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漢文速成 三十三日間講座 (一)

我々がこの漢文講座で学ぶことは大きく分けて以下の四つであります。
(赤字の部分は私に由る註で、松下文法との関係について補足してあります。読み飛ばしていただいても構いません。)



「語の研究」「文の研究」「讀(とう)の研究」「品詞の研究」の四つです。


「語」と云いますのは「人、賢、立、於、之、甚、也、而、嗟(ああ)」などの漢字一字の単語と、単語を二字以上連ねた熟語とを指して云います。

(註)「語」は、二字以上の熟語をも含むところから松下文法に所謂「詞」に似ているも、そこまで徹底したものではありません。ここでは詞の本性論、副性論というほどの深い研究はしません。それは「品詞の研究」「讀の研究」においてなされます。

「文の研究」では漢文の構造を学びます。所謂文の解剖です。

「讀の研究」の「讀」とは、それのみにては完全でない語のことです。「鳥が」といえば、「どうした」の部分が欠けており、「飛ぶ」といえば、「何が」が欠けております。

(註)絶対性或は独立性を欠く詞のこと。すなわち断句になる途中にあるもの。連詞の他詞に対する関係を論じる点は相関論に類する者といえます。

「品詞の研究」は名詞動詞代名詞助動詞などに品詞を分類して、その性能を研究します。

【語の研究】
「語の研究」では「単語の研究」と「熟語の研究」とをおこないます。


「単語の研究」

まず単語の品詞を見ていきましょう。単語とは一字の語であります。我々は単語の品詞を分かちて十類と為します。すなわち、名詞、代名詞、形容詞、動詞、前置詞、後置詞、副詞、助詞、接続詞、感嘆詞であります。

(一)単語の名詞
人、山、川、尭、舜、など。独逸語にて「der Mann」と言えば、既に「人が」(主格)の意味でありますが、漢文の「人」はこれのみにては如何なる立場にあるか明らかではありません。「人は」「人が」「人に」「人を」「人と」「人とす」「人の如く」などのいずれであるかを常に考えなければなりません。然らば、どのようにして格を知るかと言えば、それは語の位置や文脈によってであります。

(ニ)単語の代名詞
我、汝、彼の類です。

(註)松下文法に於いては、大なる「名詞」という類概念のもとに、「本名詞」「代名詞」「未定名詞」「形式名詞」の四つに更に分類されることになります。要するに「人」も「我」も「誰」も「者」も皆文法的性能に於いてはそう大きく異なることはないので、品詞としては「名詞」に分類し、些細な違いは小分類としておこなうのです。

(三)単語の形容詞
賢、高、一など。

(四)単語の動詞
負、立、思など。

(註)松下文法では動詞も形容詞もいずれも動詞として扱います。両者いずれも作用概念を表すもので判定性がありますが、その表し方が異なります。一方は時間の形式に由る作用の認識で、他方は時間の形式に由らない作用の認識の仕方であります。前者を動作動詞といい、後者を状態動詞というのです。漢文では「美」は「美し」か「美しかり(美しくあり)」か判然としませんから、動詞という統一的な概念で括ってしまうのです。「美之」とあれば、形容詞でなく動作動詞であることが明瞭になります。

(五)前置詞
於、于、乎など。下の詞を統率して、他詞との関係を表すもの。

(六)後置詞
之(の)、者、乎など。上の詞を統率するもの。

(註)松下文法にも前置詞はありますが、それは副詞に含まれます。また(五)の「乎」と(六)の「乎」とは文法的に異なるものでして、前者は単純形式動詞で、後者のは単純形式感動詞です。

(七)単語の副詞
静、甚、愈など。

(註)「静」は文を結ぶ能力(判定性)もありますので、動詞です。「静かに」と読んだ所が、結局動詞の連用格的用法というまでで、品詞が変わるわけではありません。「甚」も同様。泉井久之助氏曰く、「副詞の本質は一体どこにあるのか。『赤く』『広く』などは未だ副詞の本質をそのまま体現しているものとは思われない。そこには「赤」「広」というような本質的に副詞的ならざるところの剰余がある。副詞の本質はかかる剰余をすべて捨てていった極限、即ち単なる存在、否定、制限を示すところの、たとえばアリストテレースの、たとえばカントの範疇論中の、性質の範疇に純粋に関係するところにあるのではないか」と(『言語の構造』四十五項)。

(八)助詞
也、矣、焉など。

(註)松下文法に所謂形式感動詞の類。「也」は決して日本語の「なり」ではないことに注意。では何かといえば、それは上の語の主観的再示であります。「彼君子也」と言えば、「彼は君子である(彼君子)、そうであるなあ(也)」の気味。是れ、「也」が辞ではなく、詞である所以であります。

(九)接続詞
且、而、夫など。

(註)副詞の一種にして寄生形式副詞。他詞に勝手に寄生して其の意義を以って下の詞の運用に掛かります。

(十)感嘆詞
噫、嗟、唉など。

(註)実質感動詞です。


「賢人(賢き人)」の「賢」が形容詞で、「挙賢(賢を挙ぐ)」の「賢」が名詞で、「賢之(之を賢とす)」の「賢」を動詞だといえば、如何にも漢文には品詞などあってないようなものの如くにも見えましょう。しかし、理論的なことを申せば、最初の「賢」は動詞の連体格的用法、次のは動詞性名詞(変態名詞)の客格的用法、最後のは動詞性再動詞(変体動詞)の終止格的用法というのみにて、いずれも動詞としての性能を主として、もしくは従として持っておるわけです。要しますに、動詞を動詞として用いるか、動詞を材料として他の性能で以ってそれを統率するかの差があるというばかりです。掴みどころが無いように見えても、一定の法則があるのです。


「学は疑ふを知るを貴ぶ」と訓みます。明代の学者、陳獻章の『陳白沙集』に見える言葉です。第一回目の講座は平凡なる内容にがっかりされた方も居るかもしれません。しかし、この平凡なものに対して少しく深く考えてみれば、やはり幾つかの疑問もまた出てくることと思います。たとえば、そもそも品詞とは何か、名詞とは何かと考えてみれば前途茫洋として惑いに似たる観を呈するも、ここに於いて初めて進むことが出来るのです。朱子もまた其の読書法にてこう言っております。「疑問を持たざるものは疑問を持て。疑問のあるものは疑問を無くせ」と。


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