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復文について

ちょっとネットを検索しておりましたところ、こういう記述を見つけました。まだ学生のようでありますが、所謂「復文」、すなわち一旦書き下しにしたものを再び元の漢文に戻すという作業でありますが、その復文を試みること以下の如きであります。

元となる書き下し文は『淮南子』の一節で、「学ぶに暇あらずと謂う者は、暇ありと雖も亦学ぶ能はず」というものであります。よろしかったら皆さんもこれを実際に鉛筆を取り紙に復文してみてください。ちなみに正解の文字数は十二字です。

其の学生はこれを以下のように復文した。

謂学不有暇者、雖有暇亦不能学

原漢文はこうであります。

謂學不暇者、雖暇亦不能學(矣)

学生の復文はほとんど正解であります。「有暇」を「暇」に改めればそれでよい。しかし、問題はそんなことではありません。問題は、「暇」という動詞は松下文法に所謂「帰着形式動詞(第三種)」でして、客語を取る動詞なのです。たとえば以下の如きであります。

聖人之憂民如此、而乎 (孟子滕文公上)
文王日昃 (論衡書解)

耕すに暇あらんや」「食らふに暇あらず」であります。「」+「客語」の語順となるべきものであります。然るに「
学ぶに暇あらず」を復文して「不暇学」とならずに、「学不暇」となるのはなぜかと申せば、これは客体の提示であります。

吾子孫其覆亡之不暇 (春秋左傳隱公)

これと同じです。「吾が子孫其
れ覆亡だもこれ暇あらず」と訓みます。覆亡」は客格(連用格)の提示されたもの。「之」は客体概念の再示。寄生形式名詞。よって厳密に言えば上記の書き下し文から原漢文に復することは難しい。なんとなれば、書き下し文には客体の提示が表れておらないからであります。仮に「学ぶもぞ暇あらざらんと謂ふ者」とでもあれば「学」の提示が表れますから客体の提示たることを推して知ることもできますが、そうでなければ必ずしも提示するには及ばないのです。すなわち「謂不者(学ぶに暇あらずと謂ふ者)」とした場合も亦可であります。書き下し文では「学」は「暇」に対して客語でありますから、むしろこれが標準的な復文であります。

また「学謂不暇者」とすれば、「学」は題目になります。





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歴史の勉強法

以下『明治新刻 十八史略』にある島田重禮先生の序文です。吉田松陰の生まれた八年ほど後に生まれた人です。島田先生につきましては倉石武四郎氏の『支那語教育の理論と実際』(九項)という書にこうあります、

徳川時代の(訓読の)訓練を経験された明治の漢学者のあひだにも、かやうな訓読を道具として、漢文の真の意味をつかむことの出来た先生が居られた。もとの東京帝国大学教授島田重禮先生が、朱子の通鑑綱目の、

「王莽大夫楊雄死」

の一句を、「王莽の大夫楊雄死す」と訓読された後に、「王莽が家老の楊雄めがくたばった」と国語で訳されたさうである。楊雄は家老の身分であるから、「雄」と其の名を呼び捨てにせらるべきものでもなく、死んだといふ場合にも、漢文では「卒」と書かねばならない。しかるに、朱子は楊雄が節操を失ったことを責めて、呼び捨てにし、また「死」といふ文字を用ひて、筆誅の心持ちを示したのである。島田先生の訳こそ、一分の隙もない国語であり、其の訓読は、ただ支那語で音読する代わりの符牒に過ぎないのである。これと同時に島田先生が其の方法によって、そこまで到達されるのに、どれほど長い訓練を積まれたか、我々は今さらの様に考へさせられる。


原文


所謂句形上重要なものと言えば、一行目下部の「莫要於史学」と二行目最下部の「莫急於漢土」であります。「史学より要なるもの莫し」、「漢土より急なるもの莫し」と読みます。『標準漢文法』六百三十五項の「比較的依拠化」参照。以下項数は皆『標準漢文法』のことであります。

次に上図いづれの「與(与)」も皆「と」の意味です。「漢土」は「漢土と我と」、「道徳性命之説典章文物之制夫治乱興亡賢奸淑慝之跡」は「道徳性命の説、典章文物の制と夫(か)の治乱興亡、賢奸淑慝の跡と」と読みます。「単純形式名詞」(百二十五項参照)

それから最後の行の最後の二文字「莫不」は「~せざるもの莫し」の意。「粲然として備具せざるもの莫し」と読みます。支那の歴史には我々にとって大いに参考になることが何でも備わっておるということ。「莫」は帰着形式動詞第一種(名詞を客語とするもの)。二百一項参照。禁止を表す「莫(なかれ)」は第三種。二百二十五項参照。


文法的に特に説明を要するところはないのですが、細かいことを言えば三行目の「相與」の「與」は先のと異なり名詞ではなく、副詞(前置詞)です。三百四十二項参照。「涑水通鑑」は司馬光の「資治通鑑」。「紫陽綱目」は朱子の「資治通鑑綱目」。歴史を学ぶことは急務であるが、其の量が膨大で、専門家ですら嘆息してしまうほどでありますから、況してや他の学科のある学生に於いてをやというのです。

文法的に問題となるところはないようです。「為帖括作、削繁、摭要」は要所を切り貼りすること。「幾乎家有其書」の「家」は「家ごとに」とでも読めばよい。文の成分としては修用語。


二行目の「間有文義難遽解者」などは簡単に読み過すのではなく、字を入れ替えて「文義間有難遽解者」とした場合、何がどう変わるかを考えてみると非常にいい勉強になります。

「兔園冊」は通俗の書の意。「十八史略」は所詮子供用のお手軽な教科書に過ぎず、共に史を談ずるには足らぬと謗るものがおるというのです。其れに対して島田先生は、「そうではない。昔の優れた学者は堅い木を伐るのと同じで、簡単なものを先にし、難しい節目のところは後にしたものだ。よく人を導くものもまた同じである。近きより遠きに及び、粗より精に入る、序に従い徐々に進む。決して法度を超えないものだ」と。

(*)『禮記(學記)』に「善問者如攻堅木、先其易者、後其節目」と有り。
(*)『春秋左氏傳序』に「若江海之浸、膏澤之潤、渙然冰釋、怡然理順、然後為得也」と有り。
(*)『陸九淵集』に「心日充日明、則今日滯礙者、他日必有冰釋理順時矣」と有り。


「淩節躐等」は順序次第を飛び越えること。三行目の「其」は他の「其」が副体詞であるのに対し、代副詞。二百七十三項参照。

子供用のお手軽な教科書と雖も、河野、石村両氏が先ずこの「十八史略」を校正標柱したのは、節目を後に回し、世の学者の入門に益せんとする工夫にあるというのです。

「明治丙申(二十九年)」というのは、島田先生が亡くなられる二年前のことです。

戯論文法 「曰く、謂へらく、憾むらくなど(帰着性従属的用法)」

『改撰 標準日本文法』(七百四十項)に曰く、

何詞に拘らず連用格が実質化して一度無格となり其れが再び連体格となったものは勿論連体格になるが、そういふ連体格は必ず特殊の被連体語を要する。

「故郷よりの便り」
「東京への土産」
「朋友からの手紙」
「来るなとの心」

こういふ様な連体語は実質化しないならば連用格であるから、其の下へそれ相当の動詞が来るべきである。それだから連体格となった場合には、最初来るべかりし動詞の意義を持った名詞を被連体語としなければならない。「故郷より」の下には「来る」といふ動詞の有るべかりしものであるから、「故郷よりの」となると、下に「便り」といふ様な名詞が来る。「便り」といふ名詞は「来る」といふ動作の意味を持っている。その他「土産」は「遣る」の意を含み、「手紙」は「来る」「云う」、「心」は「思ふ」皆そういふ動詞の意がある。

「故郷より」は「来る」といふ動作の客体の概念であるから、之を実質化して一無格名詞とすれば相対名詞である。故に「来る」といふ意を含む概念と統合して始めて連詞的絶対名詞となるのである。「故郷より(来る)の便り」といふべき省略だなど説くのは俗説である。
もともと其れ相当の帰着語を予定しておるところの客語でありますから、いくら実質化、すなわち体言化すと雖も直様絶対化し得ない。相対性は維持されたままであります。例えば「本」の如き名詞ならば、これだけで絶対態でありますから「本の出版」「本の執筆」「本の土産」「本の位置」「本の枕」など必ずしも特異な意味を持った名詞を被連体語として要するわけではありません。しかし、上記のような連体語は実質化しても「本」の如く絶対態にあるわけではないというのです。由って被連体語を択ぶのです。自らの絶対化に資する被連体語でなければならんのです。

【参考】
『改撰 標準日本文法』「古文の第六活段」百十九項、「動詞性名詞(3)」三百十六項、「完備不完備の相」四百六十項、「絶対動詞と相対動詞」二百五十九項、「詞の実質化」(この”実質化”は形式化に対する意味で体言化とは異なる)六百九十六項etc...



『標準漢文法』(七百三十七項、七百四十一項)に「帰着性従属」なるものがありまして、例を挙げれば以下のようなものです。

君饋之、則受之、不可常繼乎 (孟子萬章下)
今晉與荊雖強、而齊近、其不救 (韓非子說林上)
半死白頭翁 (唐詩選劉廷芝
世皆孟嘗君能得士 (讀孟嘗君傳)

赤字は既に帰着語ではなく、修用語の一種になっております。下線部は客語ではなく被修用語なのです。先に連体関係に於いて申したことが、ここでは連用関係であるという違いこそあれ、ほぼそのまま当てはまるものと思います。「称す」は帰着語でも、「称すらく」と言えば帰着性従属的用法となり実質化する。実質化し内包的主体となると雖も、もともと其れ相当の客語、すなわち此の場合は生産格的客語を要するわけでありますから、直様絶対化はし得ない。通俗に申せば相対名詞であります。「称すらく」と言えば、何と称するのであろうかと、どうしても其の産果物を欲す。何となれば生産性と産果物は二つで一つのものであり相対的関係にあるからであります。どちらか一方が欠ければ完全とは成り得ないのです。よって被修用語は修用語の相対性を補い、絶対化に資するところの性質を持ったものでなければならない。すなわち客体的性質を帯びた被修用語なのです。赤字を「帰着性従属語」と名づけるならば、下線部は「客体性統率語」とでもなりましょう。客体関係ではないにせよ、客体概念を無視しえないのです。

七百四十一項では「曰」を例として帰着性従属の用法を説いておりますが、これは要するに帰着性が生産性なる場合のことに特化したまでのことで、一般的には上記の通りであろうと思う。帰着性従属語が「曰」などの生産性の動詞の場合には、客体性統率語は「模型動詞」であるというのみです。これは六百十七項の「模型動詞は専ら生産性動詞に対して客語を成す」という記述や、百六十二項の「(生産格は)連用格の一種であって生産性動詞に対して客語になる。『と』無しに使って意味が終止すれば終止格である」という記述と矛盾しておらない。ただ此の模型動詞は修用語に含まれたる生産性を補充する役割を負ったところの被修用語であるというのみです。客語ではありませんが、模型動詞としてはやはり終止しておる。





漢文句形集の注意点

所謂受験用の句形、公式集の類は便利なもので、はじめはそのようなものを使って数多くの短文に触れ漢文に慣れるべきでありますが、注意しなくてはならんのは、漢文は必ずしも句形に則って書かれておるわけではありませんから、たとえば「不~不~」などの形をすぐに「~せずんば~せず」などと判断してはならんということです。

手元にある句形集には「不~不~」の形を「~せずんば(せざれば)~せず」と説き、例として

丈夫入虎穴得虎子 (後漢書)
を挙げてあります。「丈夫虎穴に入らずんば、虎子を得」と訓みます。これは確かに句形通りの用法でありますから、なにも問題はありません。然るに以下のようなものはどうでありましょう。

二十四年、春、王正月、秦伯納之、書、告入也 (春秋左傳僖公)

これを「書せずんば、入るを告げず」と読んでも文法上間違いではないとは言え、解釈上それではよろしくない。そもそもこの「書」はここでは動詞ではなく、動詞性の名詞であります。日本語では「書す」(動詞)や「書すこと」(動詞性名詞)などと助辞によって詞の文法的性能を細かく表せますが、漢文ではそうではないのですから仕方がない。読者の側がある程度文法的性能を斟酌しながら読むしかない。この「不書」は「不的に書す」ではなく、「不的に書す+コト」の意でありまして、要するに「コト」です。名詞です。(経文に)書いておらないのは、入ることを告げないのである、というのです。一般的には「書せざるは、入るを告げざればなり」と読みます。






複性詞「所」を用いた被動 (仮)

複性詞「所」を用いた被動とは以下のごときものであります。

申徒狄諫而不聽、負石自投於河、魚鼈食 (荘子盜跖)
義經幼孤、從母逃匿、流寓諸國、氓隸役 (日本外史)

「~のV(動詞)する所と為る」と訓み、解釈として被動(松下文法に所謂准被動)を表しております。「賊の殺す所と為る(為賊(之)所殺)」と言えば、「賊に殺される」わけであります。この「所」には何等不審な点はありません。典型的な複性詞であります。文法的直訳をすれば、「賊のソレヲ(副詞的)殺す所のソレと(名詞的)為る」となります。「所」という一詞に直接の統合関係なき副詞的、名詞的という複数の性能を含んでおるので複性詞といいます。然るに以下の如きものがあります。


時輩所見推許 (韓愈潮州刺史謝上表)
臣昔所見交接 (三國志)

今回の題目はこれであります。「時輩」を「為」に対する依拠格的客語とし、「所」を上記で見たように複性詞として解して文法的直訳をすれば、「時輩に(依拠して)ソレニ推許せらるる所のソレと為る」と読むことになり、「ソレ」は被動の客体、すなわち原動の主体(時輩)ということになってしまうのです。これでは解釈上おかしい。そこでこの「所」の用法が問題になるのです。塚本哲三氏はこれを訓じて「實に時輩の為に推許せらる、とするほかあるまい」とおっしゃっております(『漢文解釈法』六百七十一項)。



西田太一郎氏の『漢文の語法』(二百二十八項)に呂叔湘の説として以下の如き記述が有ります。如何にして「為~所見~」の形が出来たかに附いての部分を引用します。

呂叔湘によると、被動の形式の「甲 見 V 於 乙」、「甲 為 乙 所 V」(Vは動詞)が一つになって「甲 為 乙 所 見 V」が出来たが云々
「甲」は被動の主体。「乙」は被動の客体。
「甲 見 V 於 乙」は「甲が乙にVせらる」と訓み、「甲 為 乙 所 V」は「甲が乙のVする所と為る」と訓みます。前者は純粋な被動で、後者は准被動です。上記の文例で「時輩」を「時輩に」と依拠格的に読んだのは、この呂叔湘の説の「乙」の変遷と矛盾しておらないことに注意してください。すなわち「乙」は原動の主体ではありますが、同時に被動の客体であります。





問題は「
甲 為 乙 所 見 V」であります。この「所」をばどう致しますか。「見」が無ければ唯の「為~所~」の形に過ぎないわけでありますが、これにはあるのです。無くても被動の意味を表しうるのに、さらに被動の形式動詞である「見」を加えておるのです。西田氏はこれを解して

「為~所~」をより被動らしくするために考えられた新しい形式である。これらは文章全体で被動になっているので、どの字が「に」に当たり、どの字が「らる」に当たると特定できるものではないが、訓読の便宜上右のようによんでおく。 (『漢文の語法』二百二十三項)

と述べておられます。「便宜上右のようによんでおく」というのは、たとえば「
臣昔為曹氏所見交接」の例で言えば、「臣昔曹氏に交接せらる」と全体で被動に読んでおるわけです。「為」も「所」も「見」も全体で被動調を為すものとして解説されておるのみです。我々はもう少し文法的な方面からこの構造を勉強していきたいわけでありますが、松下博士の説明をみる前に劉復氏の説が参考になりましょうから、それをここに載せておきます。

劉復氏は「大官大邑、身之也」(大官大邑は身の庇はるるなり)を分析してこう述べておられます。
我々は今や、この種の「所」の字が副詞であって「於彼」の意味(「於」は介詞、「彼」は代詞である。しかし、「彼」の字は静性代字であり、「所」の字に含まれている一つの代詞は静性ではなくて関接性であるため、我々はそれに相当する字を見出さないから、無理はあるが「彼」の字を代用するのである)であり、英語に於ける「where」が其の内に「in that place」と云ふ義を持っているのと比較することができる。

(原句)   大官大邑 身 之 所 
(比証一) 
大官大邑 身  於 彼 
比証二) 大官大邑 where 身 

(下線部「庇」は皆被動態にあり)

これは松下博士の複性詞「所」の説明に髣髴たるものがありますので、以下比較のために引用しておきます。
「所」は複性詞であって同じ概念が二様に運用されるのであるから、之を二面に分けて一面を副詞部とし一面を名詞部として論ずべきである。「所」の有する副詞部は常に客語的である。主語的ではない。日本語で言へば、「其れを」「其処を」或は「其れに」「其処に」である。 (『標準漢文法』四百十二項)
劉復氏の論考は未だ体系的でないと雖も、「所」に名詞的でなく副詞的たる内包的客語の性能のあることを看破しておられる。松下博士は「所」の性質を全く直接の統合関係のない二性能が一詞化し、而も間接的には関係することになる複性詞という概念でもってよく統一的に説いておられるのです。


話が長くなりましたが、ここから愈々「為~所見~」の「所」についての結論に至ります。

複性詞「所」には「単性化」(四百十四項)という用法がありまして、複性のうちの一方の性質、すなわち名詞的性能のほうが無効になるものがあるのです。先に挙げた「實為時輩見推許」の「所」などは文法的には単性化したものと考えるとよいと思う。その場合、「所見V」は「為」に対して生産格的客語で、動詞のまま客語になります。「ソレニVせらるる状態と為る」とでも考えればよい。内包的客語たる「所」は被動の客体(原動の主体)を指しておるのです。そして其の被動の客体(原動の主体)というのは「為」の依拠格的客語(上の例で言えば「時輩」)なのでありますから、結局「所」は無くてもよい。また「見」など無くても、動詞だけで被動態たりうるのですから「見」も無くてよい。「為」だけでよい。以下皆「為」だけでよく被動を表しております。

此乃言之所以陛下禽也 (史記・淮陰侯列傳) ⇒ 「為陛下所見禽」
越王禽三渚之浦 (同春申君列傳) ⇒ 「為越王所見三渚之浦」
彼伍胥父兄戮於楚 (同伍子胥列) ⇒ 「為楚所見戮」(「楚」を被動の客体と看做した場合)


「大官大邑、身之所庇也」を上記に則って読み下せば、「大官大邑は、身のソレニ庇はるる所のソレ」となります。これは単性化したものではありません。また「ソレ」が「大官大邑」を指すことは無論であります。


身為大官大邑所見庇也


こうすれば「所」は単性化します。「身は大官大邑にソレに庇はるる状態と為る」ということです。




『妻(めあはす)』は他動の客観的生産性動詞的用法

「妻」と云う字には「めあはす」、すなわち嫁がせるの意味がありまして、辞書などには「以女嫁人曰妻之」(女(むすめ)を以って人に嫁せしむるを、之に妻はすと曰ふ)と説明されておりますが、文法的に申せばなんということはありません、先日扱った名詞性動詞の第二の用法である「他動の客観的生産性動詞的用法」であります。つまり自分の娘をして人に妻と為らしめるわけであります(使吾娘為人(*)妻)。「使趙不括即已」(史記廉頗藺相如列傳)の「將(将にす)」などと同じ用法に過ぎないのです。

(*)「人」は「為」の依拠性に対する依拠格的客語。「人に妻と為る」であり、「人の妻と為る」ではないことに注意(二百十二項参照)。

之姚姓之玉女 (史記秦本紀 ) ⇒ 「使姚姓之玉女
故先以其女胡君、以娛其意 (韓非子說難) ⇒ 「使其女胡君
以其子(*)之 (論語公冶長) ⇒ 「使其子
*概念の新旧の都合から他動性の客語(其子)を先にし修用語としてあるのです。「妻之以其子」とあれば、却って「其子」が新概念になるのです。之にめあわすに(なんと)自分の娘を以ってするといった気味になります。原文は「其子」を旧概念とし、「妻」を新概念としてありますから、自分の子をどうするかといえば、(なんと)之に妻とする、といった気味。


変換後の「妻」は「為」の生産性に対する生産格的客語で、複層の客語の一方が生産格的であれば、必ずそれは外層となることは上記の通りであります(八百九項参照)。変換後の「為」と「妻」とが下線・太字となっておりますのは、原文ではこの二成分が「妻(妻と)」という一詞で表されていることに注意を促すためです。二つの概念の統合されたものが一詞で以って表されておるのです。このような「詞の妙用」を評して松下博士曰く、

漢文は各詞が大抵単音であって活用が無く且つ助辞が無く、それで巧みに各詞を用いて簡潔に思想を表すものであって、此の点に於いて実に世界無比のものである。勿論俗事の実用には不便なものであるが、古典としてその妙味を味ふには及ぶものが有るまいと思ふ。殊に名詞性動詞の妙用に至っては実に感服の外ない。論語などの文章が崇高であるのもそういふ点が大いに関係すると思ふ。之をもし書き下しにしたならば価値は十分の一もないことになる。何となれば助辞や語尾や殺風景な贅物が沢山目に入るからである云々 (『標準漢文法』四百四十一項)



余談

諸侯不期而會者八百國、皆曰紂可伐矣、王不可 (十八史略)

このような「不可」を一般的に「きかず」と訓みならわしておりますが、文法的に云えば、動詞性再動詞(変態動詞)であります。たとえば以下の如きものと同じです。

妻曰死何益、不如自行搜覓、冀有萬一之得、成之 (聊齋志異)
智而能者、小人也 (孔子家語)

「然」は「しかり」ではなく、「之を然りと」の意味であります。「有能」は「能有り」ではなく、「能有りと」の意味であります。すなわち「以之然」「以能有」(または自以為有能)の意であります。これに倣って「不可」を訓めば、「不可と」となります。「王不可」は「王以諸侯之言不可」の意であります。



『中国古典読法通論 』の「品詞の活用」論

『標準漢文法』四百三十一項に「名詞性動詞」(変態動詞の一種)の種類を六つに分かちて論じてあります。今説明に便利なようにすべてに以下のような名称を附しておきましょう。

一、自動の生産性動詞的用法(~たり)
二、他動の客観的生産性動詞的用法(~にす)
三、他動の思念的生産性動詞的用法(~とす)
四、進行的用法
五、存在的用法
六、運用的用法

()内は通俗的訓読の仕方です。「宗周」は(三)の用法でして、「周を宗とす」と読みます。「臣妾我」は(二)の用法でして、「我を臣妾にす」と読みます。文法的にはどちらも「~とす」と読むべきものでありますが、「客観的」と「思念的」とを区別するために読み分けておるのみです。


『中国古典読法通論 』百四十項に「名詞の状語用法」なる題目ありまして、その内の(第一)(第二)の用法は上記の(一)「自動の生産性動詞的用法」と(三)他動の思念的生産性動詞的用法とによく対応しております。

(第一)の例として以下のようなものを挙げておられます。

而啼 (左傳莊公)
天下集而響應 (過秦論)

この「人」や「雲」を松下文法に則って読み下せば、「人とありて」「雲とありて」であります。実際に豕が人としてあって立つことはありませんから、解釈としては「人のごとく」などとすることになります。しかし、理論上は「人」は生産性なる運用を内部に帯び、「人」という名詞性なる実体を生産性に対する客語としておるのです。内部において客体関係でも外部において一詞でありますから、文法的直訳をすれば「人たりて」であります。(二性能(この場合は動詞的性能と名詞的性能)が一性能化(この場合は動詞化)しておるから正態詞に対して変態詞というのです。)

(第二)の例としては以下のようなものを挙げておられます。

今而後知君以犬馬伋 (孟子萬章下)
君為我呼入、吾得事之 (史記項羽本纪)

孟子のほうの例は松下博士も採用されております(四百三十八項)。「犬馬畜伋」は「犬馬と看做して伋を畜ふ」のです。これを「犬馬もてやしなう」と読めば「犬馬」を名詞の修用格的用法と為して解釈したことになります。王力氏はそのような用法を「名詞の状語用法」の第三として分類してありますが、松下文法ではそれらは名詞の修用格的用法として分類してあります。要するに変態動詞ではなく、名詞の格としての運用であるというのです。

松下博士が「(二)他動の客観的生産性動詞的用法」として分類したものは、王力氏の文法書のどこに分類されておるかと言えば「名詞の使動用法」(百三十八項)にあります。松下博士のいう「客観的」とは要しますにあるものを実際に他の状態にしてしまうことを言います。これは云ってみれば、「あるものをして他の状態たらしめる」ことでありますから王力氏は使動用法に分類したのです。松下博士がこの(二)の用法を書き換えて「使~為~(~をして~たらしむ)」と出来るとおっしゃっておるのとよく符合します。

「肉骨」を松下文法に則って読めば「骨を肉にす、または、肉たらしむ」であり、王力氏の理論によれば「骨をして肉たらしむ」となります。いづれにしても骨が実際に、すなわち客観的に、肉になるということです。無論、客観的か思念的かは文脈によって判断します。「生死」は死んでいる人を生きていると看做すの意味とすれば、「死するを生くとす(以死為生)」と訓み、既に死んでおるものを生き返らせるの意味とすれば、「死(的状態にある者を)を生(的状態)にす、または生たらしむ(使死為生)」とでも訓むことになります。前者は他動の思念的生産性動詞的用法で、後者は他動の客観的生産性動詞的用法です。「生」は動詞を材料にするものでありますから、名詞性動詞ではなく、動詞性再動詞であるという点だけはことなりますが、結局変態動詞であることに変わりはありません。



『中国古典読法通論 』(百三十四項)に曰く、
動詞の使動用法というのは、其の名称からすぐに分かるように、主語になっている人物が其の動作を行うのでなく、賓語になっている人や事物にその動作を行わせるものである。

下線は私が施したものです。この「主語」は使動の主体、「其の動作」とは松下文法に所謂「原動」にあたります。「賓語」は使動の客語、すなわち原動の主体です。例えば、

求也退、故之 (論語先進)
晉侯趙盾酒 (左傳宣公)

これら「進」「飲」は使動性の動詞です。「進」の原動の主体は「求」でありますが、ここでは使動の客体「之」になっており、使動の主体は「孔子」です。「孔子(使動の主体)が求(使動の客体、原動の主体)に『進む』(原動)という動作を『為さしむ』(使動)」ということです。孔子は「為さしむ」(使動)の主体で、求は其の客体です。一般的には「之を進む」と読み慣わしておりますが、文法的には「進ましむ」であります。





複層の客語と名詞の格

『標準漢文法』七百九十八項に「複層の客語」という題目があります。これは簡単に言えば一つの動詞(帰着語)に対して複数の客語がある場合を指して云います。たとえば「其民於河東」などです。「移」という動詞に「其民」と「河東」という二つの客語が対しています。この二つの客語は自由に入れ替えることは出来ませんが、入れ替えたい場合はあります。たとえば『日本大家 漢文全書』という書の序文にこういう文があります。

客有問文於余者 (客に文を余に問ふ者有り)
これ本来は「客有問余文者」の語順であるべきはずでありますが、松下文法に所謂「概念の新旧」の都合でひっくりかえっておるのです。すなわち「文」を旧概念とし、「余」を新概念としておるのです。旧概念(*)を先に言い、新概念(*)を後に言うは古今東西に拘わらず普遍の原則であります(八百二十項)。「客が私に文のことに就いて問うた」ではなく、「客が文のことを問うのに(他の連中でなく)私においてした」というのです。此の場合の「於」は必要なものです。「移其民河東」の有っても無くてもよい「於」とはわけがちがいます。

(*)『標準口語日本文法』(勉誠社)四百八十二項
「観念が旧いといふことは其の事柄が既定の事柄であるといふ意。新しいといふことは今新たに定められる意」



概念の新旧の都合により複層の客語を入れ替えることを見ましたが、以下の様な文はどうでありましょう。

百里奚自於秦養牲者五羊之皮、食牛、以要秦繆公 (孟子萬章上)

(ひさぐ)」に対して「秦養牲者(秦の牲を養ふ者)」と「五羊之皮」とが客語としてあります。ここで問題としますのは「五羊之皮」の格です。『標準漢文法』では此の例文を他動兼依拠性動詞の救済法のところ(八百一項)で挙げておられまして、実際送り仮名を見ますと「五羊之皮」と他動格で読まれております。無論、文法上そう読んだとて何等問題はありません。ただそう読んだ場合には「自」は品詞として代副詞(二百七十一項)ではありますが、成分として修用語ということになります。すなわち「自分自身で秦の牲を養ふ者に五羊の皮を売った」という意味にでもなりましょうか。または送り仮名の間違いでありましょうか。

この部分の朱熹註には「人言其自賣於秦養牲者之家、得五羊之皮而為之食牛」とあります。また『說苑』には「賈人買百里奚以五羖羊之皮、使將車之秦」(商人が百里奚を五羊の皮で買って秦まで(塩を)運ばせる)とあります。「五羊之皮」を売ったのなら「五羊の皮を得」というのはおかしい。註の解釈上ここはどうしても「五羊之皮」と読まなければならない。そうなると「何を五羊の皮にて売る」のかということになります。ここで「自」の用法に内包的客語としての用法、すなわち修飾性副詞ではなく補充性副詞としての用法があったことを思い出すのです。「自」は副詞でありながら文の成分としては客語です。通俗的な解釈をすれば「自らを」の意味であります。結局「自分自身を五羊之皮で売り牛を食(やしな)ふ」のだということが分かる。 「於秦養牲者五羊之皮」を書き改めて、

以五羊之皮鬻己於秦養牲者 (筆者改作)

とでもすれば「五羊之皮」の格や「自」の用法の不明瞭が頗る緩和されるのです。

漢文読解の困難について、湯浅 廉孫氏云う、

文字が自己の文法的性質を表示せず、如何なる措辞的関係に置かるるも、終始同一形態を以ってこれに応酬するとは、例へば彼の白色美顔水の広告文の如き、固より日本文ではあるが、其の称謂は純然たる漢語漢文であって、白き色の美しき顔の水などの超常識的訓み方は、しばらくこれを措くとするも、尚ほ白き色で顔を美しくする水の義であるか、色を白くし顔を美しくする水の義であるか、白く色づけ美しく顔づくる水の義であるか、其の白色と美顔とに、それぞれ異なった訓み方の可能なる以上、其等を組み合わすに於いては少なくとも七八種の理義完足せる訓み方が成立して、広告者の本意は、遂に晦昧不明に終るが如きの類を謂ふのであって云々 (『漢文解釈における連文の利用』)





一字の力

春秋左氏傳隱公元年に共叔段の乱についての記事があります。大意を申せばこういうことであります。

鄭の君である武公は夫人として申より武姜を迎えた。そして莊公と其の弟に当たる共叔段を生む。夫人は難産であった莊公のことを非常に憎み、弟の共叔段のほうを寵愛するようになる。よって武公に弟のほうを太子にしてくれとしきりに頼むが、結局受け入れられず、武公の世を去った後には兄のほうが君の位に即くことになる。そうすると夫人は弟の共叔段のために制の地を請う。ここは要害よき都会でありますが、莊公は「そこは険阻にある地でありますが、虢叔はその険阻を恃み徳を修めず却って滅びましたので、弟のためにはよくないでしょう」といって断った(筆者註:断った真意は何か。この尤もらしい理由は本当に弟を思う気持ちから出ておるのか)。夫人はそこでこれまた大きな都会である京を請うと、莊公はこれを許す(筆者註:制ほどではないにしろ、これまた法外の土地を与えたのはなぜか。寛大の精神からか)。

ここに於いて大夫の一人が莊公を諫めてこう言った、「家老の城があまりに大きすぎれば、殿様の害となりましょう。京城はあまりに大きく、弟君の御勢力を抑えることができなくなります」と。之に対して莊公は曰く、「母上が望まれるのであるからして、仕方があるまい」と。再び諫めるも、「驕り高ぶり道に背いたことをするようになれば、勝手に身を亡ぼすであろうよ。とにかくもう少し成り行きを看よう」と言って結局聞き入れない(筆者註:問題を棚上げし、決断しないのは単なる愚昧なる君であるからか)。

その後共叔段は驕りを長じて勝手に課税しそれを我が物とし始めた。民は鄭にも共叔段にも租税を出さなければならない。ここでまた大夫の一人が莊公を諫めてこういう、「国を弟に譲るか、それができないのならば是非彼を除き去って頂きたい」と。莊公曰く、「其の必要はない。禍は今に彼に及ぼう」と(筆者註:これまた問題の先延ばしか。やはり愚昧な君なのか)。

共叔段、さらに勢力を伸ばす。

「このままでは、共叔段はますます勢力を併せ手に負えなくなります」と再び諫めるも、莊公は、「道に外れたことをしておるのだから、どれほど力を得ようとも、自然に滅びようぞ」と言って聞き入れない(筆者註:最早救いようの無い魯鈍な君であろうか)。

共叔段、いよいよ城を固め人民を集め武器を整え、鄭に攻め入ろうとし始めた。夫人はこれを内部から引き入れようという手筈になっておる。莊公、ここに於いてかその情報を察知し曰く、「今こそ討つべきときである(原文:可矣)」(筆者註:「矣」の一文字が全てであります)と言って京を攻める。

京の人民の心は忽ちにして共叔段から離れて皆叛いてしまった。莊公は苦戦の末弟を討ち、母は幽閉した。




莊公の言葉のところの原文だけ掲げますとこうであります。

姜氏欲之、焉辟害
多行不義、必自斃、子姑待之
無庸、將自及
不義不暱、厚將崩

最後の「可矣」以外はどれも所謂助辞、松下文法に所謂形式感動詞がありません。「矣」は叙述の確かめであり、この「矣」あるがために、莊公がなかなかの遠謀ある政治家であることを知るのです。この「矣」があるために徒に問題を先延ばしにしていたのではなく、初めから弟を討たんとする深い思慮のもとにそうしておったことが知れるのです。弟が攻めてきたからどうしよう、よし攻めよう、というのではなく、今か今かと機の熟するのを待ち望み、そして今こそ討つべきである、というのです。弟を討たんとする観念が突然に現れたのでなくして、もとより在ってそれを「矣」で以って確かめておるのです。

すなわち、最初に「制」の地を請われたときにこれを断ったのは決して弟を思う気持ちから出たのではなく、将来攻めるときに要害では不便であるからそれを避けんとの思いからであり、京という大きな街をやったのも驕りを誘発し自ら瓦解せんことを期する心から出たのであり、群臣の度重なる諫言をのらりくらりとかわして決断しなかったのも、ただ時の熟するのを待たんとする考えからのものであり、すべて初めから弟を討つために謀られたことであったのです。弟は其のことに気が付かなかった。

これらの内容をただ一つの「矣」の字でもってあらわしておるのであり、直接的には莊公の用意周到なる政治家ぶりを描いてはおらんのです。


【参考】
湯浅 廉孫 『 漢文解釈における連文の利用 』(五十項)




義理通じて興趣あり

嘗て漢学者の湯浅 廉孫氏は読書を分かちて「娯楽的、自得的、批評的」の三つに帰し得ると為しましたが、我々の読書の目的は概ね娯楽的、自得的というところでありましょう。批評的とは要するに学者としての読書であります。

或る程度の漢文読解の訓練を積めば、観劇の快の如く興趣を持って漢文を読めるものです。




陽明先生、京師で官吏登用試験である会試に落第したとき、宿舎の同室のものも亦落第しました。彼は落第したことを非常に恥じておりました。然して先生、彼を慰めて曰く、

不得第恥、吾不得第動心恥 (伝習録)

と。「第」は及第。「世は第を得ざるを以って恥と為す、吾は第を得ずして心を動かすを以って恥と為す」と訓みます。「以~為~」の句形を思い出さなくてはなりません。「以不得第動心為恥」を「第を得ざるを以って心を動かすを恥と為す」と訓んでも同じく意味は通じますし、文法的に申せば間違いとは言えませんが、構文としては「不得第動心」の五字が「以」の客語なのです。それは前句の「以不得第為恥」との対応でよりはっきりとするのです。世間の人は「不得第」を以って恥とするが、吾は「不得第動心」を以って恥とするというのです。

夫人生世、以己無能而望他人用、以己無善而望他人愛
聞人之善嫉之、聞人之惡揚之

柳氏家訓よりの引用であります。文法的な正しさを以って意義を通じさすことができれば、それで愉快に読書し得たということになりましょう。

「夫人生世」の四字は、まず「人生」の熟字に目を引きつけられるかもしれませんが、そうしますと「世」の字が浮いてしまう。「夫(か)の人生の世は」などと読んでもなんのことだかよくわからない。「人生」を「人が生まる」と読んで「夫の、人の生まれたる世は」、即ち文法的に連体関係の連客(七百五十六項参照)として読むこともできますが、そこまで来れば「生」と「世」との関係が客体関係であることも察せられましょう。ただこれは理屈を申したまでで、実際にはごく自然に「夫(そ)れ人の世に生まるるや」と訓むことになります。「人の世に生まる」と言っても「生人之世」との違いに注意。

「以己無能而望他人用、以己無善而望他人愛」は並べて書き写せば明らかなように対になっております。「己の無能を以ってして而も他人の(己を)用いるを望み、己の無善を以ってして而も他人の(己を)愛するを望む」と読んでよく意味が通じておるからこれで一人納得すればよい。

「聞人之善嫉之、聞人之惡揚之」もきれいに対になっております。「人の善」「人の悪」がまず目に留まり、これを「聞」に属してみれば「人の善を聞く」「人の悪を聞く」と訓める。そうして残りの文字を見てみれば自然と意味が了解されて訓読もできようかと思う。「聞人之善」と「嫉之」との関係を表す詞は何もありませんが、それで意味が通るのです。他人の善を聞いたときにはこれをねたみ、他人の悪を聞いたときには嬉々として言いふらす、などと自然に繋がるのです。


漢文分析の法(斎藤拙堂)

『拙堂文話』に曰く、

晰文之法、先分章段、次看照應、而求旨意所在、則莫不通、如此而猶有艱渋不通者、非誤譌則錯脱、闕疑可(一)也

凡晰文理、不止為作文之資、又為讀書良法、世人讀書、多不知此法、逐字逐句而解之、故其於古書(二)、往往不通、若得此法、雖字句或不通、大意莫不了然、故讀書者以晰文理為要

「文を晰(あきらか)にするの法は、先づ章段を分かち、次に照応を看て、而して旨意の在るところを求むれば、通ぜざるもの莫し、此くの如くして猶ほ艱渋にして通ぜざること有るは、誤譌に非ずんば則ち錯脱す、闕疑(疑わしきをひとまず置いてく)して可なり

凡そ文理を晰かにするは、止(た)だ文を作るの資と為すのみならず、又読書の良法と為す、世人書を読むも、多く此の法を知らず、逐字逐句して之を解す、故に其の古書に於けるや、往々にして通ぜず、若(も)し此の法を得ば、字句或は通ぜずと雖も、大意はり了然たらざるもの莫し、故に書を読む者は文理を晰かにするを以って要と為す」と訓みます。

これを非常に噛み砕いて言えば塚本哲三氏の以下の言に通じるものがあろうかと思う。

塚本氏云う、

由来漢文は概して表現が簡潔で而も典型的である。表現が簡潔だから内なる思想を本当に徹底的に理解することはなかなか困難である。しかしながら表現が典型的であるから、その表現慣習に習熟すれば、大抵の漢文は或る程度の正しさを以って訓読されうるものである。そして其の訓読に基づいて一応の口語化即ち直解をやれば、どうやら一通りは出来たということになるのである。つまり本当に徹底的に内なる思想が了解されなくても、構文的の考察を正しく下すことができれば、大抵の漢文は一応解決がつくといふことである。

兎も角も間違ってはいないといふ程度の解決を下し得て、それを基調として歩一歩向上の歩みを進める、といふやうにあるべきものだと思ふ。 (『更訂 漢文解釈法』五項)




(一)「可」は『標準漢文法』の被修飾形式動詞参照。
(二)前置詞性動詞性名詞(複雑変態詞)参照。


訓読と棒読み

漢文は解釈ありて後、読むことが出来るものと云うもまた可であります。これは漢文を棒読み(音読)する支那人と雖も同じであります。河北景楨は『助辞鵠』にこう云う、

夫廻旋の法、もと其の文廻旋して義をなすゆえ廻旋して読む、漢人も直読すれど義は廻旋して心得るなり

と。これを河北景楨がどういう意味で言ったのかよく分かりませんが、支那人もただ上から下に読んだだけで意義を取れるわけではないということでありましょう。なにしろ何等の句読のない漢文は句読の切り方で意義が変わる、上の語を下に属して読むか、上の語はどこまでかかるか、ここで終止させるか、従属させるか、などの問題は思惟を費やして始めて解決するものであります。これは一般的な問題ですから人種を問わないのです。このようなことは我が国文にても起こりうることであります。たとえば「今日就任したばかりの大臣が辞職した」といえば、(最近)就任したばかりの大臣が今日辞めたのか、今日就任して即日辞めたのか、どちらかは直読しただけでは分からない。どちらの解釈が正しいかは最早文法の与るところではないのです。ただどちらの解釈も文法的には可なりというのみであります。これは事実を確認して後初めて能く読むことが出来るのです。事実が分からなければ国文でありながらも音読することさえ正確な調子にてはできないではありませんか。況や格の不明瞭な漢文に於いてをやであります。

搏牛之虻不可以破蟣蝨 (史記・項羽本纪 )

「牛の虻(ぼう)を搏(う)つも、以って蟣蝨(きしつ)を破るべからず」と訓みます。「虻」はあぶ、「蟣蝨」はしらみのことで、虻は大きく外にあるため手で打つこともできますが、虱は小さく内にあるため殺すことが出来ないの意。外敵に勝つも内敵に勝ち難きことを言う言葉であります。

「搏牛之虻」を読み下して、「牛の虻を搏つ」(*)と言うわけでありますから、「搏」という動作には主体が無ければならない。即ち上記の訓ですと、「牛」「虻」「虱」以外の登場人物があって、それが牛の背の虻を打つことを言っておるのです。「虻」は主ではなく、客であります。然るに、註のひとつに曰く、

虻之搏牛、本不拟破其上之虮虱、以言志在大不在小也

また『日知錄』に曰く、

虻之大者能搏牛而不能破虱、喻距鹿城小而、秦不能卒破

上二つの句は、「牛」「虻」「虱」以外の或る主体の、牛の背の虻を打つことを言うに非ずして、而も虻なる主体の牛を打つことを言うものであります。虻(主体)が牛を打つことを言っておるのです。この解釈に従えば、「搏牛之虻」は訓み下して「牛を搏つの虻」とすべきであります。斯くすれば「虻」が主となります。

「搏牛之虻」はたかが四字の句でありますが、棒読みする支那人と雖も、文法的解釈は分かれるのです。この問題は漢文を「牛の虻を搏つ」「牛を搏つの虻」などと訓読するから生じるのではなく、漢文そのものに自ずから含まれておる問題なのです。詞と詞との関係の不明瞭が原因なのです。文法的には「搏」を帰着語とし、「牛之虻」を客語として解釈することも出来ますし、松下文法に所謂連主的連体関係、たとえば「飛鳥(飛ぶ鳥)」といえば「飛」は自らの主体である「鳥」に連体語として従属しておる、よって主体に連なるとの意味にて連主というのでありますが、亦其の類として解釈することも、いづれも文法的に可能なのです。どちらの解釈が正しいかは最早文法の与るところではないのです。ただどちらの解釈も文法的には可なりというのみであります。



(*)「搏牛之虻(牛の虻を搏つ)」と「牛之搏虻(牛の虻を搏つ)」との違いに注意。読み下せば差が無いようでありますが、文法的に異なります。前者は「搏」が帰着語で、「牛之虻」が客語。後者は「牛之」が主体的連体語で、「搏虻」が被連体語。前者は「(或る主体が)牛の(背にいる)虻を打つ」の意、後者は「牛なる主体が虻を打つこと」の意。


2014.9.22追記
魚返善雄氏の『漢文の学び方』(六十項)に

中国人が古文を読むときにも一種の訓読をやっているのだ!

とあり。

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