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漢文法の解釈への応用例

漢文法を学んでおると一体漢文読解に当たりどのような効果があるのか、楊伯峻の『文言文法』に都合のいい例を見つけましたので、大意を載せておきます。

子夏喪其子而喪其明、曾子弔之曰吾聞之也、朋友喪明則哭之、曾子哭、子夏亦哭曰天乎、予之無罪也、曾子怒曰商、女何無罪也 (禮記檀弓)

この句は訳せばこういうことです。「子夏は自分の子供を亡くし、悲しみのあまり失明した。曽子が弔問に来て言う、『友人が失明したときには哭すと聞いている』と。そうして曽子は泣いた。子夏もまた泣いて言う、『運命であろうか、予之無罪也』と。曽子が怒って言う、『商(子夏の名)よ、御前がどうして罪が無いと言えようか』と。」

この「予之無罪也(予の罪無からんや)」を訳して、「私には罪がありませんのに」とでもしたら、ちょっと解釈としてはいまひとつであります。この「予之無罪也」という句は、主体的連体語の連体関係でありますから、実はまだ完全な断句(sentence)にはなっておらないのです。つまり、子夏の台詞はまだ発言の途中なのです。「私に罪が無いのは・・・」と言い掛けたところなのです。このあとに何かを言おうとしておるのです。そういうことが分かればこそ、曽子が怒りのあまり横合いから子夏の発言を遮っておる光景が目の当たりに感ぜられるのです。文法の理解無くてしては、このように深く原文を味わうことは出来ないものです。




【補足】
主体的連体語の連体関係より成る連詞は概ね連詞的名詞になります。「時計」のようなのを単詞的名詞というのに対して、「十年前に先生から頂いた時計」のようなのを連詞的名詞と云うのでした。要するに出来上がった結果からみてそれが名詞なら、どれほど内部が複雑なものでも名詞だということです。どれほどたくさんの材料を用い、手間を掛けても、一つの皿に盛れば一つの料理であるというのに同じです。

出来上がった結果としてみれば、それが名詞であれば従属的な用法にも運用されますし、独立的な用法にも運用され得ることは単詞の名詞の場合と同じです。つまり、上記の「予之無罪也」のようなものが言葉の途中(従属的)であると言うのは、絶対的なことではありませんので注意してください。名詞であるからには文を結ぶ力を持ちうるのです。

有成與虧、故昭氏之鼓琴也、無成與虧、故昭氏之不鼓琴也 (荘子齊物論)
「昭氏之鼓琴也」「昭氏之不鼓琴也」は連詞的名詞で、且つ独立終止(叙述態名詞)しております。出来上がった結果から見て名詞ですから、「昭氏が琴を鼓す」ではなく(これでは動詞です)、「昭氏の琴を鼓する」です。分かりにくければそのまま「昭氏の鼓琴」と読んでよい。昭氏の琴を鼓するというそのことの意です。



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