とあるそれであります。


文法問題

『標準漢文法』の「客語倒置不能の救済」という章を読んでおって、ちょっと思いつくものがありましたのでそれを今回の課題とします。論語泰伯篇に以下の如き文があります。

危邦不入、亂邦不居

この文はもと「不入危邦、不居亂邦」とある客体概念を提示したもの、すなわち客語が倒置不能であるための救済として提示語にしたものでありますが、「危邦亂邦」とすることができるかどうか、これを考えて見ましょう。


結論から言えば、できるのでありますが、それは一体なぜか。

参考例文:

唯許國之 (春秋左傳隱公)
斯人之徒而誰與 (論語微子)


(注意)『不患人之』などと構造が似ておりますが、これは松下文法に所謂『客体関係の特殊的配置』でありまして、「己」は「知」に対して客語です。上例の太字部は代名詞でなく本名詞であることに注意してください。


養生の秘訣

王陽明十七歳のとき、散歩のついでにある道教の一寺院に寄ったところ、老齢の盤膝静座するに出会いまして、これはきっと得道の人であろうと思い、これに問うに養生の道を以ってした。すると道者答えて曰く、「養生の秘訣は、これ一に静なるのみ(養生之訣、無過一靜)」と。

貝原益軒翁もまた云う、

人心不和平則百般病痛自此起矣 (慎思録)

【訓読の手引き】
「自」は前置詞。「~より」と訓む。

心に落ち着きがないこと、これが万病のもとであると。

嘗て我が国の知識として名高かった原坦山先生は『惑病同体論』を著し、「心神の作用其の者は実に健康の礎因たると同時に、また実に万病の本原なりと謂わざるを得ず」と謂われた。すべて其の謂わんとするところは一ならんか。


【練習問題】

今之學者平日之氣象言貌都是暴其氣之事且其接人也一言忤旨一事不合則睚眦發怒厲氣拂戻 (慎思録)


「暴其氣之事」は自己の作用の主客体以外のものに連なる連体語にて、連外というもの。(『標準漢文法』七百五十六項参照)
「睚眦(がいさい)」はちょっとにらむこと。
「其接人也」はここで句が完全に切れておるのでないことに注意。主体的連体語と叙述的被連体語よりなる連詞の性質はどうであったか。(『標準漢文法』二百五十八項参照)
「一言忤旨一事不合」は対になっておることを見抜く。
「睚眦發怒厲氣拂戻」は要するに二字熟語の連続である。





「何」の総括的用法

日本語では「何」という不定名詞の運用を表すに助辞を以ってすることで縦横にその変化を尽くします。例えば、「何が食べたい」「何を盗んだ」「何かが変だ」「何かを変えるべきだ」「何でも食べる」などの類です。(『改撰 標準日本文法』二百三十八項)

現代中国語で「あなたのほしい物は何でもあげます」の意を表すに以下の様にします。

你要什么、我给你什么

「你」は第二人称代名詞。「要」は「欲」。「什么」は「何、如何」。訓読すれば、「你(なんじ)什么(なに)を要せんか、我你に什么をも給せん」とでもなります。日本語ならば、「何か(不定的用法)を欲すれば、何でも(総括的用法)給せん」と明瞭に「何」の用法を区別できますが、中国語においては不明瞭であります。


漢文に於ける「何」は概ね純内包詞(副詞、代副体詞、動詞)でありますが、名詞であることもあります。名詞の場合はほとんど疑問的用法、すなわち単純な疑問を表す用法でありますが、以下のようなものは一体どう解すべきでありましょう。支那人の書いた文の方が例として良いのは当然でありますが、ちょっと見つけられませんので日本人の手になるものをあげておきます。佐藤一斎先生の『言志後録』よりの引用です。

人生有貴賤有貧富、亦各有其苦樂、不必謂富貴樂而貧賤苦、蓋自其苦處言之、莫不苦、自其樂處言之、莫不樂 (言志後録)

(訓み方の手引き)
「富貴樂而貧賤苦」は対になっておることを見抜くこと。
「蓋自其苦處言之」の「自」は前置詞。「自」(帰着語)の客語が何かを見抜くこと。「自其樂處言之」も同じ。


この「何」は一体どういう用法でありましょう。無論、この句は反転しておりません。反転しておると考えますと意味が合わないことになります。つまり「莫不苦」「莫不樂」の句は、貧富いずれに在るも、苦しい立場から言えば何でも苦しいし、楽しい立場から言えば何でも楽しいという意味でなければなりません。もし反転させて解釈すれば、「何ぞ苦しからざる莫からん」すなわち「苦しくないことが無いであろうか、いや、ある」という意味になってしまい文意に合わないのです。よって総括的用法の「何」というべきでありましょうか。読むには「何か苦しからざる莫し」とでもします。


(註)塚本哲三氏の解釈では、この「何」を特に貧でも富でも何れでもの意として狭く解してありまして、またこの解釈のほうが良いことは言を待たざるところであります。兎にも角にも総括的用法であることに変わりはありません。(『更訂漢文解釈法』百八十八項)




漢学者の遺言書

或る漢学者に才助という息子がおったのですが、これがまた非常な不品行であったため、漢学者は其の子に財産を譲るのを好まず、よって養子を貰って実子のほうは追い出した。月日が流れて、この漢学者が死せんとするときに、養子は漢学者に頼んで財産を譲ってもらうための遺言書を書いてもらったのです。これで実子が何を言ってきても財産は自分のものだと安心しておりました。その遺言書といいますのが、以下のようなものです。漢学者でありますから、遺言も漢文でしたためた。

遺言書

しばらくすると実子である才助が財産を取ろうとやってきました。養子はここぞとばかりにこの遺言書を差し出して才助に見せた。この遺言書、素直に読めば「才助は我が子に非ざるなり、故に養子に譲るべし、他人は容喙すべからず」となりましょうが、そこは才助も漢学者の息子でありまして、却ってこの遺言書あるが為に財産は自分のものであると言い出した。すなわち彼はこう訓んだ、「才助は非なるも、我が子なり、故に譲るべし、養子は他人にして容喙すべからず」と。

*「容喙(ようかい)」はくちばしをいれること。口をはさむこと。

これ作り話に過ぎずと雖も、漢文は読み方に由って大いに意味を変えることを示す好例であります。才助の読み方は決して文法的に悖るところはありません。「非」には確かに動詞としての用法はある、「我子」は叙述態名詞たり得る、「可譲」は運用上非帰着化して客語を取らなくても問題ないのです。






漢文速成 三十三日間講座 (五)

前回の続きです。前回は英文法風に言えば、「S+V」の構文を学びました。ただ第二類の構文、すなわち動詞が「有、無」の場合には主語が動詞の下に来るというものでありました。私には両親が居りますと言いたければ、「我父母」とする類です。今回は新たに第三類と第四類を学びます。

「文の研究」


「単文の構造」(其の二)
単文の分類は全部で六つです。今日はその内の第三類と第四類とを学びます。
(赤字は松下文法との関連を補足したもの)

第三類 主語+説語(自動詞)+止語

【ア】止語の前に前置詞の無いもの
「蛇穴に蟠(わだかま)る」と訓みます。(註)「蛇渡河(蛇河を渡る)」の「渡」は他動詞(使用)。「出門」の「出」などに同じ。「河を使用して渡る」のです。「門を使用して出る」のです。「出自門(門より出づ、出づるに門に自りてす)」の「出」が非帰着性であるのに異なるのです。



【イ】止語の前に前置詞の有るもの

(註)嘗ての漢文先生は「於」や「于」を区別したものです。たとえば、山田方谷門下山岸輯光先生の漢文参考書を見ますと、「遂餓死首陽山(遂に首陽山に餓死す)」の「於」は、上の「餓死」の字重く主とし、下の字軽くして客とするとあります。また論語の「吾十有五而志学(吾十有五にして学に志す)」の「于」は、上の「志」の字軽く客とし、却って「学」の字重くこれを主眼として立言したる文であるとあります。ただ文法上から言えばいずれも前置詞性の形式動詞です。以前副島伯の漢文を載せたときに「期以必滅洋夷興清朝」の「期」と「以」との連詞関係を説明するに以下の図を用いました。
連詞関係
これを見れば明らかな通り、「期」と前置詞としての「以」とは直接の統合関係はありません。「期」は「以」が臨時に帯びた動詞としての形式的意義「為」に従属しておるのです。「蟠」と「於」との関係も文法上これに同じことは、下の図の如くであります。

連詞関係
普通は「泥に蟠る」と訓まれますが、文法的直訳をすれば、「蟠り(す)、泥に於いてす」となります。これは日本語としてあまりに不自然でありますから、「蟠るに泥に於いてす」とでも読めばよい。「蟠」は「す」に対して実質的意義を補充しておるのです(四百四十九項参照)。
【練習】「義に死ぬ」「飢えに泣く」を漢文にしてみましょう。

【答え】「死義」「泣飢」(「死於義」「泣於飢」とするも可。)





第三類 主語+説語(他動詞)+客語

【ア】客語が一つの場合

(註)「呑蛙」は「蛙呑む」と「ヲ格」で、「蟠穴」は「穴蟠る」と「ニ格」でありますが、漢文自体にはそれを区別する記号がないのです。記号が無いだけで、区別が無いわけではありません。形式副体詞や前置詞性動詞などの力を借りて、名詞の格を表すこともできるのです。

【イ】第二客語がある場合

「汀」は水際。

(註)ここにては事物的客語と場所的客語とを明確に区別しておらないようであります。すなわち、「お金を河に落とす」の「河」と、「お金を旅先に(で)失くす」の「旅先」との区別をしてないようです。前者の場合は、「於、于、乎」は省かれることが多いですが、後者の場合は必要であります。日本語で「~で」と云う場合は場所的客語でありますから、「於、于、乎」が要るのです。上文を松下文法に則って分解すれば以下のようになります。


普通は、「蛙を汀に呑む」と訓みましょうが、文法的には「呑蛙するに汀に于いてす」と読めばよいことは、先の「蟠於泥」の場合と同じです。「蟠」が単詞的動詞であるのに対し、「呑蛙」が連詞的動詞であるという差があるのみです。



これまで四つの単文の種類を学んできました。この四つの文型の知識だけで以下のような漢文が読めるようになっております。是非試してみてください。


【第一類】 主語(名詞)+説語(動詞、形容詞)
【第二類】 説語(有、無など)+主語
【第三類】 (一)主語+説語(自動詞)+止語、(二)主語+説語(自動詞)+前置詞+止語
【第四類】 (一)主語+説語(他動詞)+客語、(二)主語+説語(他動詞)+客語+前置詞+逮語


練習問題

(一)鷹山公好學  (第四類の一)  

*「鷹山公(ようざんこう)」は米沢の藩主上杉治憲(はるのり)のこと。

(二)其師細井平洲嘗來米澤  (第三類の一)

*「細井平洲」は鷹山公の師匠。

(三)竹中重治一日集僚佐、談軍事 (第四類の一)

*「竹中重治」は豊臣秀吉の臣で、兵法に通ず。「一日(いちじつ)」はある日。「僚佐」は自分の補佐役。

(四)其子左京尚少在座  (第三類の一)

*「尚少」は「なおわかし」と読み、まだ少年なりとの意。

(五)談未畢而起  (第一類)

*「畢」はおわる。

(六)清正有所愛胡孫  (第二類)

*「清正」は加藤清正。「胡孫」は猿の異称。「所愛胡孫(愛するところの胡孫)」全体で名詞。

(七)有君主、有民主、國體各異、大率出於上下爭奪、強弱抑制之餘  (第二類、第一類、第三類(二))

(八)立身行道、揚名於後世  (第四類の一、第四類の二)


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