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読書法

【貝原益軒「慎思録」抄録】

慎思録に黄山谷の言を引いて曰く、「百書に汎濫するは、一書に精(くわ)しきに若(し)かず(汎濫百書、不若精於一書)」と。荻生徂徠は『大学諺解』一本を精読することで基礎学力を身に付けたのではなかったか。子房は黃石公から授けられた『太公兵法』の一篇以って常にこれを誦読し、以って高祖を助けて大功を挙げるに至ったのではなかったか。一書に精熟する、其の功まことに大なりと言わなければなりません。




讀書貪多、是學者之病、朱子之所戒也、從前篤信亦有此病、退之所謂貪多務得、今覺非良法、只逐一精熟循序漸進、而後至于博、是良法、黄山谷曰、大率學者喜博、而常病不精、汎濫百書、不若精於一書、有餘力然後及諸書、則渉獵諸篇、亦得其精、此説朱子之所取、可為讀書良法




「篤信」は貝原益軒のこと。「退之」は韓愈の字で、「貪多務得」は『進學解』に見える。「循序漸進(じょにしたがってようやくすすむ)」は順を追ってだんだんに進むこと。「漸」は物を水に浸して次第に染み込む意。ずんずんと読み進むのではなく、読んだ内容が体に染み込み熟するようにして読書することを謂う。「渉獵」は広く書を漁るも専精でないこと。



書を読むに多きを貪る、是れ学者の病、朱子の戒むるところなり、従前篤信も亦た此の病有り、退之の所謂『多きを貪り得るを務む』は、今良法に非ざるを覚る、只逐一精熟し序に循(したが)ひ漸進し而して後博きに至る、是れ良法なり、黄山谷曰く、大率(おおむね)学者は博きを喜び而も常に精(くわ)しからざるを病(うれ)ふ、百書に汎濫するは、一書に精しきに若(し)かず、余力有りて然る後諸書に及べば、則ち諸篇を渉猟して亦た其の精しきを得と、此の説は朱子の取るところにして読書の良法と為すべし。

  • 「退之所謂貪多務得、今覺非良法」の「退之所謂貪多務得」は全体で連詞的名詞で、下の詞に対して修用語。仮に「退之所謂貪多務得」をXとすれば、「Xは、今良法に非ざるを覚る」となります。もし「X」を客体の提示と考えるならば、「Xは、今良法に非ず覚る」のように「覚」を生産性を帯びた動詞として解することになります。
  • 「汎濫百書、不若精於一書」は「汎濫百書、孰若精於一書」の意。群書を博覧するよりは、一書を精読するに如くものは無いと謂うこと。


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