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勉強の仕方 『専心』

宋の程子曰く、

所守不約、泛濫無功


「守るところ約ならずんば、泛濫(はんらん)にして功無し」と訓みます。あれもこれもと広く手を出し過ぎれば、精神散漫となり一事に力を専一にすることが出来ず、結局いつまで経っても成就することが無いと謂うことであります。具体的に申せば、漢文なら漢文をひとつやってみようと決めたからには、机の上には基本と為る書一冊を置き、あれもこれもと乱雑に広げておかない、其の一冊に熟さなければ他書には移らないというごときことでありましょう。貝原益軒翁もまた曰く、「学者不専一于義理、則其志荒、而不能進道(学者は、義理に専一ならざれば、則ち其の志荒みて、道に進む能はず)」と。

清代に姚鼐という学者が居りまして、彼は其の性として多能を好んでおりましたから徒に研究分野も手広かったのでありましょう、あるとき王鳳喈という学者が彼を評してこう云った、「私は昔は彼を畏れたが今ではもう畏れない。なぜならば、

夫專力則精、雜學則粗

と。「夫(そ)れ力を専らにすれば、則ち精に、学を雑にすれば、則ち粗なり」と訓みます。嘗ては一事に専心しておった姚鼐も、今では学問多端にしてこれ畏るるに足らず、というわけであります。彼のちにこの言を伝え聞き、自らの非を悟り行いを改めまして、古文以って世に其の名を顕すことになります。

原善の『先哲叢談』には荻生徂徠がどのように漢文の基礎学力を身に付けたかを以下のように言っております。

獨頼先大夫篋中藏有大學諺解一本、予獲此研究、用力之久、遂得不藉講説、遍通群書也

【語釈】
「先大夫」は亡くなった父。「篋中(きょうちゅう)」は書物などを入れる箱。「藉」は「借」に同じ。

林道春の著した大学諺解ただ一書を精読することであらゆる漢籍に通ずる読書力を身に付けたと云う、「専心専一」の力、斯くの如きであります。

  • 「用力之久」は、「之(これ)」を副詞とし、「用力」と「之久」との関係を主体関係とするならば、「力を用いることこれ久しくして」と訓むことになり連詞全体としては動詞の修用格になります、また、「之(の)」を副体詞(英文法に所謂limiting adjectives)とし、「用力之」と「久」との関係を連体関係とすれば、「力を用いることの久しき」と訓み、連詞全体として名詞の修用格になります。「これに力を用いること、久しくして」とは訓めません。「之」が動詞に対して客語に為る場合は必ず其の直後に配置されなければなりません。また「これに力を久しく用いて」とも訓むことはできません。そう読むためには「久用力焉」という語順でなければなりません。


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